妖狐の長と大天狗
夕霧に連れられ弘樹達は屋敷の本殿、その奥座敷へと通された。
そこには御簾が掛けられており、その先に女性だろう影が浮かんでいた。
その前に並び座らされた弘樹と千影に御簾の中の女、環が問いかける。
「夕霧が是非にと申すので目通りを許したが……何か聞きたい事があるとか、妾は忙しい、用向きを早う言え」
「では早速……あなたと大天狗さんの確執の原因について教えて下さい」
「……何故、見ず知らずの鬼と人に左様な事を教えねばならぬ」
鬼と人、そう言った環の言葉通り、部屋には彼女の他には弘樹と千影しかいない。
これは弘樹の提案がそもそもの原因で最初は弘樹一人で会うつもりだった。
しかし、それに千影が反対した事で、結果として二人で会う事になったのだった。
「見ず知らずだからですよ……娘の夕霧さんや一族の皆には言えない事でも、赤の他人の俺達になら話せるんじゃないですか?」
「その上で、お主らが抱えた問題の解決に取り組もうと弘樹は言うておるのじゃ」
千影の言葉に御簾の中の女、環はふむと考えを巡らせる。
確かにこのまま、夕霧の我儘を聞き入れ疾風を一族に迎え入れれば、天狗の恨みを買うだけではなく一族の団結にも影響を及ぼす事は環にも分かっていた。
だが、許しが得られないなら疾風と共に里を出ると言う夕霧に環は折れる他なかったのだ。
「人の子よ……貴様の言葉に乗ってやる。じゃが、この事は他言無用ぞ」
「分かっています」
「こやつも儂も口は堅い。心配せずに早う話せ」
「フンッ、生意気な鬼じゃ……アレは夕霧を養子にするずっと前、妾がまだ小娘だった頃の事じゃ……」
遠い昔、環が姫様と呼ばれていた頃、縄張りを離れ遠く南の地へ花見へ出かけた時の事。
彼女は見知らぬ森で一体の蛇妖に襲われた。その当時、尾の数はまだ三本で経験も乏しかった環は執拗な蛇妖の追跡を躱せず、捕まり食われかけたそうだ。
そんな彼女を救ってくれたのが、武者修行の旅に出ていた大天狗、その当時は赤ら顔では無く鼻も長く無かったそうだが、旋風だった。
旋風は手にした団扇で風を操り、大木よりも太く大きな蛇妖の体を切り刻み、環を救ってくれた。
その後、二人は自然と恋に落ち、里に戻ってもその関係は続いていた。
「じゃが、蜜月は長くは続かなんだ……彼奴は妾を捨て一族が決めた相手と夫婦になったのじゃ……それ以来、妾はずっと一人よッ!」
「そんな……どうして?」
「フンッ、そんな事は知らぬ! 妾よりもその女が気に入ったのじゃろう!」
「ふむ……その事を腹に据えかねて、お前は天狗を嫌っておるのか?」
「その通りじゃッ!! あの裏切り者は、いずれ妾が頭をかみ砕き喰ろうてやるわッ!!」
御簾の向こうの影は人から口が耳まで裂けた獣へと変じていた。
「……本当にそう思っているんですか?」
「何じゃと……妾の言葉が嘘だと申すかッ!?」
「だって、昔の事を話していた時の環さん、凄く寂しそうでしたよ……」
「ぐぬ……」
「……分かった。大天狗が何故お主を選ばなんだか、儂らが聞いて来てやろう。その理由に得心いけば諍いを止めるよう一族を説得せよ」
弘樹の言葉で二の句が継げなくなった環に、苦笑を浮かべた千影が言葉を紡ぐ。
「ぐぬぬッ、ほんに偉そうな鬼じゃッ!」
「フフッ、伊達に長くは生きておらぬでな。では弘樹、大天狗、旋風に話を聞きに行くとするかの」
「あ、はいッ!」
立ち上がった千影に促され弘樹も腰を上げる。
「……のう、妾はそれ程に寂しそうであったか?」
「ええ、淡々とお話されていましたが、辛いんだろうなって……」
「さようか……」
「行くぞ、弘樹」
「はい……環さん、それじゃあ」
御簾の先、人の姿に戻った影に声を掛け弘樹は奥座敷を後にした。
■◇■◇■◇■
「で、長が悪いってどういう事だったんだよ?」
木葉天狗の青葉は興味津々といった様子で弘樹の頭の上、パシパシと髪を叩く。
「申し訳ありませんが、環さんと約束したので言う訳にはいきません」
「なんだよそれッ!? 俺だけ蚊帳の外かよッ!!」
「そう言うな青葉。お主にも知られたくない事の一つや二つあるじゃろう」
「そりゃあ、まぁ……でもよぉ、俺は見聞きした事、全部報告しろって言われてるんだぜ」
「見ても聞いてもおらぬのじゃから構わんじゃろうが」
狐の里を出て再び天狗の縄張りへと戻る道中、そんな話をしながら弘樹達は歩みを進めた。
行ったり来たりで目的のきさらぎ駅には中々着けないが、放置して現世に帰ってしまうのも寝覚めが悪い。
それに以前考えた様に、この道中で自分の思った事、やりたい事を実現していけば弘樹は変われる気がしていた。
■◇■◇■◇■
それから三日後、弘樹達は大天狗、旋風の住む武家屋敷の様な家で天狗たちと相対していた。
「やはり若は狐の所に……」
