銀河鉄道の夜②
バッティングセンターで一通り身体を動かし、明日の弁当と夕飯の材料を買って風雅は帰宅する。
「ただいまー」
「ん、おかえり。ちゃあんと夕飯前に帰って来たわね」
シンプルな紺のエプロンをつけた深月がキッチンから声をかけてくる。
買い物袋から食料を冷蔵庫の適切な場所に入れながら、風雅は「母親みてーな事言いやがって」と悪態を吐く。いつも通りの風雅の言葉に、深月は「だったらもう少し大人になりなさい」といつも通りに返す。
「ご飯もうちょっとでできるから、座って待ってて」
深月は風雅の悪態をさらりと受け流し、コンロの料理に目を配る。
風雅はキッチンからリビングに戻り、机にスマートフォンを置いて座布団にどっと腰掛ける。
画面を開いてまず出てきたのは、メモ帳に保存しておいた『銀河鉄道』に関する噂話。
今までの『都市伝説ハント』でもこうして情報をメモに残す事はしていたが、改めて見ると『銀河鉄道』は情報の密度が圧倒的に高い。
それだけ真実味のある説なのか、はたまた風雅が無意識下で躍起になって集めていたのか。それは風雅自身にすら判らない。
(天に昇っていく列車、か)
心の中で呟いて、フローリングの床に背中を預ける。
──その列車は何処まで行くのだろう。その列車の名前の由来となった物語の中では、空を往く列車に乗った少年の内一人は、行方不明となってしまった。
(行けるのなら行ってみたい。何処までも高い場所に。そうしたら……)
「はい、お待たせ」
風雅の思考を遮る様に、同居人の声が近く聞こえる。
「ん……」
身体を起こして、机上に並べられた料理に目をやる。今夜のメインは豚の生姜焼きらしい。
すうっとその芳しい匂いを鼻孔に頬張り、空っぽの胃袋に喜びの鐘を鳴らす。
エプロンを畳んだ深月が座布団に座ったのを見て、風雅は箸を二人分用意する。
「「いただきます」」
二人同時に食前の挨拶を行い、料理に箸をつける。
テレビ番組を話題にしたり、近所のおじいさんが採れた野菜を分けてくれたなどと他愛のない話を交えながら、食事の時間は進む。
「ごちそうさまでした」
主に相槌を打つだけで口数の少なかった風雅が一足先に食事を終え、手を合わせる。
一足遅れて深月が食べ終えると、風雅は空いた食器を纏めて流し台に持って行く。
洗い物を終えて再び座布団に腰を落とすと、深月が熱いお茶を注いでくれた。
「……ねぇ、風雅」
「何だよ」
深月が何やら言いにくそうにしながら話しかけてくるので、風雅もどこか緊張した面持ちで反応する。
「中学卒業してから二人暮らしになったけどね。私時々、夢を見るんだ」
「へぇ、何の?」
「……風雅がね、どこかに行っちゃう夢」
そう言った深月の表情は、その儚さのある美貌も相まって消え去ってしまいそうな程寂しさに満ち溢れたものだった。
伏し目がちに細まる瞳。堪える様に、しかし悲しさを隠せずキュッと結ばれた口元。
見た夢の意味する事には諸説あるが、深月の見たものは恐らく彼女が深層心理で恐れている事を映し出したものだろう。
「は、はは。たかが夢でそんなに悲しそうな表情すんなって」
笑い声を無理矢理押し出して、風雅は深月を励ます。昔は深月のその表情をよく見ていた気がする。その度自分はもっと上手く励ましていた記憶があるものの、今は上手くできない。
「ふふ。そうだよね。夢なんかで悲しくなってたら、ダメだよね」
言って深月はニコリと笑い「変な話してごめんね」と謝る。
風雅はその笑顔と言葉がチクリと胸の内に刺さる錯覚をする。
「でも、危ない事しちゃダメだよ? まあ宮川君と目黒君がいるから、大丈夫だとは思うけど」
もうすっかりいつも通りな深月は、また母親の様に風雅に注意する。
「わーってるわーってる。そういうのはまあ、できるだけ避けるようにするから」
「できるだけって何よ。もう……風雅がいなくなっちゃうと、この家広過ぎるんだよ? お父さんも帰り遅いんだし」
どこか曖昧な返答に、ムッと口を尖らせて深月が言う。
その後は至って平穏な、食後の団欒の時間であった。
深夜一時。コツコツと秒を数える壁掛け時計の音を聞きながらベッドに身体を投げたままの風雅は、暗い部屋で考え事をする。
今から七年程前だろうか。風雅は本当の両親と共に旅行に出かけていた。
