弘樹と千影、幽世にて出会う 挿絵あり
幽世、異界、魔界、呼び方は様々あれど現世とは別の世界。
世界がこれほど明るくなる前は重なる事も多かった世界だが、人が電気の明かりを手に入れ闇の少なくなった今では二つが重なる事は人里に置いては少なくなった。
だが稀に重なった世界に迷い込む者もいる。
身長180センチ、黒髪でガッチリした体格の大学生、瀬戸弘樹もその一人だった。
彼女にこっぴどく振られた弘樹を、友人達が傷心旅行だとスノーボードに誘ってくれた。
午前中は天候も良く、弘樹も彼女の事を忘れようと夢中になってゲレンデを疾走した。
だが、午後になって急に天候が悪化、猛吹雪に襲われ方向を見失い、林の中に突っ込んでしまった。
幸い怪我はしていなかったが、木にぶつかった拍子でボードは何処かに行ってしまった。
スマホを取り出してみたが電波は届いておらず、水も食料も持っていない。
そのまま、そこで動かなければ良かったのだろうが、暗くなる空と底冷えする寒さに不安を覚えた弘樹は、ゲレンデに戻ろうと林の中を彷徨い歩いた。
「うぅ……寒ぃ……」
ブルブルと震えながら暗い林の中、雪を漕いで歩く。
しかし吹雪は益々強さを増し体温の低下は眠気を誘った。
やがて彼はその場に倒れ、そのまま雪の中で立ち上がる事も出来ず意識は薄れていく。
自分はこのまま死ぬのだろうか……。
「……これは……人の子か……まさか主様……」
艶やかな女の声と雪を踏みしめる音を聞きながら、弘樹の意識は闇に落ちた。
次に目覚めた時、目に飛び込んで来たのは、オレンジ色の光の揺らめき照らす煤けた天井だった。
ここは……俺は確か林の中で吹雪に巻かれてそれで……。
「気が付いたかや?」
意識を失う直前に聞いた声と同じ物が鼓膜を揺らし、その後、黒髪の女が弘樹の顔を覗き込む。
「わッ!?」
その女の顔を見て、思わず弘樹は悲鳴を上げた。
黒い和服を着たその女の額からは二本の角が伸び、その下の瞳は囲炉裏で燃える炎を受けて金色に輝いている。そして言葉を紡いだ口元からは白く尖った牙が覗いていた。
「助けてやったというのに人の顔を見て悲鳴を上げるとは、まったく失礼な奴じゃ」
女はそう言うと口をへの字に曲げ、プクッと頬を膨らませた。
「えっ、助けた……あ、あの、すいません……」
上半身を起こすと土間と竈のある板の間の囲炉裏端に布団が敷かれ、そこで弘樹はどうもこの異形の女に介抱されていたらしい。
「えっと……失礼ついでにお聞きしたいのですが……あなたは人間ですよね? それコスプレなんでしょう?」
「こすぷれ? 何を言っておる、儂が何かは見れば分かるじゃろう? 儂はお前達が鬼と呼ぶ者の一人じゃ」
「鬼……ホントに……あの、その角触らせてもらっても?」
「別に構わんが……疑り深い人間じゃの……」
突き出した頭の角を弘樹は握り、少し力を入れてみたが角はビクともせず、根元がしっかりと頭から生えている事が確認出来た。
「本物だ…………えーと、それで……俺を助けた理由なんですが…………?」
おとぎ話等では人を喰う鬼もいた筈だ。彼女がもし自分を食料として見ているのなら……。
そんな事を考え、背筋に冷たい物を走らせながら、おっかなびっくり弘樹は問い掛ける。
「近くから人の臭いがしたでな、珍しい事もあるもんじゃと臭いを追ったのじゃよ。そこにお主が倒れておった。あのまま死んで腐臭を撒き散らされても面倒じゃからな……それにかつて仕えた方に似ておったでな」
そう言うと女は寂しそうに笑った。
「仕えた方に似てた……じゃあ、食べるとかじゃあ……」
「食べる? そういう種類の鬼もおるが、儂は人の肉は臭くて好かぬ」
自身を鬼だと名乗った女は、肩をすくめ苦笑を浮かべた。
角や牙、それに金の瞳は異形のソレだったが、切れ長の目にツンと尖った鼻、桜色の唇は整っており弘樹は豊かに動くその表情に気付けば引き込まれていた。
「なんじゃ? そんなに鬼が恐ろしいか?」
「あ、えっと、そうではなくて……そうだ。ここって何処ですか?」
女の顔に見惚れていたと言うのは気恥ずかしかった弘樹は、強引に話題を変えた。
その時には女が鬼である事に対する恐怖心も随分と薄れていた。
「ここか? ここは美生山じゃ」
「美生山! なら美生山スキー場はどっちでしょうか!?」
スキー場と言った弘樹に女は顎に人差し指を当て、小首を傾げた。
「すきーじょう? なんじゃそれは?」
「えーっと、足に板を付けて雪の上を滑るスポーツ……遊びをする場所なんですが……」
「ふむ……現世ではそんな物が流行っておるのか……」
「現世って……?」
「ここは幽世。異界、魔界とも呼ばれる、現世と重なりながら混じらぬ世界……お主に分かりやすく説明するなら、妖や神仙が住まい、死んだ者の魂がひと時、心を休める場所よ」
「えぇぇ……マジっすか……?」
マジとは何じゃ? そう首を傾げる女に弘樹は深いため息を返した。
「はぁ……マジっていうのは、この場合本当ですか? って事です」
「ふむ、さようか……であるならマジじゃ……そういえば名を聞いておらなんだな」
「あ、俺は瀬野弘樹です。二十歳の大学二年生です……助けて頂きありがとうございます」
「うむ、弘樹じゃな。儂は隠千影、年は千五百とちょっとじゃ」
「千五百……とてもそうは見えませんね」
「妖はそもそも老けぬからの」
そんな話をしていると、ぐぅと弘樹の腹が盛大に鳴った。
「ふふ、元気な腹の虫じゃ。少し待て、味噌汁を温め直そう」
「あっ、す、すいません」
頭を下げた弘樹に隠千影と名乗った鬼は気にするなと優しく笑った。
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