「こうなれば一族総出で狐共と一戦交えて」
「待って下さいッ!! 疾風さんは自らの意思で狐の姫君、夕霧さんの所へ行ったんです!!」
「その通りじゃ。最初に申した通り、疾風が誑かされた訳では無い以上、戦を仕掛け奪い返すのはお門違いじゃろう」
「何じゃとッ!?」
「若は次の頭領じゃぞッ!!」
「……一度戻り事情を説明するというのはどうなった?」
ギャアギャアと烏天狗が騒ぐ中、大天狗の旋風が静かに尋ねる。
長の言葉に烏たちも黙り、畳敷きの座敷は沈黙が支配した。
「……疾風さんは、戻れば幽閉されるのではと考えています」
「幽閉じゃと……?」
「無い話では無かろう? どうも疾風は大事な跡取りの様じゃしのう」
千影は大天狗の両脇、座敷の左右に座る烏天狗たちに視線を向けながら、ニヤッと笑った。
そんな千影に烏天狗たちはギリリと嘴を鳴らす。
「えっと、それでですね。旋風さんにお聞きしたい事がありまして……」
「聞きたい事? なんじゃ?」
「あの、人払いをお願いしたいのですが……」
「何故じゃッ!? 我ら烏天狗は長の両腕ぞ!! その我らが邪魔と申すかッ!!」
「旋風、弘樹が聞きたいのは狐の長についてじゃ」
「環の…………話はこの二人と儂でする。他の者は席を外せ」
「そんなッ、長ッ!?」
声を上げた烏天狗を旋風はギロリと金の瞳で睨め付けた。
「グッ……分かり申した。行くぞッ!!」
「……はい」
忌々し気に弘樹と千影を睨みながら烏天狗たちは部屋を出ていき、部屋に残ったのは弘樹と千影、そして旋風の三人となった。
烏天狗たちが完全に部屋から遠ざかった事を確認した旋風は、右手で額から顎まで顔を一撫でした。
するとその顔は真っ赤で鼻の長い弘樹の知る天狗から、彫の深い精悍な顔立ちの壮年の男性へと変わっていた。
「えっ? 顔が……」
「あれは表向き、商売用の顔って所じゃ。こちらが本来の儂よ……環の事を話すならこっちの方が良いと思うてな」
「腹を割る気になったと言う事か?」
「うむ。して何が聞きたい?」
「えっと、俺達、環さんからあなたと環さんが昔恋仲だったって聞いてて……それで聞きたい事は環さんを選ばなかった理由です。彼女は一族が用意した女性の方が、好みだったからではと言っていましたが……?」
旋風はそんな事まで話したのかと少し驚いた様子を見せた。
「……理由か……人の子よ、儂の顔を見てどう思った?」
「顔を見てですか? ……失礼ですけどちょっと老けているなぁと」
「クククッ、正直な小僧じゃ……お主の言う通りじゃ。天狗は人より遥かに長命なれど、年老いやがて死ぬ。じゃが狐は年を経るごとに妖力を増し儂らよりも遥かに長い時を生きる……環と生きれば彼奴はやがて儂を看取る事になろう」
「……それが嫌で別の人と結婚を? あれ、でも幽世では永遠に生きられるんじゃあ……」
「それは現世から迷い込んだ者のみじゃ。幽世で子を成し暮らす者は長い生を持つが、やがて天と地に還る」
首を捻った弘樹に千影がそう説明してくれた。
「鬼の言う通り。儂ら天狗にも寿命がある……先に逝き、連れ合いを悲しませる事は分かっていたからのう……同じ時を生きる妖狐と結ばれれば死別の辛さも短かろうと思うたのじゃ」
「……環さんは今も一人ですよ」
「何? じゃが娘が」
「養女じゃそうじゃ……のう旋風、お主、環と会ってみてはどうじゃ?」
「今更会ってどうなるというのじゃ」
「……会って、直接、話をすればきっと気持ちは通じる筈です。そうすれば一族同士のいがみ合いも治まるんじゃないですか?」
旋風は数百年前、袂を別って以来、環とは会っていない。
狐が天狗にちょっかいを掛け始めたのも丁度その頃だ。理由は言わずもがな、自分の裏切りが原因だろうと察しは付いていた。
「会うか……」
「はい。環さんと会ってちゃんと話して、その上で疾風さんと夕霧さんの結婚について考えてみて下さい」
「……おかしな人の子じゃ。いずれ現世に還るお前には関わりなき事じゃろうに……」
「弘樹は現世で恋人に振られたらしくての、その所為もあって疾風達には幸せになって欲しいそうじゃ」
「千影さんッ!?」
「なんじゃ?」
「振られたとか、恥ずかしいんで言わないで下さいよぉ」
顔を赤らめワタワタと両手を振る弘樹に、千影は涼しい顔で笑う。
「疾風達には自分から言うておったではないか。それに後悔したくないなら持ち札は全部使わんとの」
「うぅ……」
「後悔か……そうじゃな。この数百年、これで良かったと思いながら、どこかで別の道……環と共に生きた自分の事を夢想しておった……ケジメを付けるべきかもしれんな……」
そう言った旋風の顔は何処かスッキリとした物に変わっていた。
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