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エピローグ 日常は続く


「酔っ払うまで飲まないって約束しましたよね……?」

楊炎ヨウエンは情けなく酔っ払ってるけど、僕は違うよ」

「赤い顔してよく言うよ。鏡を見て発言することを覚えた方がいいと思うね」

「自分だって、何度も同じことを話してるのを自覚してないのかい?」

「普段商談を繰り返して鍛えてる俺がそんなことするわけないね」

 二人とも赤い顔をして、低レベルの口論をしていた。目がとろんとしていて語尾がはっきりしていない。客観的に見て酔っ払っているとしか思えなかった。李芳リー・ファンがお酒に弱いことは知っていたが、楊炎ヨウエンもこうなってしまうとは……お酒とは恐ろしい。

 到頭、何を言っているのかもわからなくなった。何を言ってるのかは分からないけど、口論を続行していることはわかる。息を思いっきり吸って声を張り上げた。

 

「ーー二人とも真っ赤な顔した、立派すぎる酔っ払いです!」

 

 二人の酔っ払いが出来上がるまでの顛末を説明するには、今朝まで戻らないといけない。

 それはあの任務が完了してから二ヶ月経ったある日だった。楊炎ヨウエンも交えた食事会はもう少し早くにするつもりだったのだけれど、後処理でかなり時間が取られてしまった。その間、楊炎ヨウエンは鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だったらしい。対して、李芳リー・ファンは死んだ目のような表情で報告書を書いていた。私も雑用を頼まれたりして慌ただしく過ごしていたら、結局二ヶ月も後になってしまった。

 つまり、今日は待ちに待った食事会だったってことだ。今朝は早起きして普段なら作らないような料理をネットで検索した。小籠包なんて食べたことはあっても作ったことはなかったけれど、挑戦してみることにした。蒸し料理特有のほっとするような匂いで李芳リー・ファンが書斎から出てきた頃には、ほとんど全ての準備が終わっていたと思う。小籠包と炒飯とよだれどりと肉団子と……名前は忘れたけれど八品ぐらい作ったから、達成感に満ち満ちていたものだ。

「蘭々……そんなに頑張らなくても大丈夫だよ」

「料理のレパートリーを増やすためでもあるんで、無理はしてないですよ?」

「なら、いいんだけどさ。そうだ! 僕も手伝おうか?」

 日常生活もおぼつかない李芳リー・ファンをよく知る私は、にっこり笑ってこういった。

「今度やりましょう。ご飯を炊くところから」


 日が暮れてきて、日中に比べて肌寒くなった時間帯に楊炎ヨウエンはやってきた。皺ひとつないスーツに背筋をしっかり伸ばした姿勢は相変わらずだ(険しい山を登ってきたようにはとても見えなかった)。

「蘭々、久しぶり。今回は大手柄だったそうじゃないか」

 そう言って、楊炎ヨウエンはこちらをしっかり見て微笑みかけた。真正面から褒められるとどう返したらいいのか分からない。けれど、悪い気はしなかった。この人が次々に事業を成功させてきたのは、この気質のおかげでもあるんだろう。

「あ、ありがとうございます」

 恥ずかしそうにこう答えた。こういう褒め方はあんまりされないから返答が難しい。私のそんな様子を見て楊炎ヨウエンは満足げに何度か頷いた後、目の前に包みを差し出した。

「これ、お土産」

「ありがとうございます。これ、お弁当ですか?」

「そうそう、行きつけの店に適当に詰めてもらったんだ」

 適当といっても味は保証するよ、楊炎ヨウエンは付け加えた。何が入ってるんだろう。ちょっと中を見るのが恐ろしい。

「入ってください、もう準備できてますから」

 楊炎ヨウエンを案内して居間に案内する。来る時間は伝えてもらっていたから、料理は机の上に用意しておいていた。楊炎ヨウエンが持ってきてくれた弁当を並べたら終いだ。どんなものだろうと、蓋を開けてみて後悔した。

 北京ダック、なまこの煮込み、鮮やかな点心の上には食べたことのない高級食材が乗っている。もう冷えてしまっているのにいい匂いがして、自分の料理がちょっと、いやかなり恥ずかしくなった。

