閑話休題46『ヨルムンガンドと吸血鬼』
ヨルムンガンドの欲は尽きない。いろいろな懸案事項はあるけれど、彼女の根底にある一番の部分は『知識の収集』にある。まるで毎日の食事を行うかのように、彼女は知識を呑み込む。これはヨルムンガンドが記した吸血鬼の日常の一片を切り取った記録である。
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その時のヨルムンガンドはトマト畑の中に居た。
彼女の目の前にはカサブランカ一族の長が居る。カサブランカだ。大昔はカサブランカも別の名前を名乗っていたが、カサブランカの名を継ぐことで力を継承しているらしく、今では思い出せないらしい。その周りには彼女の娘のアリア、コッピア、ツーリオ、カルテの四姉妹が粛々と少し緑色の残るトマトを収穫している。トマトにもいろいろな品種があるようだ。それにも興味はあるが、今は吸血鬼の親子や姉妹のことを見ていく。真祖に繋がる吸血鬼は個性豊かである。その姉妹はそっくりなのだが、それ以外はそこそこ顔立ちに違いがあるのだ。これは彼女らの父方の遺伝を強く受け継ぐ故らしい。
そのさらに外側にある別品種のトマトの畑にもカサブランカ関係の一族が居る。
カサブランカの実妹であるエカテリーナ、アントワネット、クレオパトラ、カサンドラ、エリザベスという名の直系筋の真祖吸血鬼だ。その5人の娘も居るので総勢30名ほどの吸血鬼が揃いのツナギに長靴を履いてトマトを収穫していく。現在は午前5時。まだ朝食前の時間だ。そこに少し風変りな服装の吸血鬼が現れる。ヨルムンガンドはその吸血鬼のことを聞いてはいたが、見るのは初めてだった。
「カサブランカのみなさ~んっ!! 朝ごはんできましたよ~!!」
吸血鬼はどちらかというとスレンダーな者が多い。その例外から外れた一族がカサブランカ一族を呼びに来た、『アルセオヴィチ』という真祖吸血鬼の一族である。太っているという程ではなく、あくまでポッチャリという程度の肉付きであるが、かなり腰が細いカサブランカと比べると肉付きはいい。
アルセオヴィチの一族は『調理大好き吸血鬼』だ。
アルセオヴィチ一族とカサブランカ一族の交流は深く、それこそ親戚づきあいのレベルで長年の親交がある。カサブランカ一族の作る農産物はとても品質がいい。吸血鬼は魔素を見る事の出来る魔眼を持つので、魔素の扱いに長けている。それをあらゆる生活に生かすことができるという面が重なりあうことで、この吸血鬼の2家族は親交が深いのだ。そして、もう一家族が反対側から集まって来る。人数的にはカサブランカ一族の半数程度ではあるが、真祖吸血鬼は10人でも居れば大きな家だ。そういう意味では反対側から来た吸血鬼一族も真祖吸血鬼としては大きな家なのである。
反対側から来たのは『ヴィヴィオリット』という真祖吸血鬼の一族だ。
ヴィヴィオリット一族はアルセオヴィチ一族と友好がある『畜産大好き吸血鬼』の一族。カサブランカ一族とは隠れ住む森の距離が遠く、深い交友は無かった一族だ。それでも『農業女子』という共通点も助け、両家族は『豊穣の迷宮』で瞬時に打ち解けた。出会った瞬間に固い握手をして、意味の解らない空間を作っていたらしい。
「ヨルが顔を出すのは珍しいね」
「そう? 気分が乗れば、僕はどこでも行くよ?」
「この前は樹龍のダイエットに協力してたらしいけど、スルは見てないし」
「あの時はちゃんと居たけどな~……。というか、なんでスルお姉ちゃんも僕と一緒に居るの? お婿さんの観察はいいの?」
「うんむ。パパにヨルがやり過ぎるのを抑えるように言われてる。だから、仕事優先」
ヨルムンガンドはスルトと仲が良い。仲は良いが魔物時代に教えをもらった姉で、……頭の上がらない姉でもあるのだ。正直やりにくいが、今回は都合がよかった。身長の問題でトマトよりも低く、頭が出ない2人はスルトの突撃により、アルセオヴィチに誘われて豪勢な朝食の席に同席する。
