Metamorphoses②
「……悪魔達は人間を食べて、その血や肉、そして魂をエネルギーにして人間の世界では考えられない様な現象を起こすの」
含みのある沈黙の後、ケイトが説明に戻る。
「人間を喰って力をつけて、その力を使って人間に対して罠を張り、そしてより多くの人間を喰らう……という事ですか?」
「そうだな。悪魔の目的はそれで概ね間違いない。次は……俺達の事か」
「そうですね。じゃあ、シャーリーちゃん。説明してみて」
ヴァンが次の説明事項を確認し、ケイトがそれをシャーリーに任せる。当のシャーリーは嫌そうであったが、ケイトにはあまり逆らわないのか少し考えてから説明を始める。
「私達は『人間』でも『悪魔』でもない、強いて言うならその中間の存在ってところよ。『半人』とか『半魔』とか自称してるわ」
人間と悪魔の中間。それを聞いてようやく風雅は納得した。悪魔と同じ様に人間が本来持てない力を、シャーリーは有していた。
自在に炎を操る術など、人間には扱いようもない。だというのに人間である風雅を守って悪魔を討滅するという行為に、説明を聞きながら矛盾を感じていたのだ。
「要するに。悪魔の手から人間を守る存在が、ここにいる皆さんって事ですか?」
「そう、正解よ。賢いわねぇふうちゃん」
自分達の事を言い当てた風雅を、ケイトは少し垂れた目を瞑った満面の笑みで褒める。そんなふうに何の屈託もない眩しい笑顔で褒められると、風雅も表情筋が蕩けそうになる。
そうしているとまたシャーリーの足に踏まれる。二人が睨み合っていると、ヴァンが話を切り出す。
「と、ここまでの話で俺達がお前に敵意がない事は判っただろう。だが風雅。俺達の『半人』『半魔』という自称を聞いて、何か思うところはないか?」
「んー。何かこう、その呼び方を二つ並べると……悪魔と人間が混ざったみたいな呼び方に聞こえますね」
「……中々聡明じゃないか」
すると一瞬、ヴァンが風雅に向けて微笑んだ気がした。あまりに刹那的な短さだったのでよく確認できなかったが、恐らくそうだ。
一瞬の出来事だったので判り難かったが、笑顔は意外にも優しげだった気がする。
「そう、私達は元人間。悪魔に接触した事で少しだけ悪魔に近付いてしまった人間が、私達よ。言いたかないけど、アンタと同じって訳」
シャーリーが不満そうな表情で言う。苦い顔のシャーリーを睨んでいると、ふと列車内で彼女が炎を操っていた事を思い出す。
「ん……でも、シャーリーもヴァンさんも悪魔と同じ様な特殊能力を持ってますよね? って事は、みんなも人間食べたりとか……するんですか?」
先程、悪魔は人間を喰って得たエネルギーで異能を振るうと聞いた。ならば彼等半人にも同じ事が言えるのではないだろうか。そう風雅は考えた。
「……なら次は『世界』の事について話そう」
風雅の言葉を聞いたヴァンは、彼の疑問とは関係のなさそうな話題を出す。順を追って説明する必要がある、という事だろうか。
「悪魔は自分達の世界から飛び出して人間を襲う、そう聞いたな? それは何の比喩でもなく、悪魔は人間やその他の動植物が暮らす世界とは、全く別の世界からやって来るんだ」
「……別の世界。それは『魔界』とか『地獄』的なニュアンスでいいんですか?」
別の世界という表現からは、他の国や場所の様に『何らかの交通手段で行ける場所』ではなく、漫画等のフィクション作品で言う『次元の裂け目』や『ワームホール』の様な場所を通って行く『平行世界』的な印象を受ける。
何を言っているのか判らない、とでも言いたげにヴァンとシャーリーが顔を見合わせていたので、ケイトが苦笑しつつも風雅の問いに答える。
「多分そんなイメージで間違ってないわね。人間の世界をどれだけ行っても行けないような場所から、悪魔達は来るの」
「なるほど……その二つの世界が、地球上にはあると」
「そうだな。人間達の暮らす世界を単に『第一世界』と呼ぶ者もいれば『生界』や『正』『現世』と呼ぶ者もいる。逆に悪魔達の世界は『第二世界』『穢界』『負』などと呼ばれている。だが……世界はその二つだけではない」
今まで過ごした第一世界。自分を陥れた者の住まう第二世界。
そこまで考えて、風雅は「そうか」と納得する。
「半人達の住む世界……つまりここはどっちの世界でもない?」
「アンタさ……理解が早過ぎて気持ち悪いんだけど」
「は!? 理不尽だぞ!」
風雅が事実を言い当てると、シャーリーが心底嫌そうに目を細めて罵る。
「ま、シャーリーの言う事も判らんでもない。随分とすんなりこの状況を受け入れるものだな」
「いやまあ、実際ファンタジーだと思ってたものを目にしてしまったんで……」
現代の世界に突如現れた前時代的な列車。その中にいた、人でない青肌の乗客達。そして──人間と同じ見た目をしながら、炎を操る能力を持った少女。
それ等を実際に目の当たりにした風雅は、そういった空想的な現象が確かに存在するとその身で体験してしまった。あまりにも簡単に受け入れ過ぎなきらいはあるが、直面してしまったものを素直に認める事もまた大切だろう。
「……それもそうか。とにかくここは第一世界とも第二世界とも隔絶された、いわば『第三世界』。悪魔と出会したものの生き残り、悪魔の力をその身に宿した者達の世界だ。ここで過ごしていると、力が回復するんだ」
風雅がヴァンの言葉に少し戸惑っていると、ケイトが「ゲームの宿屋みたいなものよ」と口を挟む。風雅はそれで何となくは理解できた。
悪魔は人間を喰らう事でしか回復を行えないが、半人はこの第三世界にいるだけで回復ができる。それにより異能を発揮する事ができるという寸法だ。
(つまり、ここにいるヒト達は人間を喰わないって事かな)
風雅は自分の疑問が解決したのを「なるほどね……」と呟きながら察する。三人はそれに頷き、シャーリーが話題を切り替える。
「で、本題はここから。アンタに訊きたい事は二つ。アンタの死体を用意した方がいいかどうか。それと、アンタがこれからどうするかよ」
「死体……」
ヴァンが発した最初の話題まで、ようやく戻ってくる。風雅はどういう事かと問いたい気持ちを抑えて、自分で考える。今話題が戻ったという事は、これまでの説明に自分の死体を作る必要がある理由が隠れているはずだ。
(俺が今まで過ごしてきたのは第一世界。そここは半人達のための第三世界。そしてあの時のシャーリーの言葉。つまり……そういう事か?)
