生まれたての赤ん坊
弘樹が風呂から上がり居間へ向かうと、そこにはコタツでくつろぐ三人の女性の姿があった。
三人とも弘樹と同じ生きた人間では無く、一人は鬼、一人は死者、一人は都市伝説の怪異ではあったが。
ただ、人外でないにしても全員、女の人である事は間違いなく、なんというかその場にいる事に疎外感を感じるのは仕方ない事だった。
「あの、お風呂ありがとうございます」
「いえいえ、ごめんね、ぽーちゃんちゃんがいきなり襲ったりして」
「ぽぽぽ……」
白いワンピースの長身の女、ぽーちゃんはコタツから出て正座をして帽子を手に取ると、その帽子で口元を隠しながら弘樹に申し訳なさそうに頭をさげた。
「あ、いえ。いきなりだったのでビックリはしましたけど、実害は無かったので……」
「そうかい……良かったねぇ、ぽーちゃん、弘樹君、許してくれるってさ」
「ぽぽ」
正座して上目遣いで弘樹を見るぽーちゃんに、弘樹は小さく会釈を返す。
「じゃあ、弘樹君がお風呂を出たから、次は千影ちゃん、行っておいでよ。私は最後でいいからさ」
「さようか。ではお言葉に甘えるとするかの」
立ち上がった千影は弘樹に「よく温まったか?」と尋ね、弘樹がそれに「はい」と答えると満足気な笑みを浮かべた。
何だろうか。彼女の弘樹に対する扱いは、恋人というよりは子供に近い気がする。
その事に気付き、廊下を歩く千影の後ろ姿に彼は少し残念な様な、これまでの千影の行いに得心いった様なそんな気持ちになった。
そんな弘樹の顔を見て、ぽーちゃんは膝立ちで歩み寄り弘樹をギュッと抱きしめた。
「えっ!? あっ、あのッ!?」
「ぽぽ、ぽぽぽ」
「こら、ぽーちゃんッ!! 許可なくそういう事しちゃ駄目って教えただろッ!?」
「ぽぽぽ、ぽ……」
優子に怒られたぽーちゃんは眉根を寄せ、弘樹から離れるとションボリと頭を垂れた。
「そうだ。弘樹君にも説明するね」
「は、はぁ……」
「んじゃ、取り敢えず座って座って」
優子に促され、先程、千影が座っていた場所に足を突っ込む。
弘樹から見て左手が優子、正面がぽーちゃんという位置づけだ。
「千影さんも言ってたんだけど、このぽーちゃんみたいな若い妖は赤ん坊みたいな物だと思うの」
「赤ん坊ですか?」
「うん、赤ん坊って知識や経験じゃなくて、より動物に近くて、本能に従って動くじゃない」
弘樹は脳裏に赤ん坊を思い浮かべた。たしかに赤ちゃんはお腹が空けば泣き、排泄をしても泣き、親に助けを求める。
実際はもっと複雑なのだろうが、その行動は知性では無く本能で行っていると思う。
そんな事を考えつつ、弘樹は正面の怪異、八尺様ことぽーちゃんに目をやる。
「ぽぽ、ぽ」
ぽーちゃんは小さく呟きつつ、チラチラと弘樹を窺い見ている。
「だから生まれたてのぽーちゃんは、自分の本能、人間の子を連れ去るって事に忠実に従っている。ただ、この娘は私と一緒に働いていたりしたから、自我が芽生え始めているみたいなのよね」
「……じゃあ、他の怪異……村はずれで見たくねくねなんかも、この村の人達と過ごせば……」
「くねくねかぁ……あれはそもそも近づけないからねぇ……」
優子はコップに昔ながらの金色の丸薬缶でお茶を注ぎつつ、そう答え、苦笑を浮かべた。
「あ。ありがとうございます……えっと、じゃあ結論から言うと、危険な怪異もいるけど、八尺……ぽーちゃんの様に共存出来る怪異もいると?」
優子がいれてくれた冷えたお茶を受け取りながら、弘樹は彼女に問い掛ける。
「だね。弘樹君は現世に戻りたいんだよね?」
