河童と相撲
雲外鏡から砥石を取って来いと言われた弘樹は途中、千影と二人弁当を分け合い腹ごしらえをして、日が中天を少し超えたころには、雪の積もった山道を降りて湯気の登る湖へと辿り着いていた。
どうやら湖の底からは温泉が湧いているらしく、それで湖面が凍り付く事は無かったようだ。
その湯気の上がる湖面の端、砥石とよく似た石の大地の上には雲外鏡の言葉通り、多くの河童が寝ころび甲羅干しを行っていた。
「うわぁ……こんだけいるとなんか怖いですね」
石の大地は地熱でほんのり暖かいらしく、何百匹もの河童が心地よさそうに身を横たえている。
その様子は夏の江ノ島海岸を弘樹に思い起こさせた。
「ふむ、あの石が良さそうじゃの」
「あれですか? でも河童さんが枕にしてますよ」
千影が指差した石は確かに平べったく、大きさも程よい物であったが、その上には黄色い嘴で鋭い目つきの河童が頭を乗せていた。
「ふふ、任せておけ」
千影は不敵な笑みを浮かべて河童に歩み寄った。
彼女に続き弘樹が河童に近寄ると、寝そべっていた河童たちが一斉に顔を上げた。
「人間じゃ、人間がおる」
「なぜここに人間が?」
「久しぶりに尻子玉を抜いて遊ぶか?」
「それはええ」
河童たちはそう言ってケタケタと笑い声を上げた。
尻子玉が何なのかは分からないが、恐らく尻に関係する物なのだろう。
思わず尻を押さえ顔を青くした弘樹を見て、河童達は更に大きな笑い声を上げる。
「黙れッ!!」
そんな河童達を千影が一喝すると、一瞬で笑いは収まった。
静まり返った河童たちの中、石を枕にしていた鋭い目つきの河童がふらりと立ち上がる。
「鬼が何のようじゃ? それに何故人の子など連れておる?」
恐らく河童たちのリーダーなのだろう。鋭い目つきの河童は他の河童よりも一回り体格が大きかった。
「こやつは意図せずこちらに迷い込んだ。現世に帰してやろうと思うての」
「酔狂な事じゃ……じゃがそれと我らと何の関係がある?」
「お主の枕にしていた石を頂きたい」
「この石を?」
「うむ、雲外鏡が砥石を欲しておってな。見た所、その石が丁度いい塩梅での」
河童は嘴を曲げ、鼻を鳴らした。
「あの鏡が……この石は儂がわざわざ磨いて具合を良くしたのじゃ。それこそ尻子玉でも貰わねば、くれてやる訳にはいかぬ」
「ただでくれとは言わぬ。相撲の相手をしてやろう」
千影の言葉に河童は再度、鼻を鳴らした。
「ハッ、鬼と相撲しても勝てる訳がなかろう。そんなつまらん勝負、誰がやるか……そうじゃな、その人間とやらせろ。勝てば石はくれてやる。ただし、儂が勝ったら、その人間の尻子玉を貰うぞ」
「ふむ……どうする弘樹?」
「……」
弘樹は鋭い目つきの河童を見て考える。
磨いたというだけあって、河童の枕は艶ッとした光沢を放っており、雲外鏡から渡された砥石の欠片によく似ていた。
大きさもかなり大きく、あれなら雲外鏡も満足する筈だ。
現状で現世に戻る為の手掛かりが何も無い以上、雲外鏡の協力は必須だろう。
その為にも、尻子玉を抜かれるのは怖いが、やる以外道は無さそうだ。
確か自分の知る話では、河童は馬等も川に引きずり込むほど力が強かった筈、それに相撲も得意だった筈だ。
相手は自分よりも小柄であるが、恐らく力ずくで勝てる相手ではない。
ここは力では無く技術で勝負した方が良さそうだ。
考えを纏めた弘樹は千影に向き直りおもむろに口を開いた。
「……やります」
「いいのじゃな?」
「はい」
少し心配そうな千影に弘樹は微笑みながら頷いた。
「分かった。河童、その勝負受けて立とうッ!」
「クククッ、人の子と相撲を取るのは数百年ぶりだ……」
「よろしくお願いしますッ!!」
しこを踏む河童に羽織っていたマントを脱ぎ棄てた弘樹は頭を下げた。
昔、通っていた拳法の道場で指導された事がつい出ただけだったが、その事で河童たちは少し感心した様子を見せた。
「人間にしては礼儀という物をわきまえている様じゃの」
「相撲は神事ですから……」
返した弘樹の言葉に河童はニヤリと笑う。
気付けば対峙した弘樹と河童を囲む様に、河童たちは周囲を埋め、その中の一人がヤツデの葉っぱを軍配に見立て行司役を買って出ていた。
「双方、待ったなしッ!! 見合って見合って……」
双方の緊張が最高潮に高まったと同時に、弘樹と河童は拳を地面に打ち付け体をぶつけ合った。
「はっけよーい、のこったッ!! のこったッ!!」
「弘樹、頑張るのじゃッ!!」
「長っ!! 人間なんか投げ飛ばせッ!!」
行事の声と千影の応援、そして河童たちの声が響く中、がっぷり四つに組んだ弘樹は懸命に堪えながら、河童の長に技を仕掛けるタイミングを計っていた。
長と呼ばれた河童は弘樹の意図を読んだのか、重心を低くし足を踏ん張り投げ技を警戒していた。
そんな長を引き込む為、弘樹は一瞬、力を緩めた。それを好機と見たのか長は一気に踏み込んで来た。
「弘樹ッ!?」
その踏み込みを自ら引いて右手に回り込む様に躱し、目の前の甲羅に両手を叩きつける。
相撲の決まり手で言う所の叩き込みで、長の体は地面に叩きつけられた。
「グッ!!」
「勝負ありッ!! 勝者、人の子ッ!!」
「ああ、負けたッ!!」
「長ッ、情けないぞッ!!」
「いや、アレは人の子の作戦勝ちだろう」
「いい勝負だったッ!!」
様々な声が飛ぶ中、弘樹は長に手を差し出す。
「あの大丈夫ですか?」
「この程度で河童がどうにかなる訳がなかろう……見事じゃった」
「力比べじゃ勝てそうになかったんで……上手く行きました」
弘樹は笑みを浮かべ、長の手を取り引き起こす。
長は苦笑を浮かべながら立ち上がると、弘樹から離れ枕にしていた石を手に取った。
「持ってけ…………現世に帰れるといいのう」
「ありがとうございます」
差し出された石を受け取り、弘樹は河童の長に頭を下げた。
そんな弘樹の姿を千影は優しく微笑みながら見つめていた。
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