銀河鉄道の夜①
「なあ! こんな近所にガチっぽいやつがあるんなら、行くしかねえよな!」
五月の放課後、まだ陽の色も変わらない頃。とある学校の教室で、三人の男子生徒が雑談していた。
うち一人──先程どこかへ行こうと持ちかけた者──は椅子に後ろ向きに座り、背もたれを掴んでガチャガチャと騒いでいる。
その少年の名は、花鳴風雅。
男子としては少し長い黒髪に緑色のメッシュを入れ、黄金の瞳を持つ目は釣っていて目付きが悪いが、長い睫毛が幾分マイルドにしている。
学生服である薄青いワイシャツのボタンを二つ開けており、中には緑のシャツを着ている。その少し乱れた服装から判る通り、彼は決して素行の良い生徒ではない。
「風雅、小学生じゃないんだからガタガタ鳴らすな」
風雅の隣で横向きに座っているのは、目黒小太郎。生真面目そうな短いおかっぱ頭に、厭世的な小さい目には黒縁の眼鏡。おまけに小柄と、いかにもスクールカースト下層な見た目をしているが、決してそんな事はない。現に多少素行の悪い風雅とも対等に付き合っている。
「ていうかその……何だっけ? みんな血路ー、もハズレなんじゃないのか?」
「いやどんな間違いだよ……『銀河鉄道』だよ」
風雅と向き合いかなりアグレッシブな聞き間違いをしたのは、宮川真志。少し色の抜けたツーブロックの短髪に、細く鋭い目。一八〇センチメートルを裕に超えた身長もあいまって、見るからにスポーツマンらしい男子生徒だ。
中学ではバレーボール部に所属しており全国出場経験もある名の知れた選手であったが、引退試合で膝を故障したらしく、それからパッタリとバレーを辞めたらしい。
「いやいや、白崎駅前のコンビニでバイトしてる人に直接聞いたんだよ。毎週水曜の深夜二時に、白崎駅から空に向かって走る列車があるって」
あまりにも幻想的な噂の内容に、真志は疑いの目を向ける。だが風雅はその疑いを払い除け、裏は取ってあると主張する。
今日が噂の水曜日。風雅は絶好のチャンスと言わんばかりに二人を説得しようとしていたのだが。
「そりゃ風雅、お前担がれてんだよ。それかそのコンビニ店員が何かキメてるかだ」
真志は飽くまで否定的な姿勢らしく『銀河鉄道』を真正面からないと断ずる。
「いや、あるかも知れないんじゃない?」
そこで意外にも肯定的な意見を言ったのは、小太郎だった。眼鏡のレンズを拭きながら、表情を変える事なくしれっと言う小太郎に、風雅は「な!? あると思うだろ!?」と食いつく。
「こりゃもう確かめに行くしかないよな!」
二言目にはこれである。風雅は金色の瞳を更に輝かせて立ち上がる。
「それはそれ。これはこれ。仮に『銀河鉄道』があったとしても、僕は行かないし、風雅を行かせる訳にもいかない」
「はぁ!? 何でだよ!」
「不法侵入。普通に犯罪だから」
白崎駅への探検を拒否する小太郎に食ってかかる風雅であったが、その勢いはあっさりと殺がれる。
不法侵入。何の捻りもなくドストレートに犯罪行為だ。小太郎はそれを判っていて深夜の白崎駅へと赴く程無鉄砲ではなく、かと言ってそこに行こうとする友人を止めない程冷酷でもない。
「ぐぬぬぬ……」
風雅は歯噛みしながら勢力を失くした目で小太郎を睨む。流石に犯罪はマズい。
「なあ。そろそろこの活動もハズレばっかだし、他の事やらねえか?」
風雅が諦めたと見るや、真志は露骨に話題を逸らす。
──そもそもこの花鳴風雅が何故『銀河鉄道』に拘りを見せるのか。
それは彼が真志と小太郎と共に『オカルト研究会』なるものを──非公式に──立ち上げ、『都市伝説ハント』と称し人伝に聞いた噂やネットに転がっている都市伝説のスポットに行ったり、怪談で恐怖体験をした者と同じ行動を取ってみたりしているからだ。
しかし三人は学生。本格的な心霊スポットのある山奥やらトンネルへ行く足も金もなく、未だホラー体験と言えるものには遭遇していない。
謎の声が聞こえる深夜の公園は、酔っ払いが啜り泣いていただけ。
謎の足跡が幾つも残る川辺は、ミリタリー好きが行進ごっこをした跡。
こっくりさんに至っては、十円玉が一ミリたりとも動かなかった。何なら風雅が動かそうとして小太郎に諌められた。
「他の事って何だよ?」
いじけた風雅が上目遣いに真志を睨む。
「そりゃお前……食べ歩き、とか?」
「健全かよ! 学生かよ! オカルトどこ行ったよオイ!」
「健全だし学生だし、オカルト研究会は同好会として認められてないから、今から行動内容変えたって別に問題ないよ」