「俺はもう……元の世界では生きていける身体じゃない、って事ですか」
重い口調で風雅は発し、恐る恐る三人の顔を見回す。
シャーリーはバツが悪そうに目を逸らし、ヴァンはただじっとこちらを見つめたまま。ケイトは悲しそうに目を細めて俯き気味に手を胸に当てている。
「そうよ。何も二度と第一世界に行けないって訳じゃないけど、あっちの生命力に満ち溢れた空気は、悪魔の力が宿っている私達には毒みたいな物よ。中に在る力が膨れ上がって、悪魔に近付いていっちゃうの」
「俺達が何の影響も受けずに第一世界に滞在できる時間は、陽の光を浴びない事を前提に最大六時間程度。陽の光を浴びればその間、制限時間は倍の速度で減っていく。それでは元の生活はできないだろう?」
訊かれて、風雅は黙って頷く。
──もう、元の生活には戻れない。
突きつけられた真実に風雅は、何故かあまり悲しめずにいた。友人二人の姿も、幼馴染やその父母の顔も思い浮かぶ。そんな人達ともう話せない。触れ合えない。
自覚はしているのに、悲しいという感情が湧きはしたが溢れない。悲しくない自分に悲しむくらいだ。
「そう、ですか。それで死んだ事にする、と」
「え、えぇ。そうよ。貴方の親しい人が、貴方を諦められる様に」
あまりに早い状況理解に戸惑いつつ、ケイトは風雅の考えを肯定する。
「なら、お願いします。俺の死体を作って、諦めをつけさせてください」
「……判った。ならば後で俺が用意しておこう。それで、お前のこれからの話なんだが。俺達半人がここで暮らすにあたって、担う役割は大きく分けて二つ。この世界の住民の暮らしを支えるか、第一世界に赴き悪魔達から人間を護るかだ」
あっさりと一つ目の話題を終え、話は風雅のこれからのものへと移る。
「悪魔達から人間を守る……つまり、悪魔を倒す仕事って事ですよね。シャーリーがやった様な」
言いながらシャーリーの方に視線をやると、当の本人が「そ」と簡素な返答をしつつ頷く。
「実際に目にしたんでこんなこと言うのもアレなんですけど、勝てるんですか? 半分だけしか悪魔じゃないのに、純粋な悪魔に対して戦って」
半人であるシャーリーが、単身で悪魔の集団を薙ぎ払う様に倒したのはその目で見たが、少し理屈として通らないと思った。半分が悪魔でもう半分が人間なら、宿す力も悪魔の半分しかない、という事にならないだろうか。
「悪魔にも強さに差はあるからね。人間を半人にできるのは、強い悪魔だけなの。弱い悪魔よりは私達の方が力に優れてるわ。それにもし強い悪魔を相手にする事になっても、上手く連携を取れば勝てる可能性は見出せるのよ」
「なるほど……あれ? いやでも」
それでは今度は根本的に風雅がここにいる理屈が通らない。自分を噛んで傷付けたのは、ケイトの言う『弱い悪魔』だろう。なのに何故、自分は半人と化してしまったのか。
「あの時列車の中にいたのは弱い悪魔だけと聞いているけど、恐らくあの列車自体は強力な悪魔が操っていると思うわ。列車を一つ丸ごと操作して、その中に悪魔を大人しく座らせていた。そこまでの状況を用意できるのは、知能的にも能力的にも上位に位置する悪魔だけだもの」
「それで、強い悪魔の支配下にある弱い悪魔から攻撃を受けたから、俺は半人になった、と」
「そういう事ね。もしくはあの場所にいた悪魔達が、強い悪魔が産み出した分身の様なものの可能性もあるけれど。どちらにしてもそう大差はないわね」