夜更けにベルを鳴らすのは
自分は助かるかもしれない。
そんな希望を抱き泣いた香澄が落ち着くのを待って、弘樹は香澄と車で待っていたミアを呼び彼女と引き合わせた。
「……弘樹君、彼女も……そのあなたの……?」
香澄の家の応接室、向かいのソファーに腰かけたミアを見て香澄は戸惑い気味に尋ねる。
「ええ、仲間です。ミアさん、この人は広田香澄さん。二、三日、お世話になるから」
「うー、みあ。うー、かすみ……よろ……しくッ!!」
「え、ああ、よろしくね。ミアさん」
六本の腕を振り上げニッと笑ったミアに、香澄は引きつった笑みを浮かべ挨拶を返した。
「すいません。ミアさんはまだ言葉を喋り始めたばかりで……」
「そ、そうなのね……」
「うむ、教えておるが、まだ流暢に話すまでには至っておらぬ」
「そう……ねぇ、弘樹君、千影さんといい、ミアさんといい、何処で知り合ったの?」
香澄は少し呆れた様子で弘樹に尋ねる。
「えっと、千影さんは、こちらに迷い込んだ所を助けてもらった時に、ミアさんは旅の途中で、封じられていたのを解放したんです」
「あなた、その、怖くないの?」
「ハハッ、最初に喋る狼とか、喋る鏡とか、あと、河童さんにも会ったので……なんか慣れちゃいました」
「……なんというか、あなた、見かけによらず豪胆なのねぇ……」
「別に豪胆って程でも……訳の分からない人もいますけど、成り立ちというか、法則が分かったのでそれで……」
弘樹の説明に香澄は一応納得したのか、なるほどねぇと苦笑を浮かべた。
先程までその顔には憂いが浮かんでいたが、千影やミアの存在で少しは元気を取り戻したようだ。
その事にホッとした弘樹は、彼女にも現世に戻る方法、更におじさんに渡す酒の肴と煙草について尋ねてみた。
「現世に帰る方法はあたしも弘樹君が聞いた噂ぐらいしか知らない。でも酒の肴、美味しい食べ物の事なら、ちょっとだけ心当たりがあるわ」
「本当ですかッ!? ぜひ教えて下さいッ!!」
「うん……あれはまだあたしが幽世を旅していた頃……」
香澄は安住の地を求めて西から旅を続けて来た。
その旅の途中、少し変わったレストランに立ち寄ったのだという。
その店はこの集落から南西に少し行った所に店を構えていた。
店の名前はラ・アルト。代金は幽世で体験したり聞いたりした不思議な、まぁ、幽世では不思議でもなんでもないが、出来事の話を、一つ店主に聞かせるという物だった。
死者は願いの力で何でも欲しい物を得られる、よく知っている物という制限はあるが、ので報酬が情報というのは別に珍しくは無い。
香澄も旅の途中で見た狸の大名行列の話をして、料理を出して貰ったそうだ。
料理はその人に合わせて作ってくれるらしく、香澄が食べたのはナポリタンだったらしい。
「昔ながらの喫茶店のナポリタンな感じで……凄っく美味しくて、生きてた時に旦那と良く行ってた喫茶店の事を思い出して、少し泣いちゃった」
「泣くほど美味いですか……うーん、でもレストランの料理だと日持ちしないんじゃあ……」
「あっ、そうよね……」
「ふむ……弘樹、その店主に日持ちするもの、保存食的な物を作ってもらうのはどうじゃ?」
「保存食的な……そうですねぇ、ハムとか燻製とかならいけるかも……情報ありがとうございます、今回の件が終わったら行ってみようと思います」
「……そういえばまだ解決して無かったね……なんだか、千影さんやミアさんがいるから、ホッとしちゃってた」
そう言った香澄の顔には再び暗い影が落ちていた。
「儂が聞いた噂では猿、年老いた狒々が生贄を喰ろうておったそうじゃ。じゃが心配はいらぬ、儂は狒々程度に遅れを取る事は無いでな」
「うーッ!! ミアも、ちか、てつだうッ!!」
「ですね。香澄さん、俺も二人をサポートしますし、きっと返り討ちに出来ますよ」
「……うん、ありがとう……よろしくお願いします」
弘樹達の言葉を聞いて、香澄は涙を拭い三人に頭を下げた。