真志の提案に小太郎の追撃。風雅は手も足も出せずダウン。がくっと机に突っ伏して「なんだよーお前等俺の味方じゃないのかよー」と力のない声で漏らす。
「ていうかお前、高校入って何でいきなりオカルトに凝り始めたんだよ。中学の時はぼけーっとしてて時々喧嘩したりしてた、いかにもなヤンキーだったって小太郎が言ってたけど」
風雅と真志は、高校に入ってからの仲だ。風雅は小太郎と同じ中学で何度か拳を交えており、スポーツ観戦が趣味だったらしい小太郎がバレーをやっていた頃の真志のファンで、今こうして三人の付き合いが出来上がっている。
「んなもん小太郎も一緒じゃん。中学では有名な喧嘩野郎だったのに、今では眼鏡にオカッパのガリ勉君だぜ?」
「いや、僕は頼まれた喧嘩しかした事ないし、眼鏡は中学の時からだけど」
真志も小太郎もオカルトに関心がある訳ではない。小太郎はいきなりその道に走り出した風雅が心配で付き合っているだけで、真志に至っては暇潰しという理由でこのグループに混ざっている。
「そうだっけ……。まあ喧嘩はそこそこにやってたけどよ、学生の小競り合いなんかちょっと痛いだけで死ぬような思いなんてしない。俺が味わいたいのは生の実感な訳。こういう都市伝説とか心霊現象なら、味わえると思ったんだけどなー」
そう言って椅子の背もたれに肘をつける風雅。聞いていた二人は頬を引き攣らせる。
「お前何、死にたいのか?」
「いやいや、死にたいんじゃなくて生きてる実感が欲しいの」
「中々難しいお年頃だね……」
引き攣らせた表情は元に戻ったものの、二人は風雅が隠し持つ得体の知れない感情に少し気圧されていた。
「生きてる実感が欲しいなら、美味しいご飯を食べればいいよ」
後頭部にコツン、と小さな衝撃が走る。
一瞬驚いた風雅は「んだよ深月か……」と気怠そうに振り向く。
深月と呼ばれた少女は「今日もこのバカに付き合ってくれてありがとね」と笑って真志と小太郎に手を振る。
雪代深月。肩までかかる程度の黒のボブヘアの彼女は、風雅達と同色のワイシャツに白い膝丈のスカートを穿いてある通り、この学校の生徒だ。
雪の様な白い肌、ツンと釣った目には真っ黒な瞳を湛え、薄桃色の唇が少し色っぽい。身長こそ平均的だが細身で、決して魅力的な肉付きをしている訳ではないが括れたウエストが少し扇情的だ。
肌と目、そしてフレームのない楕円の眼鏡をかけている影響で冷たい印象はあるが、笑うと年相応に可愛らしい少女だ。
「雪代さん。こんな牙の抜けた犬みたいな奴、どうって事ないよ」
真志が立ち上がり、その大きな手で風雅の頭をガシガシと掴む。
「真志お前なあ……」と風雅が手を払い除け、立ち上がって深月の前に立つ。
「はいお手……じゃなかった、手出して」
「態とだろ今の!」
深月の態とらしいボケに風雅が半ギレでツッコむと、深月がこれまた態とらしく舌を出し手を合わせて謝罪のポーズを取る。
「ゴメンゴメン。はいこれ、明日の分お願いね」
言いつつ深月は長財布を手渡す。
「晩御飯の時間までには帰ってきてね。じゃ、宮川君と目黒君も、こいつの事よろしくね」
用が済むと、深月は二人に挨拶をして教室を去っていく。
「いやあ、羨ましいよ。あんな良い子と一つ屋根の下で暮らしてるだなんて」
「まったくだ。俺も手料理作ってくれる可愛い幼馴染が欲しい」
ニヤニヤと風雅の肩を掴みながら、小太郎と真志が深月の去っていったドアを見つめながら感想を呟く。
「うるせぇよ。一緒に暮らしてみりゃウザッたくてそうも言ってらんねぇよ」
鬱陶しそうに二人の手を払い、風雅は深月から受け取った財布を鞄に捩じ込む。
雪代深月は、風雅の幼馴染にして同居人だ。
風雅の両親は彼が幼い頃に亡くなってしまい、紆余曲折あって友人だった深月の父親が彼を引き取った。
深月の母は身体が弱く、殆ど入院生活をしている。そのため父は毎日病院に顔を出しており、帰りが遅い。そういった事情があり、実質的な二人暮らしの様な状態にある。
「今日はどうすんだよ」
話し合いが有耶無耶のまま下校するタイミングになってしまったのを気にして、真志が風雅にこれからの予定を確認する。
「『銀河鉄道』はナシだろ? じゃあバッセンにでも行こうぜ」
不機嫌な様子で風雅は鞄を持ち上げ、教室の外へ移動しようとする。
「ま、学生は学生らしく健全に遊ぶべきだね」
小太郎は不機嫌な風雅に肩を竦めつつも、都市伝説ハントを諦めた様子に安心した様に言った。