「いい匂いだ」

 楊炎ヨウエンはそう言って先ほどの笑みを浮かべる。

「お世辞を言わなくてもいいんですよ……?」

「そんなことないよ。三十を越すと純粋に相手をもてなすための料理なんて食べられなくなるからさ。今日はそういう匂いがする料理が食べられて嬉しいよ」

「それは、よかったです」

 羞恥が少し取り払われた気がした。細かい気遣いもできる人だ。

「それで李芳リー・ファンは何をしてるんだい? あいつ、客人がいるのに寝てたりしないだろうな……」

 そう言ってシニカルに笑った。楊炎ヨウエンはとってもいい人だけど、李芳リー・ファンにだけは厳しい。大学からの付き合いだと聞いているから、悪い関係ではないんだろうけど。


「失礼だなあ、寝てたりなんてしないよ。友人との食事前に寝るほど性根は腐ってない」

 書斎から李芳リー・ファンが出てきた。髪の毛が整えられたままだから、本当に向こうで作業をしていたんだろう。楊炎ヨウエンは瞬きを繰り返した後に「なら、いいんだが」と言った。てっきり皮肉の応酬が続くと思っていたが外れたようだ。

楊炎ヨウエン、それに蘭々。立ち話もなんだから座ってくれ。乾杯をして今回の成功を祝おうじゃないか」

 李芳リー・ファンはそう言って一足先座ってお酒の入ったグラスを持ち上げた。私たちもそれに続くように席に座る。楊炎ヨウエンは同じようにお酒の入ったグラスを、私はソフトドリンクを手に取ってこう言った。


「乾杯!」


 楊炎ヨウエンは料理に手をつける前に開口一番こう言った。

「酒が回る前に一つ提案があるんだが、いいか?」

「なんだい、改まって」

「依頼人が口を挟むことじゃないとは思うんだが、今回の報奨金のことさ。蘭々がそれなりの働きをしてくれた以上、それなりの分前があって然るべきだと思うんだよ。もちろん、俺は蘭々の雇用主じゃないから決めるのは李芳リー・ファンだけれど」

 李芳リー・ファン楊炎ヨウエンの言葉を聞いて、少し口元に手を当てて考え込んだ。

「僕もそれは考えていたよ。問題はどんな形でするかだ。現金を分配してもいいんだけれどーー」

 そう言って李芳リー・ファンは私の目を見てある提案をした。

「蘭々、高校に戻る気はないかい?」

「高校、ですか?」

 高校という単語を聞いて、即答できなかった。高校をやめてしまってからあまりにも時間が経ちすぎていて、過去のことは遠く彼方にあった。同級生と肩を並べて勉強していたのも、今は朧げにしか思い出せない。

「うん、色々考えたんだけどね。蘭々に「勉強する」っていう選択肢を提示しないのは卑怯じゃないかって思ったんだ。一応、僕は今君の保護者だからさ」

「学校に行ってしまったら、その間手伝いはできません。おいてもらう大義名分がなくなります」

 私がここにいるのは、李芳リー・ファンの手伝いをするためだ。それができない人間を家においておく理由がない。

「そうやって卑下してしまうから、李芳リー・ファンは今まで蘭々に何も言わなかった。でも、今回助手として申し分ない働きをしたんだろ? 多少手伝いができなくても置いておく理由ができたってわけだ」

 楊炎ヨウエンの言葉に李芳リー・ファンも頷いて、こう言った。

「二年遅れで入学することになるんだから嫌なら言ってくれてもいい。蘭々はどうしたい?」

 二年も前の高校生活を頭の隅から引っ張り出していた。家族が失踪してから友人とは一度も連絡を取っていない。広く浅く、という言葉がぴったり当てはまる人間関係を構築していたように思う。でも、学生生活自体は悪いものじゃなかった。毎日新しいことを覚える環境は貴重だ。友達との中身のない会話だって、きっと好きだった。

「手伝いはできる限り続けたいです」

 李芳リー・ファンをしっかり見据えて私はこう続ける。

「その上で、学校に戻りたいーーそれを今回の報酬にしてもらえませんか?」

「もちろん」

 李芳リー・ファンは頬を緩めて笑った。


「今日は蘭々の入学祝いでもあるってわけだ! 派手にいこうじゃないか。この家にある酒がすっからかんになるまでさ」

 楊炎ヨウエンも声を出して笑いながら、景気良くそう言った。

 この言葉それぐらい楽しくしようと言ったのだと思ったのだけど、二人は本当にそうなりそうな勢いで飲み食いをし始めたというわけだ。途中から飲み比べを始めて、とうとう収集がつかなくなった。そして、冒頭の展開へと戻る。


「お二人とも! いくらこの会が身内だけだからといって、羽目を外しすぎです。楊炎ヨウエンは明日には下山しなきゃいけない訳ですし、李芳リー・ファンだってやることがあるでしょう」