それから弘樹達は香澄の家で過ごしながらその時を待った。
そして二日後の夜、夜も更け集落も静まり返った深夜、香澄の家のインターホンがピンポーンと鳴った。
ゴクリと唾を飲み込み、香澄はリビングに設置されたモニターの通話ボタンを押す。
モニターには黒いニット帽を被った二十代ぐらいの男の姿が映っていた。
「だ、誰?」
「俺だよ、香澄。智也だよ」
そう言って男は目深に被っていたニット帽を脱ぎ、モニター越しに顔を見せた。
「智也ッ!? 嘘、あなたも死んだのッ!?」
「ああ、まさか死後の世界がこんな風になってるとは思ってもみなかった」
香澄の顔には驚きと共に喜びが現れていた。
「知り合いですか?」
「ええ、あたしの元旦那よッ!!」
玄関に向かおうとする香澄の腕を千影が咄嗟に掴む。
「落ち着け香澄。あれはお主の連れ合いでは無い」
「えっ、だって若い時の智也と同じ顔を……」
「うーッ、けもの、けものッ!!」
自分の夫では無いと言う千影とミアに、香澄は戸惑いを見せた。
「妖や仙には人に化ける者も多い。人の心を読む者もな」
「じゃあ、この人は香澄さんの心を読んで、旦那さんに化けたと?」
「うむ、香澄、お主は幽世を旅しこの村に辿り着いたのじゃろう?」
「え、ええ……」
「あの者が真に夫であるとして、死者が当てもなくお主に辿り着けると思うか?」
「それは……」
幽世には現世の様な警察や興信所などは無い。
願いの力は様々な物を出せるがそれも万能ではなく、暮らしに必要な品を調達出来るだけだ。
死んだ連れ合いを探す事は願いの力では出来ないのだ。
「そんな……だって……こんなにそっくりなのに……」
呆然とモニターを見つめる香澄に気の毒そうな視線を送ると、千影はギリッと奥歯を鳴らしてリビングを出て玄関へと向かった。
「うーッ、ミアもいくッ!!」
ミアも千影に続き玄関へ向かう。
弘樹は一瞬、香澄を放っておいていいのかと迷ったが、最終的にライフル片手に千影の後を追った。
「フンッ!!」
玄関に弘樹が着いた時には、千影は手にした黒鉄の棒で扉を吹き飛ばしていた。
『……鬼、オラの獲物さ横取りする気か?』
四角く切り取られた闇の向こう、男が着ていた黒いダウンジャケットの下、千影の攻撃で破れたのだろう場所から、黒く硬そうな毛が覗いている。
「千影さん、あいつはッ!?」
「あやつは覚。人の心を覗き、戸惑わせ喰らう妖よ」
そう言った千影の顔は怒りで歪んでいる。
『せっかく楽に餌が手に入る場所が出来たんだぁ、お前ぇらは出て行けぇ』
『そうだ。出て行けぇ』
『そうだ、そうだ』
覚の後ろから人間の子供程の大きさの猿がワラワラと湧いて出た。
「思い出を利用し、他者の心に土足で踏み入る下種共が……ミア、弘樹、二人はここで香澄を守るのじゃッ!! 儂は奴を狩るッ!!」
千影は牙を剥き、怒りの形相でその身を影に同化させた。
「えッ、は、はいッ!!」
「うー、まもるッ!!」
弘樹は千影の言葉で玄関を出てミアと並び、家の前で猿たちにライフルを向ける。
その間に影となった千影は雪の大地を駆け覚の背後に一瞬で回り込む。
『ハハッ、無駄だぁ、お前ぇの思ってる事は全部分かるだで』
ニタリとした笑みを浮かべながら、覚は千影の振り下ろした鉄棍をスルリと躱した。
その後も踊る様に繰り出される千影の攻撃を、覚は苦も無く躱していく。
「千影さん……」
「うーッ!!」
そんな千影の姿を追っていた弘樹の視線を、ミアの声が引き戻す。
気付けば弘樹達の周りには、覚が引き連れていた猿の群れが輪を描くように取り巻いていた。
「クッ」
弘樹は銃口を空に向け引き金を引く。鳴り響いた銃声で猿達は一瞬ビクリと体を震わせるが、暫くするとジリジリと包囲を狭め始める。
「出来るなら殺したくはないけど……」
そう呟きながら、弘樹は銃口を猿の群れに向けた。
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