猿酒
目を開けるとぼやけた視界が焦点を結び、真っ白な天井と白く丸い照明器具が目に飛び込んで来た。
多少の混乱の後、身を起こしまわりを見渡すと右側には黒髪の青年が、左側には六本腕の女が自分が寝ていたベッドに突っ伏し、スヤスヤと寝息を立てている。
青年は布団から出た自分の右手を握ったまま、眠ってしまった様だ。柔らかく握られた手に彼女は思わず微笑みを浮かべる。
「心配をかけた様じゃの……」
女はそう言うと左手で青年の頭を優しく撫でた。
すると青年はキュッと右手を握り返し「千影さん……」と寝言を呟く。
そんな青年と異形の女を持ち上げベッドに寝かせると、千影はそっと部屋を抜け出した。
「千影さん!? もう大丈夫なのッ!?」
水を求め台所へ向かうと、家の主、香澄が起き出した千影に驚き声を上げる。
「うむ、久方振りに派手な術を使ったでな、いささか疲れが出たようじゃ」
「そう……弘樹君とミアさんが慌てて意識の無い千影さんを運び込んで来たから、てっきり妖怪に何かされたのかと……」
「さようか……香澄にも心配をかけたようじゃな」
「何も無くて良かった……それで白羽の矢を立てていた妖怪は……?」
香澄は冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出し、お茶を注いだコップをダイニングテーブルに置きながら尋ねる。
「かたじけない……ふぅ……」
千影は香澄に礼を言ってお茶を飲むと、コップを片手にダイニングの椅子に腰を下ろした。
香澄は自分もコップにお茶を注ぎ、そのコップを手に千影の向かいに座る。
「……この村の住民を襲っていたのは覚という妖と、奴が引き連れた狒々共じゃった」
「覚?」
「うむ、お主も見たじゃろう、伴侶の姿をした者を?」
「……ええ」
香澄は夫の姿をした者とのやり取りの後、インターホンのモニター越しに、千影の攻撃で裂けたダウンジャケットから覗く黒い体毛を確かに見ていた。
その後に聞こえた声も夫の物とは思えない、何処かいやらしさを感じる物だった。
「覚は相手の心を覗き見る事が出来る、あの覚は昨晩の様に、その者にとって大事な存在にその身を変化させ、家から連れ出していたようじゃ」
「そうか、それでみんなドアを開けて……」
うむと頷きを返し、千影は話を続ける。
「覚は儂が術を使い滅した。長を失った狒々共には脅しを掛けたゆえ、お主もこの村も、もう襲われる事は無いじゃろう」
「そう……千影さん、本当にありがとう……最初はみんなどうにかしようと話合ったりもしてたんだけど、最近じゃ矢が立つ理由が分からなくて、目立たない様に殆ど外にも出ずに過ごしていたの……きっと話を聞いたらみんな喜ぶわ」
「さようか……」
千影と香澄がそんな話をしていると、ドタドタと足音が響きダイニングに弘樹とミアが顔を見せた。
「千影さん、大丈夫ですかッ!?」
「うーッ、ちかッ、いなくなるなッ!!」
弘樹は千影の額に手を当て熱を測り、ミアは千影を後ろから六本の腕で抱きしめた。
「フフッ、千影さん、あなた、愛されてるのねぇ」
「ぬぅ……揶揄うでない」
「ふぅ……熱は無いみたいですね。突然倒れるからビックリしましたよ」
「香澄には言うたが、覚を倒す為に派手な術を使ったのでな。妖力が切れてしもうたのじゃ」
「派手な?」
「うむ、分身を無数に生み出す術じゃ。儂の千影という名は術を見た主様が付けてくれたのじゃよ」
千影、千の影……。
話を聞いた弘樹は千人の千影の姿を思い浮かべ、うーんと唸り声を上げた。
その後、スッと表情を引き締めた弘樹は、千影の前にしゃがみ彼女の両手を握った。
「ともかく、今後は倒れる様な術は使わないで下さいね」
「そうは言うても心を読む覚を倒す為には……」
「心配したんですから……」
弘樹はそう言って困り顔で千影を見上げる。
「うー、ちか、いなくなる、だめッ!!」
ミアも千影を包み込む様に回した六本の腕に力を込める。
「弘樹……ミア……分かったのじゃ……今後は加減して使うとしようぞ」
「約束ですよ」
そう言うと弘樹は千影の顔を見上げ、ホッとした様な笑みを浮かべた。
■◇■◇■◇■
朝のやり取りの後、食事を終えた弘樹達は、今回、この集落へ来た目的、猿酒の入手の為、狒々たちが逃げ去った森へと向かっていた。
「ありますかねぇ……というか、人を殺して食べてた猿が作ったお酒って、少し抵抗があるんですが……」
「ふむ、まぁ、儂らが飲むわけではないしの」
「うーッ、ミア、のみたいッ!!」
「えっ、ミアさん、お酒飲めるんですか?」
「のめるッ!!」
ミアは六本の腕を腰に当てて胸を張り、フンスッと鼻を鳴らす。
「まっ、味見程度であれば平気じゃろう……この先の様じゃな」
千影はスンスンと鼻を鳴らし森の奥を指差す。
弘樹も匂いを嗅ぐと、千影が指差した方向からはリンゴの様な、甘い果実の香りが漂って来ている。
「すごくいい匂いだ……」
その匂いを辿り森を進むと、大きな木の洞に透明な液体が溜まっていた。
「わぁ……ホントにお酒なんだ……」
液体からは甘い香りと共に、アルコールの匂いも感じられる。
「慌てて逃げ出したので、酒は持って行かなかったようじゃな。ミア、味見してみるか?」
「うー、してみるッ!!」
千影の言葉に深く頷きを返すと、ミアはポチャリとその液体に指を付け舐め取り、彼女はパッと目を見開いた後、嬉しそうに頬を上気させた。
「あまい、おいしい!!…………うー、でも、め、まわる」
「あっ、ミアさんッ!?」
どうやら下戸だったらしいミアは、指一本舐めただけでそのまま雪の中に倒れた。
千影は倒れたミアを木にもたれさせ、その手に水のペットボトルを持たせてやる。
「ミア、水を飲め」
「うー……んぐんぐ……ぷはーッ……ちか、ありがと」
「うむ……ミアは酒は禁止じゃな……さて、ともかくこの酒を回収し、香澄が言っておったれすとらんに持ち込むとしようぞ」
「レストランに? そうか、こいつと合う料理、保存食を作ってもらうんですね」
「うむ」
頷いた千影に笑みを返し、弘樹は持参した香澄に出して貰ったペットボトルに酒を注いだのだった。
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