真祖吸血鬼の文化として、家族主義と族長絶対主義が存在している。この場で最上位は3名。真祖の名を受け継ぐ大吸血鬼であるカサブランカ、アルセオヴィチ、ヴィヴィオリットの3名だ。そのテーブルにはスルトとヨルムンガンドも加わる。次に位階が高いのはカサブランカの妹5名と、アルセオヴィチの妹2名、ヴィヴィオリットの妹3名。別の長テーブルに着く。最後がカサブランカ達の娘達である。中には孫も居るが、それ以降は位階の差は鑑みられずに混同されるようだ。アルセオヴィチに注意され、さすがのヨルムンガンドもメモを止めて朝食の匙を握る。
とても美味なのだが……トマトの比率が非常に多い。別にトマトは嫌いではないが、これほどトマト尽くしではヨルムンガンドには飽きがきていた。スルトは慣れているのか、そのまま大口開けてトマト料理を食べていく。スルトは食べ物をえり好みしない。あれば何でも食べる。飽きるとか飽きないとかもない。あれば何でも食べる。肉体労働を主としているので、彼女は物凄い勢いで食べる。ヨルムンガンドは申し訳なく思いながらも、満腹となりスルトに相談して食べてもらった。あまり体を動かさず、小食のヨルムンガンドにはきつい分量だったのだ。それ以上にトマトばかりで飽きる。飲み物までトマトジュースなのはさすがにどうにかして欲しい。
「ヨル様は小食なんですね~。そんなに食が細いと大きくなれませんよ~?」
のんびりしたしゃべりのアルセオヴィチにそういわれるが、いきなり大量に食べられる訳でもないのである。ヨルムンガンドは隣で大口開けて、明らかにおかしな量を食い漁る姉を呆然と眺めていた。ヨルムンガンドの新たな研究対象が見つかった瞬間である。
この大きな屋敷には60人程の吸血鬼が共同生活しているらしい。ヨルムンガンドが物語や書籍で知っている吸血鬼はあまり群れない。しかし、ここの吸血鬼たちは共同生活になんら疑問はないようで、ヨルムンガンドはその辺りも含めて生活環を聞いて行く。3族長もヨルムンガンドが来ている理由をスルトから聞き、特に抵抗なく教えてくれた。
吸血鬼と言われて最初に想像される8割以上のイメージは、上級以下の下等な吸血鬼。真祖の血筋は吸血衝動は無く、魔人に近い。血を吸いまわる吸血鬼は人に吸血鬼としての力を乗せただけのまがい物なので、吸血鬼としては不完全。真祖の血筋も吸血はできるが、好んで行うようなメリットもない。さらに言えばそういう輩のせいで、住処を追われている側面が強く迷惑している。必然的に狭い場所に多くの血族が固まり、共同生活を行うようになるのだ。争い合うのもデメリットの方が多いので、今では同性の真祖吸血鬼が出会えば共同体として支え合うようになっているらしい。
「私達もアルセオヴィチもヴィヴィオリットも、ダフネ様の縄張りに住んでいた真祖筋なんだ。たぶん、探せば他にもいる」
「ですね~。私が移住する折に4家族くらいの真祖筋にお手紙を出しているので、近々顔を出すでしょうね~」
「ここに住むと……もう帰れない。まさかのダフネ様も居たし」
その発言を聞いて3族長に対し、スルトがいっそう燃え上がる尻尾を物凄い勢いで振るわす。ビビビビビビビビッ!!って感じで。スルトには珍しく、フシューッ!と威嚇音まで出して3族長に訓戒を投げ渡した。どうもカサブランカがちゃんと通達していたのに、スルトはおろかエリアナにも挨拶に行かなかったらしいのだ。ヨルムンガンドは呆れながらこれは書いた方がいいだろう。……と、一言をメモをしているノートに書き込んだ。『女性の真祖吸血鬼は趣味に傾倒しやすい』と。それから、ヨルムンガンドは心に刻み込んだ。スルトを怒らせてはならないと。




