閑話休題15『一つの王国の終焉』
国王は完膚なきまでの大敗に、一心不乱に逃げた。これほどは無いだろうと、自分の力で本気の行動をした初めての行動が『逃亡』だった。初めて自身の才能の無さを感じた瞬間だ。彼が最初に、明確に転んだ瞬間だったのだろう。
人間は転んで起き上がる。どんな偉人にも必ず大小の転倒の瞬間がある物。そこで学び取ることができる者は尊ばれるべき存在へ成長し、そこで学べぬ者は次の転倒へ…また次へと機械を浪費する。しかし、人間……いや、生物は転んで学ぶ。幾度でも、致命的にならぬ小さな転倒で学べた者は生き残り、運悪く大きな転倒に出会ってしまった物は消えていく。それはどんな物事でも同じ。ただ、そこで学ぶか学ばぬかはその存在の魂へ業として刻まれるものだと思われる。
果たしてこの王はどのような存在だったのだろう? 転んで起き上がることは簡単ではない。特に大きな損害を被りながら転んだ時は再起にもより多大な労力を要する。……一度も転んだ事もなく、周囲の良心を汲もうとしない。深謀遠慮に欠けた者の結末が今ここにあった。
「な、何故こんなことに! 俺は悪くない!! 無能な将軍、愚図ばかりの領主共が悪いのだ!!」
転んだ事があろうとなかろうと、学ぼうとしない者に成長は無い。自身の行いから目を背け、受け入れることは転んだ時に再起する際に最も必要なことだ。時にはがむしゃらに、時には慎重に起き上がら、再起への道を見据えねばならない。
この男にはそのどちらもないのだ。
転んだ事で起き上がることができない。これまでは起き上がるまでもなく転ぶ前に道が均されていた。もしくは、自身の失敗であるとは認めず、つんのめり、転んだと理解することすらなく逃げていた。その男をどのような理由があれど助けようとしてくれた者は、もう1人として存在しない。これまではこの男の尻ぬぐいをしてくれた者はもう誰一人いないのだ。
王はミズチの大河を挟み相対した南方諸侯の連合軍に戦の序盤から圧され、起死回生の大魔法を発動した魔導師オルフェンテークの一手も防がれた。この時、誰もが負けを確信した。この男は負けを自身の責任とは考えず、兵を捨て、真っ先に逃げ出したのだ。そして、王城の宝物庫に引きこもり、現実逃避を続けるのだった。
「こんなはずじゃなかった。俺は偉大なるファンテール王家の血筋。王祖から続く力ある存在なんだ」
国王リックスは広い宝物庫の最奥へ向かっていた。そこには一振りの剣が安置された祭壇がある。このファンテール王国の王家には、王家にしか伝えられていない秘文が多く存在し。代々の王に受け継がれてきた。それも過去のことである。リックスは前王である父が急死したことで王位を継いだ若い王だ。挫折の経験どころかまともな仕事を行ったこともない。もちろん戦に出たことなどもない。
その王が最後に縋ったのは父から聞くことはなくとも王家に伝わる秘宝だった。
まさに秘密兵器と言えなくもないのだが……。この若き挫折を知らない王は知らない。その秘文の殆どの前提として『王祖の資格を有する者』という条件書きのような文言が添えられていることに。そして、このリックスが勝手に偉大だと思い込んでいる『王家』はまがい物であるとは……知る由もない。
リックスはたどり着いた。その先に見えた祭壇には『聖剣』が突き刺さっている。この聖剣は代々の国王の資格を測り、この剣に認められなければ国王になれないという物だった。そう……『だった』。もう何代も前のことであるが故に、忘却の彼方ではあるが何があったか国王の血筋に『王祖の資格』を持つ存在はほとんど現れなくなっていた。その資格とは『白金色の髪、金色の瞳』である。
「これさえ抜ければ、俺が一人で塗り替えて……。フフフ、フハハハハ!!!! 俺様が王なんだぁッ!!!!」
……が、彼の心は一瞬で折れた。抜けない。抜けなかったのだ。
