閑話休題32『影は薄いが重要な存在』
今日は初期の移住メンバーながらとても影の薄い獣人族の皆さんの話である。
獣人族の影が薄い一番大きな理由は、人族並みに順応の広い種族であるからだ。寿命が比較的短い点を除けば人族よりも環境順応性や体力面、繁殖力と人よりも優れた種族だと言えよう。その獣人族の中で最も頑張っているのに、全く姿が見受けられない人物。ホノカの一日についてを事細かに語ることとなる。
ホノカはファンテール王国の一都市であったフォレストリーグで、亜人向けの宿屋を経営していた。ホノカは九尾族であり、外観はその大きく目立つ尻尾と耳以外はほぼほぼ人である。そして、人目線でも絶世の美人と言えるほどの人物である。そのホノカは現在エリアナ女王国の政務長官として辣腕を振るっているのだ。
彼女の朝は執務室に勝手に取り付けたハンモックの上で始まる。宿屋をしていた時から抜けない習慣で太陽がまだ出てこない時間に目が覚める。ここは迷宮なのであまり太陽の出入りは関係ないが、彼女の体内時計は正確だ。これもクロにわがままを言って付けてもらった洗面台と化粧台で身だしなみを整える。そして、ホノカの忙しい一日が再び始まるのだ。
「ほら、コノハ、起きなさい。仕事始めるわよ」
「…………ねぇ、お母さん、もう宿屋の時みたいに夜明け前に起こすのやめてよ。お城務めになったんだからもっとさぁ」
ホノカの政務室に寝袋や私物を持ち込んで泊まり込んでいるのは、ホノカの義理の娘のコノハである。化け狸という妖獣の一種で、算術や書類整理などに長けているので今では政務副長官だ。血の繋がりは無い2人ではあるが、本当の親子以上の絆が感じられる。ホノカの号令にコノハは不服ながらもふんわりした自慢の尻尾をブラッシングし、柔らかいボブカットの寝ぐせを押さえつける。化粧はしないのがコノハ流。
この政務長官室は各所の政務に関わる部署の報告書を受け、その記録を行い中継するというとても面倒な職場である。
他にも人族や妖精族中心に獣人族も多くこの事務処理のタスクをこなす人員が居るのだが、ホノカの仕事は減らない。日々規模の上がっていくエリアナ女王国のあらゆる政治関係の書類が中継しているのだ。減るどころか増える。人も次々増えるが、書類の方が多く増える。最近では龍族も職員として入りつつあるらしい。ここでホノカの特技が爆発する。コノハも同じ術が使えるので副長官に任命されたのであるが。『分身の術』である。この術がなければこの部署は回っていないだろう。
「えっと、今日は法務、総務、外交部以外は大きな変化なし」
「なら今日は早めに上がれそうだね~」
「そうね~。久々にクロ様の所に行って来たら?」
「……お母さんも言うようになったよね。最初はあんなに恥ずかしがってたのに」
「そうね~。一度経験したせいかそういうの気にならなくなったのよ。元々九尾はそういう種族らしいし?」
ホノカは初期の移入者で、かなり早くに女王候補としてセリアナに目を付けられていた優秀な女性である。その理由は様々なれど、セリアナの見る目は確かでホノカは初期こそ戸惑いと手探りの仕事に疲労困憊だったが、今では流れるような手つきと効率を見せる。ホノカは既に身篭っているので、ここ最近は休日にクロと談話室で語らう程度である。だが、それでも初期の彼女とは違い、艶がのったまさに妖狐と言える仕草が見え隠れしているのだ。
そのホノカは今度は娘達のことを気にしている。
今は現状の妊娠者が出産するまで……おおよそ八か月ほどだろうとは思われるが、その間は妊娠者を出さないようにしているとはいうけれど。ホノカがフォレストリーグのスラム街から拾った娘達三人も獣人族としてはもういい年齢だ。そろそろ子どもの1人も居てもいい年齢ということである。最近まで男性経験すらなかった32歳がよく言うよ。……と娘のコノハは返すが、その義母からの心配はちゃんと受け止めているコノハ。
長女の猫の妖獣である二又のコスズと三女の兎の聖獣族のコヅキとも緊密に話している。
実は長女のコスズは現在ヨルムンガンドの調剤所で上級錬金術師として働いていて、ヨルムンガンドとも仲が良い。よって、エリアナ女王国の調薬部門の長からとあるものをもらう事は造作もないのだ。実はヨルムンガンドの薬も完全ではない。いくらかの抜け穴を通ると、彼女の避妊薬の効果を掻い潜りおめでたを狙う事ができる。
「それは問題ないのかしら? バレた時のことは知らないわよ?」
「既に数人いるらしいから……。怒られるとしたら、その薬をバラまいたヨルちゃんだと思う。確か、キアント=ミアさんがおめでたで、ドワーフのキールがたまたま妊娠しちゃったらしいし」
種族差があるのは仕方ないのである。その穴を突く方法でじわりじわりと数が増えつつあるが、そもそも移入者が多いので特に困っていないのだ。あと、一番の変化はクロの変化であろう。最初の頃のクロは一夫多妻にも好感が無いようすだったが、それも時間を経るごとに変わった。最近ではちゃんと彼の休みの日さえ用意すれば、何人寝室に押し掛けても文句も言わない。少し前なら、もう嫁は増やさんと宣言していたのに、この変わりようは大きいと思う。
他の獣人族の族長の娘や聖獣の一族、妖獣の一族など血を残さなくてはいけない種族は多い。
事細かに語ってはいられない程に獣人族はモデル数が多く、その都度の紹介とは成ろうがこれからも獣人族は繁栄していくだろう……。と、ホノカは確信した。
そこに2人の夫であるクロがノックをして入室の許可を取ってきた。ホノカが許可を出すと、外務関連の書類を持ったクロの姿がそこにはある。ホノカは元から母性の強い性格をしており、初対面の爬虫類の時は別にしろ、人化してよりのクロに関しては一目みた時から気に入っていた。それは今でも変わらない。屋敷の談話室の時もそうであるが、ホノカは仕事そっちのけでクロを手招きして自分の太ももを軽くたたく。
「ねぇ、ホノカ……仕事はいいの?」
「今日は少ないの。たまにはいいじゃない」
「ははは。まったく、最初の頃とは大違いだね」
苦笑いしているクロを抱きかかえ、ホノカは彼の頭をなでつつしっかりとクロの体臭を嗅ぎ取る。一度始まると10分はこの癒しの時間を堪能しているので、さすがにクロも諦めて動かない。これがホノカの精神安定に寄与していることを知っているので……。一時期のホノカは忙しすぎて発狂していた。そのホノカの求めた癒しがこの行動なのだ。
そのホノカの癒しタイムが終了すると。今度はコノハがクロの脇へ両手を滑り込ませて抱き上げる。
クロはいくら身長が伸びても130㎝のショタである。獣人の成人女性には軽い物で、そのままコノハも椅子に座りながらクロを堪能する。この親子は血の繋がりは無い。しかし、似た物親子である。実はここに来る前に『紅宮』に行っていたクロは、ヨルムンガンドを抱きしめているコスズを目にしていた。クロはいつも諦めたように撫でられ、大切な妻の精神安定のために今日も働く。影は薄いが個性は濃い獣人族の皆さんには実は皆さんこういう傾向がある。ホノカやコノハがマーキングしているので、クロへ過度な接触をしないだけで……。実は皆が求めている。クロという魔人がもたらす癒しを。