Metamorphoses①
目を、覚ます。
長い前髪を掻き分け、上体を起こして周囲を見渡す。
「俺の……部屋だ」
思わず呟く。先程までいた列車も、異形の乗客達も、そして──炎の少女も夢だったのだろうか。
この部屋は恐らく風雅の部屋だ。レイアウトも家具も、壁も床も自分の部屋と一致している。パッと見たところ、本棚にある漫画まで同じ物が揃っている。
(でも、夢にしてはあまりにもリアルだった)
そう考えて、風雅は首筋と脇腹に意識を向ける。痛みはないが噛まれた感覚はリアルに存在しており、あれが夢だとはとても思えない。
シャツの裾を捲り、噛みちぎられた箇所を確認する。
そこには元通りの身体があった──のだが、その辺りに黒い模様の様な何かが刻まれていた。
円形で、中心から伸びる花弁か風の様な曲線が何百何千と描かれており、見ていると妙に動悸が激しくなる。
(つまり、あの出来事は夢じゃないって事だよな……)
だとすれば少女の発言通り、今までの様には生きられないのかも知れない。だが今現在風雅がいるのは、今まで通りの空間だ。
不思議に思っていると、ふと閉めたカーテンから光が漏れているのに気付く。夜が明けたのだろうか。
そう思いカーテンを開くと、少女の言葉が真実である事が判った。窓の外の風景が、普段見えていたものとまったく違っていたからだ。
まず目に入ったのは、向かい側に立つ何軒かの木造家屋。驚く程簡素なその家々は、今までの世界よりもずっと昔に来たのではないかと錯覚させる。
窓と家屋の間にはそこそこ広い空間があり、そこには芝生と噴水のある庭園が広がっていた。落ち着きのある石畳の道といい、白い石製の噴水といい、家屋に対して時代感が進み過ぎている気がしないでもない。
カーテンを閉め、風雅は身体を丸めて混乱した頭を落ち着けようとする。
(ここはまさか……死後の世界? いや、そうだよな。そもそも俺はあの女の子の手を取らなかったんだし、そのまま焼け死んだか? いやでもそんな無情な子には見えなかったし……そもそも、俺がそう答えた後何かあの子にされなかったか?)
気を失う直前の記憶は、あまりない。それを懸命に思い出そうとし、風雅はうんうんと唸る。
「あっ……!」
風雅は一つ思い出し、眉間に皺を作る。
そして素速くベッドから立ち上がり、ドタドタと怒り肩でドアに向かう。
バンとドアを開け、一歩踏み出そう──とすると、ドアの前に件の少女が立っていた。
「いやがったな槍投げ女!」
「起きたのね投げやり男」
風雅が気を失う前の彼女の蛮行に抗議しようとすると、ものの見事なカウンターを食らう。頬に綺麗なパンチを受けた様な感覚に見舞われる。
風雅の発言通り、彼女は「どっちでも良い」と言った彼に向けて槍をぶん投げたのだ。石突の方を向けて、ではあるが。
少女は「起きたんならついて来なさい」と風雅の怒り心頭な表情に目もくれず、いかにも私は何もやっていませんという態度で身を翻して歩き出す。
あまりにもあっさりと受け流された風雅は、鳩が豆鉄砲を食った様な顔で少女について行く。
廊下に出てから気付いたが、この家屋自体は他の物同様木製らしい。部屋の中は自分のいた時代の物でできていたのはどういう仕掛けだろうか。
「なあ槍投げ女」
それを訊くべく、少女に呼びかける。ひどく失礼な渾名で。
「シャーリーよ。シャーリー・ベル。これから『お仲間』になるんだから、名前くらい覚えて」
こちらに左目を向け、鬱陶しそうに名乗る少女改めシャーリー。槍投げ女で定着するのは余程嫌だったのだろう。
「んじゃ、シャーリー。家は木造だったのに、何で俺の部屋はこう……俺の部屋と同じ材質だったんだ?」
外に出ながら、風雅は問う。外気は寒くはないがどこか冷たく、寂しい感じがする。空の色は夜の藍色でも昼の水色でもない青で、何か違和感がある。
「ヴァンさんがアンタの記憶を元に部屋を作り変えたの。この辺の家は全部ヴァンさんが作った物だから」
「ヴァンさんって? 大工さんか何かか?」
「これから私達が会いに行くヒトの事よ。取り敢えずついて来て」
以降は黙ったまま、シャーリーに先導されながら家を出て左手にある大きな城に入る。
城内は灯りこそあるが疎らで、どちらかといえば仄暗い。石製の壁や床に立派な赤絨毯こそ引かれてはいるが、寂しげな空気感は外のものと変わりない。
城に入って左手の廊下を進み、手前から数えて三つ目の部屋にシャーリーが入る。それを追いかけて入ると、中には二人の人物が待ち構えていた。
