現世へ戻る方法は
目覚めた弘樹に千影は食事を用意し、その後、風呂にも案内してくれた。
風呂では背中を流してやろうと、服を脱ぎかけた千影を弘樹は慌てて止めた。
「はぁ……やっぱ、流して貰えばよかったかな……」
家の裏、温泉から湯を引いているらしい、竹の塀に囲まれた露天風呂に浸かりながら、弘樹は少し後悔していた。
「でも鬼だしなぁ……」
食事をしながら聞いた所では彼女は大昔は現世で暮らしていたそうだが、主を亡くしてからは幽世で隠棲していたそうだ。
弘樹を助けたのは、その亡くなった主にどことなく弘樹の風貌が似ていたからというのが大きいらしい。
「弘樹、着替えは籠に入れて置くでな。余り長湯するでないぞ」
「あ、はいッ!!」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる千影に好感を持ちながら、駄目だ、相手は鬼だと弘樹は首を振った。
大学で民俗学を専攻している友人がいたので、弘樹も聞きかじった知識ではあるが、多少は日本のおとぎ話や神話は知っている。
その中にある、異類婚姻譚等では大体が悲恋に終わっていた筈だ。
どうせ離れ離れになるのなら、最初から何も無い方がいい。
そう思っている時点で弘樹は千影に魅かれていたのだが、失恋のショックで恋に臆病になっていた彼は、あえてその事を考えない様にしていた。
風呂から上がり、用意された着替えの浴衣を羽織り、囲炉裏のあった部屋に戻るとそこには湯冷ましが用意されていた。
「あ、ありがとうございます」
「客間に布団を敷いておいた。今宵はそこで眠るがよい」
「はぁ……何から何までありがとうございます」
「助けたのは儂の勝手じゃ。気にする事はない」
そう言って笑う千影の斜向かいに腰を下ろし、囲炉裏端に置かれた湯呑から湯冷ましを飲む。
風呂で火照った体に冷たい水が染み渡り、思わずほうと声が出る。
「……あの、隠さん」
「千影で良い、それでなんじゃ?」
「じゃあ、千影さん……ここは俺のいた世界とは別の場所なんですよね?」
「うむ」
「えっと、じゃあ元の世界へ戻る方法とかご存知ではないでしょうか?」
「ふむ……通力がある者がお主を呼び出すか。お主自身が通力を身に着ければ、あるいは戻れるやもしれぬ」
通力……イメージでしかないが、陰陽師とか徳の高いお坊さんとかが使う奴だろうか。
「その通力はどうすれば身に付けられますか?」
「ふむ……お主ならそうじゃのう……二百年ぐらい修行を詰めば恐らく……」
「千影さん……俺は普通の人間です。普通の人間はどうやっても二百年も生きれませんよ」
呆れ顔で答えた弘樹に千影は笑みを浮かべる。
「そこは問題無い。幽世で生きる者は老ける事がないからの」
「そうなんですか? じゃあ二百年修行すれば……」
「うむ。多分、帰れるじゃろう。ただ、帰った先では二百年が過ぎておるじゃろうが……」
「……それって意味無いじゃないですかッ!?」
二百年後の日本に帰還する自分を思い浮かべた弘樹は思わず声を荒げた。
そんな弘樹を見て、千影はそれもそうじゃのとコロコロと笑った。
「はぁ……笑いごとじゃありませんよ……何か他に帰る方法はないでしょうか? えっと、働くとか対価はお支払いしますので……」
「ふむ、それ程帰りたいか?」
「はい、向こうには家族や友人もいますし……」
「……そうじゃのう……昔の様に闇が深ければ、至る所にこちらとあちらを繋ぐ門が開いておったが……」
「今はその門は?」
「人が灯す明かりが強さを増すごとに、門は閉じていった……現在はごく稀に短い時間、開くだけじゃ。門の場所で待ってもいいが、いつ開くか分からんしのう……」
千影は首を振りながら、弘樹に説明した。
法則が分からず、いつ開くか分からない物をずっと待つのは流石に効率が悪そうだ。
「あの……他に余り時間を掛けずに戻る方法は無いでしょうか?」
「そうじゃなぁ……雲外鏡にでも聞いてみるか」
「うんがいきょう? その人なら帰る方法が分かるんですか?」
「さてのう……じゃが手掛かりぐらいは掴める筈じゃ……ふぁふ……弘樹、今日はこの辺して休むとしようぞ」
そう言うと千影は囲炉裏の火に灰を被せ立ち上がった。
「……分かりました」
弘樹としてはもう少し話を聞きたかったが、眠そうな千影に無理は言えず素直に頷きを返した。
千影に客間に案内され、板の間に敷かれた布団に潜り込む。
こんな不安を抱えて眠れるだろうか。そう考えていた弘樹だったが、風呂に入り疲れが出たのか布団に入ると一瞬で眠りに落ちたのだった。
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