紙垂の巻き付いた柵の向こう
村の長老、村田を見送った弘樹と千影は、次の目的地である油取りから聞いた東の山中にある廃墟目指して出発した。
勾玉に願いその身を浮かせ東に向かって飛ぶ。だが三十分ほど飛んでもそれらしき建物を見つける事は出来なかった。
「おかしいなぁ、油取りさんの話しぶりだと嘘を吐いている様には見えなかったけど……」
「そうじゃの、儂もそう思う……もしかすると結界が張られておるのやもしれぬ」
「結界ですか?」
「うむ。呪いや妖を封じたり、逆に守りに使ったりする術式の事じゃ。この場合は認識阻害、もしくは人払いの結界が張られておるのやもしれぬな」
「人払いの結界かぁ……」
弘樹の脳裏に六芒星の魔法陣から立ち昇る光の柱が思い浮かぶ。
「なんだかカッコいいですねぇ」
「ぬ? 格好良い? そうかのう、結界に格好良いも何も無いと思うが……」
千影が思い浮かべる結界は、塩や灰を使った物であったり、京の都の様な街自体が呪を弾く様になっている物だ。
まぁ、京の街は妖や呪術的な物の出入りを禁じた事で、人が生み出す邪気が内部に溜まりそれはそれで問題が起きたのだが。
「ともかくとして、降りるとしようぞ……恐らくここより西を目指し歩けば、その結界に一端に触れられる筈じゃ」
「了解です」
山中の森に降り立った弘樹と千影は早速、千影の先導で元来た方向、西に向かって歩みを進めた。
鬱蒼とした雪の残る森の中、弘樹にはどちらが西かすぐに分からなくなったが、千影は迷うことなく一直線に進んでいく。
「千影さん、太陽の位置も分からないのに、よく真っすぐ西に進めますねぇ?」
「なに、飛んで来た時に漏れた儂自身の妖気を辿っておるだけじゃ」
弘樹はなるほどと手を打った。
自分には感じられないが、千影には妖気がジェット機が残す飛行機雲の様に感じられているのだろう。
それなら太陽が見えなくとも、真っすぐに進めるはずだ。
そんな事を話しながら二時間ほど森の中を進むと、唐突に空気が変わったのが弘樹にも分かった。
「これは狐の里の時と同じ……」
化け狐の里の周辺では、彼らの妖力で雪と氷を桜の花びらに変えていた。
あの里も一種独特な雰囲気が漂っていたが、その場所も狐の里とはまた別の雰囲気だが、神聖というか禍々しいというか、とにかく近寄ってはいけない物だと弘樹にも肌で感じ取れた。
それは千影も同様だった様で、彼女はいつの間にか黒鉄の棒を手にしている。
「そういえば油取りは怪物が出ると言っておったな」
「……言ってましたね……怪物かぁ……出来れば、油取りさんやぽーちゃんみたいに、対話でどうにか出来ればいいんですが……」
「油取りの口ぶりでは恐らく無理じゃろうな」
警戒しながらも二人は西へと歩みを進める。やがて二メートル程の高さの左右に伸びる柵に道を阻まれる事になった。
柵には太い縄と有刺鉄線の他紙垂の様な物や鈴などが取り付けられている。
「廃墟はこの先じゃろう……ふむ、右も左も柵は続いておるな」
「迂回しましょう。先に怪物がいて争いが避けられないなら、接触しない方がいい」
「そうじゃな、儂もこの奥からはあまり良い気配を感じぬ」
頷き会った二人は柵を右手側に見ながら、北に回り込む形で移動を続けた。
だが、柵は緩やかに湾曲しており、恐らくだが、目的地だろう中心部をドーナツの様に囲む形で張り巡らされていた。
「……うーん。多分ですがグルッと取り囲んでますね」
「の様じゃな……どこぞに切れ目があるやもしれぬが……」
そう言うと千影は近づく事を拒絶する様な柵を見上げた。
「儂らであれば中に入るのは容易いがのう……」
「ともかく一周してみましょう。千影さんが言ったみたいに、切れ目があるかもしれない」
「あい、分かった」
結局、半日程かけて柵の周囲を歩いたが、柵に切れ目は無く結局、元の場所に戻って来ただけだった。
その日は日が落ちた事で探索を切り上げ、柵から少しはなれた場所に天幕を張って野営する運びとなった。
皮で出来た天幕の中、石で作った竈の中、焚火から立ち昇る炎が揺れている。その炎に炙られ、千影が捕えた兎肉が香ばしい香りを天幕の中に充満させていた。
「よし、もういいじゃろ」
焼き上がりきつね色に輝く串に刺さった肉を取り上げ、千影はフーフーと息を吹きかけ冷ます。
「ほれ、弘樹」
その程よく冷めた肉を弘樹に向かって差し出した。
「……千影さん、何度も言っていますが、俺は子供じゃありません。フーフーは自分で出来ます」
「良いではないか、儂はお主の世話を焼ける事が嬉しいのじゃ。フーフーぐらいさせろ」
以前も思ったが千影は弘樹に昔、主だった者の姿を重ねているのだろう。
彼女が見ているのは自分であって、自分では無い。その事に複雑な思いを抱きつつ、弘樹は千影から彼女が冷ました肉を受け取った。
ただ、どんな経緯を経ても、どんな気持ちであっても、空腹に肉は美味かった。
そんな美味な肉を食べた事で若干気持ちが上向いた弘樹は、明日の予定について自分の考えを千影に話す事にした。
「千影さん、明日なんですが、やっぱり柵の向こうへ進みたいと思います」
「うむ、入り口らしき物は無かったし、中央を調べるにはそれしかあるまいな」
「ええ、それで怪物に対してなんですが……基本、逃げる方向で行きたいと思います」
「……分かった。無用な争いは避けるべし、弘樹の師匠の教えじゃな」
「はい、ただ、怪物がどんな姿か分からないですし、もし足が速いとかだったら、勾玉で飛んで逃げる事も考えましょう」
「ふむ……上空からの再侵入は結界の事もあるし難しいやもしれぬが?」
上空へ逃れやり過ごし再度、空から入ればいい。そう考えていたが、千影の見立てでは結界上部は一方通行の様だ。
「うーんそうですねぇ……千影さんの力に頼る事になって申し訳ないんですが、もし遭遇したら一旦、あの喝ッ! ってやつで吹き飛ばして貰って、その間に中央に急ぐとか……」
「ふむ……波動をぶつけてのう……であるなら、いっそのこと棍を使い殴り飛ばせば良いのではないか?」
「棍って、あの黒い金属の棒ですよね?」
「いかにも」
「死んじゃいませんか? いかに怪物とはいえ……」
「大丈夫じゃと思うぞ……怪物なんじゃし」
さらりと言ってのける千影に弘樹はいい加減だなぁと苦笑を浮かべる。
そんな二人のいる天幕を柵の向こう、暗闇の中に浮かぶ青白い顔の女が見つめていた。
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