目的地は何と言っていただろうか。もう覚えていない。何故なら風雅達が乗っていた飛行機は、彼等を正しくその場所へ導く事なく墜落したのだから。
原因不明の飛行機事故。生き残った人間は、当時まだ幼児だった花鳴風雅ただ一人だけだった。
覚えているのは、赤々と燃え上がる木々と跡形も無く潰れた飛行機。青いはずの空を塞ぐ黒煙。
そして自分の目の前に立っていた──怪物。
赤毛で薄青い肌をした、人型の何か。両親の死に顔ではなく、そんないるはずもない怪物の姿を覚えていた。
暫くして風雅は親戚の家に引き取られたが、彼が「怪物を見た」という主張をいつまで経ってもしているのを気味悪がった親戚は、風雅を冷遇した。精神的な病気を疑い、表に出すと彼等の体面上よろしくないという考えがあったのだろう。
それを見兼ねた深月の父──雪代統が、半ば無理に風雅を雪代家に招き入れた。
統は風雅の主張を一切否定せずに受け入れ、温かな食事と寝床、そして彼の帰りを迎える家族を提供した。
風雅を頻繁に外出に連れ出し、深月の母──静樹も多少無理を押してでも共に出かけ、統と共に見守ってくれた。
(統さんも静樹さんも、まるで本当の家族の様に俺を扱ってくれた)
胸に置いた右手を、ぽすっとベッドに投げる。
少しだけ目を瞑る。
(雪代の人達には感謝してもしきれない。だから深月の言う通り、危ない橋は渡らない方が良いに決まってるし、それで捕まりでもしたら迷惑をかけてしまう。でも──)
立ち上がる。
(呼ばれている気がするんだ。乗れば逢えるって)
部屋着を脱ぎ、白い柄シャツと黒いジーンズに着替える。
(俺を産んでくれた、もう一人の父と母に)
音を立てないようにして、部屋を出る。二階建ての雪代家は、二階に個々人の部屋が集中している。無論風雅の部屋もそこだ。
深月と、今はもう帰宅して眠っているだろう統に勘付かれないよう細心の注意を払って一階へ降り、玄関の扉を開ける。
後ろ手にドアを閉め、周囲を確認する。近所の顔見知りに呼び止められると厄介だ。
誰もいない事を確認し、足音が鳴らないよう配慮しつつも急ぎ足で白崎駅へと向かう。
目的地である白崎駅は、雪代の家から歩いて十分程度の場所にある。住宅地に程近い場所にある、各駅停車しか停まらないような駅だ。
だが駅前となると、それなりに飲食店やら薬局やら本屋と店が並んではいる。それでも深夜一時となればコンビニとファストフード店以外は閉店しているが。
住宅街を抜け、駅前の区間に入る。
時刻は午前一時三二分。二時まではまだ時間があるが、細かな時間はブレるかも知れないという懸念と、逸る気持ちが抑えられなかったという思いが背中を押してこんな時間に駅まで来てしまった。
(流石にちょっと早過ぎたかな)
少し錆びたフェンス越しに線路を覗きながら、風雅はそんな事を考える。
白崎駅は一度階段を昇って切符売り場及び改札口まで行き、そこを通過して内部の階段を降りるとホームに繋がっている、という構造になっている。
終電の終わったこの時間では、改札口に繋がる階段は当然シャッターで遮られている。それは事前の調査で判っていた事だ。
「さて、と」
そこで風雅が考えたホームへの侵入方法は、何の工夫もないストレートな手段だ。一度駅から外れて踏切から線路内に侵入し、そこから歩いてホームに入る。という手段だ。
風雅は白崎駅とは逆方向に線路沿いを歩き、一番近い踏切を目指す。
そこに、見慣れた人影があった。
「……なんだ、結局来たのかよ?」
黙って眼鏡を拭くその少年に、フランクに──しかし何処か喧嘩腰な強い語気で──声をかける。
少年──目黒小太郎は拭き終わった眼鏡をケースにしまい、グレーのテーパードパンツのポケットに放り込む。
「バッティングセンターでもちょっと様子が違ったからね。もしかしたら、と思って来てみたんだけど、正解だったね」
蒼いブラウスの襟を正し、小太郎はその細く鋭い目で風雅を睨む。
どうやら、一緒に白崎駅まで行こうとしている訳ではないらしい。
そう長い年月の付き合いではないが、小太郎のこの雰囲気はよく知っている。
中学の時によく見た、臨戦態勢だ。
「一応訊いとくけど……お前、何しに来たの」
風雅も負けじと小柄な少年を睨みつけ、低い声で判りきった問いを投げる。そして膝を曲げて右腕を挙げ、いつでも地を蹴れるように構える。