「…………来たか。シャーリーが連れて来た人間」
「はじめまして。身体はもう痛くありませんか?」
一人はぽつんと置いてある椅子に座った男性。限りなく黒に近い深緑の髪を目元まで伸ばした、スラックスに革靴、羽織ったフード付きのコートまで黒い男性だ。ただくたびれたYシャツだけが白く、喪服を想起させられる格好だ。
その男の特徴は、まずはその長身だ。座っていても判る程のその身長は、恐らく二メートルは超えているのではないだろうか。そして恐ろしい程身体が細く、黒ずくめの服も相まって枯れ木の様な雰囲気がある。
目元と口元に皺があり、それが男の纏う影をより強くしている。
もう一人は、その傍に立っている女性。夜空を思わせる藍色の長い髪と、思春期の風雅には目の保養……もとい目に毒な程実った身体つきが目を引く。
青いドレスに透けた白のストールを巻いており、手には肘まで隠れる程の長手袋をつけている。
もう一つ特徴的なのが、向かって左の瞳が薄い金色で、逆の瞳が銀色のいわゆるオッドアイだ。その光の強い目を細めて微笑む姿は、海を思わせる慈悲深さが感じ取れる。
「……名前は?」
ゆったりとして少し掠れた、しかし低く確かな声色で男性が風雅に名を訊く。
「花鳴風雅、です……」
その静かな威圧感に圧され、少し詰まりつつも名乗る。
「ダメですよ。名前を訊くのなら、先ずは自分から名乗るんですよ?」
女神様の様な優しい笑顔で、男性に注意を促す女性。男性は視線だけで彼女を見て「……すまない」と素直に謝る。もしかしたら見た目が怖いだけで優しい人なのかも知れない。
「俺はヴァン。ただのヴァンだ。ここでは『死体屋』と呼ばれてるな」
「私は流海ケイト。ここで彼の付き人をしています。あと彼の死体屋は自称で、他の方に呼ばれてはいません」
ケイトが丁寧にお辞儀をし、それを見ていたヴァンが倣って軽く会釈する。風雅もそれに釣られて「どうもどうも……」などと言いながらおずおずと頭を下げる。
「それで……お前の死体を作るべきか?」
「──!? ちょ、ちょっと待ってください! 俺何も判らずにここに連れて来られて……それに死体? ってどういう事ですか!?」
ヴァンが和やかな自己紹介を終えた途端いきなり物騒な話題を切り出したので、風雅は慌てて現場の確認を申し出る。
「……まあ予想はしていたが、やはり何も知らずにあの列車に乗ったらしいな」
言ってヴァンは視線を床に向ける。
すると一瞬にして立っている三人の前に木製の簡素な椅子が現れた。風雅がそれに驚いていると、ヴァンが「座って話そう」と促す。
シャーリーとケイトが何の躊躇もなく椅子に腰掛けるので、風雅も倣って椅子に座る。ヴァンは顎に手を当てて「何から話そうか……」と思案する。
「まずはあの列車の話をしましょう。風雅くんだから……ふうちゃんで良い?」
ケイトが風雅に向けて、彼に似合わぬ可愛い呼び方をする。風雅はあまりそういった呼び方はむず痒くなるので好きではないのだが、ケイトの様な大人の美女に「ふうちゃん」と呼ばれた途端、むず痒さの中に何か温かなものに包まれる様な心地良さを感じてしまう。
「え、えぇ。構いませんよ」
風雅は少しニヤついてちゃん付けを肯定する。そのニヤケ面に下心を感じたのか、シャーリーが軽く風雅の足を踏む。その光景におどおどしながらも、ケイトが風雅に向けて説明を始める。
「えぇと……ふうちゃん。貴方の乗った列車はね、人間じゃない──悪魔と呼ばれる者達が創り出した物なの」
「悪魔……実在するん、ですね」
実在するんですか。そう訊こうとしたが、風雅には実際に『悪魔』と思しき異形の者供と相対し、殺されかけたという実体験がある。
「……そう。悪魔、悪鬼、妖怪、怪物……お前の国の言葉だけでも、言い方は様々だな」
「怪物……っ」
その単語に、風雅は必要以上に反応してしまう。彼にとっては苦い幼少期を思い起こさせる言葉だ。
「言い方は私達も定めていないから、今は悪魔と呼ぶわね。その悪魔は自分達の世界から飛び出し、人間達の世界で色々な罠を張って人が来るのを待っているの。噂を流したり、人間に化けて悪魔を召喚する儀式をやって見せたり」
前者のパターンは風雅が引っかかった『銀河鉄道』がそれに当たるだろう。後者は『こっくりさん』などがそれに当たるだろうか。風雅はあえなく失敗したが。
「人を呼び寄せて、殺すんですか?」
「喰うのさ。人をな」
切り込む様に、ヴァンが風雅の疑問に答える。鋭い声色ではあったが、どこか嘲る様なニュアンスを含んでいる気がした。