「はい。早く戻らないと行方不明からの死亡って事になりそうなんで……」
「私もこっちに来てから、長老から色々聞いて、都市伝説? そういう話も結構知ってるけど……その中にも異界渡りの話は沢山あった。だからもし、戻りたいならそんな新しい都市伝説の中で、話せるタイプを見つけて一緒に過ごしてみるのもいいかもね」
「なるほど……」
異界渡り……弘樹もそこまで詳しい訳では無いが、神隠し的な都市伝説は多数存在していた様に思う。
何処かの地下室にある穴に飛び込み、よく似た別の世界に行くとか、迷い込んだ世界でおじさんに見つかり、追い返されるとか……。
この二つならおじさんの方が可能性が高い気がする。
「優子さん、その長老さんに会わせて貰えませんか? それと出来れば優子さんが知ってる都市伝説で、異界から現世に戻った話も教えて貰えたら……」
「オッケー。長老は明日、会いに行くとして、今日は私の知ってる都市伝説、その中でも可能性がありそうな話をしてあげるね」
「ぽぽ、ぽ、ぽぽぽっ」
優子がニカッと弘樹に笑い掛けるとぽーちゃんが、眉根を寄せて有効の割烹着の裾を引いた。
「何? ぽーちゃん、もしかして怖いのぉ?」
「ぽぽぽ、ぽぽ……」
ブンブンと首を縦に振るぽーちゃんを見て、優子も弘樹も思わず苦笑を浮かべる。
「しょうがない子だねぇ。じゃあ手を握ってあげる」
「ぽぽ、ぽぽぽ」
ぽーちゃんは差し出された優子の左手見て、彼女の横に移動すると差し出された手を両手で包み込んだ。
八尺様はもっと恐ろしい怪異だった様に思うのだが、優子の手を両手で握り涙目になっているぽーちゃんを見ていると弘樹には彼女が幼い少女の様に感じられた。
■◇■◇■◇■
優子が話してくれた怪異譚は、弘樹が可能性が高いと思った異界にいるおじさんと、何処かのビルにあるエレベータをある順番で操作すると別の世界に行けるという物だった。
エレベータの方はきさらぎ駅と同様、どちらかというと現象に近い気がしたので、やはりおじさんの方が元の世界に戻してくれそうだと弘樹には思えた。
弘樹は優子の怪異譚と長老の事を風呂から上がった千影に話す。
「なるほど、ぽーの様な怪異と付き合い、彼らの自我の芽生えを誘発するか……」
居間のコタツで冷えたお茶を飲みつつ、千影はほぅと息を吐いた。
現在、優子はぽーちゃんとお風呂に行っているので、居間には千影と弘樹の二人だけだ。
「はい、長老からも現世と異界……幽世を行き来する話が聞ければ、きさらぎ駅が駄目でも現世に戻る手掛かりが得られると思うんです」
「ふむ。あい分かった。では明日は長老の話を聞き、それを踏まえた上できさらぎ駅に向かうと言う事で良いかの?」
「ですね……道中、どこか俺が通った様な門が開いてたらラッキー……幸運なんですが……」
「らっきーは幸運か……確かにの…………弘樹、現世は今どうなっておる? 未だ戦は無くなっておらんのか?」
「戦……戦争は日本では無いですが、世界では……」
「さようか……弘樹、今のこの国……日本じゃったか……それについて聞かせてくれ」
その夜、弘樹は尋ねられるままに千影に現在の日本について話した。
やがて優子たちが風呂から上がり、彼女に促され弘樹と千影は客間に用意された布団で眠りについた。
同じ部屋に敷かれた二枚の布団、以前ならドキドキして眠れなかっただろうが、その日は不思議と安心感を感じながらゆっくりと眠る事が出来た。
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