 声を張って両手を腰に当てて私はそう言った。この二人はどうも揃うと、童心にかえったかのように後先考えないところがあるのだ。もしかしたら大学生時代にまで気分が戻ってしまうのかもしれない。

「……そうだった。明日の午後までには本社に着いてないとまずいね」

「僕も、新しい依頼主との契約書をまとめなきゃいけないんだった」

 二人はヒートアップしていた熱が冷めたようで、蒼い顔をしてそう呟いた。ようやく明日のことまで気が回ったらしい。

「僕は、少し夜風に当たってくるよ。酔いを覚ましてくる」

 李芳リー・ファンはふらふらと身体を揺らしながら、扉に向かって歩いていった。その様子に少し不安になるけれど、李芳リー・ファンは軟弱ではないから大丈夫だろう。

楊炎ヨウエンは大丈夫ですか?」

李芳リー・ファンより少し強いからね。大丈夫」

 頭を押さえながらだけれど、楊炎ヨウエンはこう返した。

「よかった」

「こんなに酔ったのは久しぶりだ。それに李芳リー・ファンと馬鹿やったのなんて、大学以来な気がする」

 言われてみれば、二人がこんなにくだらないことで口論しているのは見たことがない。もしかして、お酒だけの力じゃなかったんだろうか。

「ーー蘭々のおかげだよ」

「私の?」

 楊炎ヨウエンは緩んだ顔をして、ゆっくり頷いた。

「蘭々はどうして李芳リー・ファンが荒れてたのか、聞いたことある?」

「自分のせいで大勢が不幸になった、とだけ」

 それ以上は触れられたくない部分なんだろうと避けていたのだ。

「なるほど。格好つけたいのか、勇気がないのか」そう言って含み笑いをした後にこう続けた。「詳しいことは本人に聞いてもらうとして、そこを避けて話すとあの時期は本当に酷かった。俺も李芳リー・ファンも例の事件で荒んでいて、顔を合わせたらいつの間にか罵り合ってた。二人とも余裕ってものがなくて、目も当てられない状況だったよ」

 この二人は根底ではいつも分かりあっていると思っていたから、今の告白は驚きだった。

「そんなとき、李芳リー・ファンが十五も年下を居候させていると聞いて、とうとう気でも狂ったかと思った。ろくでもない人間に成り下がったって確信した……なのに、その数ヶ月後落ち着いた李芳リー・ファンとばったり会ったんだから驚いたよ」

 ど田舎に引っ越すって聞いたことも腰抜かしたけどね、と楊炎ヨウエンは続けた。

「私、知りませんでした。二人にそんな時期があったなんて。てっきり、ずっと仲がいいんだと思っていたから」

李芳リー・ファンが蘭々に出会うまでは酷かったよ。俺も李芳リー・ファンのことは考えないようにしてたしね」

 そう言って、楊炎ヨウエンは少し情けなさそうに笑った。


「恥ずかしいこと、勝手に言うなよ」

 突然、発せられた言葉で会話は遮られた。ゆっくりと扉が開く音と共に、李芳リー・ファンがそう言ったのだ。その顔は先ほどより少し赤らんでいた。聞いてはならないことを聞いてしまったような気がして、少し罪悪感がわいてくる。

「核心は言ってないんだからいいだろ。詳しいことはお前からいつか教えてやれ」

「言われなくてもそのつもりだよ」

 その言葉は衝撃的だった。李芳リー・ファンは秘密主義なところがあって、自分のことを教えることを避けていたから。だから、自分の過去についてなんて話してくれないと思っていた。

「……無理は、しないでくださいね?」

「してないよ、話してもいいかなって思ったんだ」

 ぽつり、と李芳リー・ファンは呟いた。なんでもないことのように言われたその台詞は、今までの李芳リー・ファンじゃあり得ないことだ。

「なんだよ、楊炎ヨウエン

「いや、お前が素直になるのは珍しいと思ってね」

 楊炎ヨウエンがからかうように大袈裟に笑った。その一言に対して李芳リー・ファンも言い返しているけれど、珍しく劣勢のようだ。何を言っても楊炎ヨウエンの優勢は覆りそうにない。そのうち諦めたのか、溜息をついてこう言った。


「僕だって変わっていくさ、蘭々に負けてられないしね」


 ーーそれは、まるで変わった先にも私がいると言ってくれているようで。頬が緩むのを抑えられなかった。


 

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