彼は知らないが、この剣は国王が使う物ではない。代々の国王が国に降りかかる災禍を払うため、剣聖に貸し与える聖なる武器なのである。この聖剣は国王には抜く事しかできない。抜いたのちに使うためにはスキル『剣聖技』が必須。剣聖技が無い場合、聖剣とてただの業物だ。使い手が良ければ普通の剣としては強いが、本来の一騎当千の力は手に入らない。その最後の存在が実はハーマだった。
リックスは絶望した。転んだ事の無い彼の心は簡単に折れる。そして癇癪を起す。彼はその祭壇を蹴りしめた。何度も何度も何度も……。それでも聖剣は抜けることは無い。そもそもリックスの父もこの聖剣を抜いていないのだが。
王国の秘文には王が国難を撥ね退ける為の秘策が数多く存在した。リックスはそれを知らない。表舞台に出ている聖剣などはまだしも、『王祖の迷宮』などは存在すら知らない。皮肉にもその存在を知らぬが故に彼は大きな転倒を期した。リックスは知らない。その秘文がどこにあるのか……。聖剣以外の王祖の遺物がどこにあるのかを……。誰も知らない。その遺物がどこにあるのかを。何故なら、その遺物は本来持つべき者が、その事実を知らずに所持しているのだから。
「クソッ! クソッ! クソッ! 何故なんだ何故なんだ何故なんだぁッ!!!!」
癇癪を起したところでもう誰も宥めてくれない。誰も尻ぬぐいをしてくれない。そもそも自身が王の器であることを疑ったことが無いリックスには、自身のこれまでを顧みることなどできようもないだろうが……。
王祖の遺物が流出した本当の事実を知る者はもうこの世には居ない。
そして、リックスが何度も踏み、蹴り、時に体当たりまでして当たり散らした祭壇が、……不気味な音を立てながら斜めに傾いて行く。リックスはとっさに離れることができたのでその豪奢な祭壇に潰されることはなかった。そして、聖剣は祭壇ごと崩れ、抜けた。結果的に抜けはした。したのだが……。
これがリックスがやってはいけなかった最大の失敗だったのだ。
現在はクロが主となっている『黒鋼の森』。その森は不自然な異常浸食を見せ、王都を避けるようにかなりの範囲を取り込んでいた。黒鋼の森は円形の王都を避けるようにファンテール王国の国土をそれこそ異常な速度で浸食し、荘園や農地を潰し、外縁地ですら以前よりも数段強力な魔物を解き放ち、人々を苦しめていた。
しかし、王都の外壁から数㎞を一定の距離で浸食は食い止められていたのだ。それは……先々代の王が慈悲で残した聖剣が祭壇に刺さっている故の効果であったというのを、リックスは身をもって知ることとなる。これまでの魔境のことを覚えているだろうか? 魔境の魔物は一定の距離に大きな魔素の塊を感じると殺気立ち、そちらへ大挙する。それは魔物が自身の安寧の地を守るために備える本能のような物。人間1人ではそのようなことは起こりえない。人間1人の魔素量など、たかが知れているから。それが数千ともなれば話は変わる。塵も積もれば山となり、魔物を刺激することにつながるのだ。意気揚々と聖剣を掲げて宝物庫から出たリックスは……聖剣の効果でその魔物に襲われることはなかった。しかし、王都は完全にがれきの山と化していた。地下の宝物庫以外、城も街も……その瓦礫以外は何も残っていない。
「な、何が起こっているんだ?」
ここまでのことが起きても察することができないのも経験の無さが理由だろうか? いや、元々この男は王の器ではなかったのだろう。自身を省みることも時には必要なことだ。それがいつまでたっても理解できなかったこの男は……。いつ学ぶのであろうか? リックスは荒野と化した王国の中心だった場所で、ただ茫然と座り込む以外にできなかった。この男には何もできなかった。転ぶ以前に学んでこなかったのだから。学ぼうとしなかったのだから。
少なからず見ていたであろう、先代の王、自身の父から。彼が幼い頃にはまだ存命だった先々代の王の背中を思い出しすらしなかったのだ。それがこの男の最初の過ち。学ぼうとしない愚者は、こうして破滅していった。
「何故こうなったんだぁぁぁぁぁぁッ?!! うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」




