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前編 シリアルキラーとの邂逅

挿絵(By みてみん)



 深めの鍋に炒めた米と湯を加えて、絶えずかき混ぜる。これを沸騰するまでし続けなきゃいけない。料理を長年やってきた人間ならともかく、本格的に料理を初めて一年も経っていない私にとっては大変な作業だ。ようやく沸騰したところで火加減を弱火に設定する。ここからは時々かき混ぜるだけでいい。

「ふう」

 一息ついて深呼吸すると、澄み切った空気が胸に取りこまれていく。背筋を目一杯伸ばすと身体全体がなんだか軽くなったような気がした。鶯の鳴き声がしてふと窓の外に目をやると、竹林の奥に鳥が羽ばたいているのが見える。

 こんな景色は、都市部では見られない。竹林を何時間も歩かなければならない辺鄙な町に引っ越すと言い出したこの家の主人、李芳リー・ファンを以前は理解できなかったが、今ではこの場所がすっかり気に入ってしまっている。私はすっかりこの澄み切った空気でなければ、呼吸ができなくなっていた。李芳リー・ファンに拾ってもらう前は、生ゴミと排気ガスの匂いに何も思わなかったのに。慣れって恐ろしい。

「うわっ、やばい」

時々かき混ぜなきゃいけないのをすっかり忘れていた。感慨にふけって、目の前のことに集中できていない証拠だ。自戒しながら、私はこの後やるべきことを考える。李芳リー・ファンを起こして、掃除して、洗濯して……。この中で一番大変なことは、李芳リー・ファンを起こすことかも。だらしない主の姿を思い浮かべて、私の顔は思わずほころんでしまっていた。両親が失踪して腐っていたあの頃に比べて、なんてのどかな生活をしてるんだろう。


 けたたましいベルの音。再び感慨にふけっていた私をまどろみから目醒させたのは、ビデオ通話の着信だった。白粥の火を止め、通話ボタンを押す。

「朝早くご苦労さま、蘭々」

「お久しぶりです、楊炎ヨウエン

 柔和そうな笑みを浮かべるのは、李芳リー・ファンの腐れ縁で今回の依頼人の楊炎ヨウエンだった。寝癖一つついていない髪の毛や、シワ一つないスーツは、早朝に通話していることを忘れさせる。李芳リー・ファンとは真反対の人間だ。

「今日もあの腑抜けの世話かい?」

 李芳リー・ファンの腐れ縁である彼の皮肉は、今日も容赦ない。

「本来なら高校三年生である君が、休学してまで世話してやる必要ないよ。学費なんて、あいつに全て払わせればいい」

 そう言って、楊炎ヨウエンはニヤリと笑った。

李芳リー・ファンにもそう言われましたがーーそんなに頼ってばかりいられませんよ。家においてもらっているだけでありがたいんですから」

「そうかい? ならーー」

 俺が援助してあげるよ、という台詞が紡がれる前に、話題を変えなくては。目の前の青年も、主と同様に金銭感覚がずれている。


「そんなことより! 今日は用事があって連絡されたんですよね」

 また誤魔化されたか、微笑を浮かべて楊炎ヨウエンは小声で呟いた。この話は、今日も諦めてくれるようだ。

「そうそう。李芳リー・ファンに聞くより蘭々に聞いたほうが早いからね…社会人失格だよ、あいつは」

「あはは……」

 ふらりと飲み歩き三日三晩帰ってこないこともある、なんて言ったら顔を真赤にして目の前の人は怒るに違いない。これでも、私と会う以前よりは改善したらしいからどんな生活してたんだろう。

「依頼、受けるみたいでしたよ。色々準備してましたから」

「その準備ってのが、当てにならないときがあるのがなあ。今回の依頼ーー任意の記憶を改ざんすることができるCube<喪失>の回収は失敗が許されない」

「そこは、安心してください。分かってますよ、ちゃんと」

 友達がたくさんいるにも関わらず、浅い付き合いしかしない李芳リー・ファンの唯一の馴染み。彼を裏切ることは絶対にない。

「そうだね。あいつはだらしなくて、どうしようもないけど、そこは信用しているよ」


「だらしなくて、どうしようもなくて。悪かったね、楊炎ヨウエン?」

 寝癖で鳥の巣のようになっている頭を梳かしながら、眠そうにこの家の主人はやってきた。まだ夢見心地なのか、目が半開きである。私は櫛を李芳リー・ファンから受け取り、代わりに髪を梳かす。絡まった毛糸から、絹のような光沢へと変化させるのは、私の密かな楽しみだ。

「どれも本当のことだ、悔しかったら常識ある振る舞いをもう少ししろ! 俺が依頼回さなかったら、一生自堕落な生活をし続けるつもりだろう」

「いいんだよ、僕はそれが平常運転なんだし。君みたいに時計と睨めっこして動くのは性に合わないのさ。まあ、任務はちゃんとこなすから安心しなよ。報酬はもちろん、君に大きな貸しを作ることができそうだしね」

 そう言って、李芳リー・ファンはいたずらっぽく微笑んだ。

「そうだよ、この任務は重要さ。Cubeの規制という俺の目的のためには。信用ならない連中には頼めない」

「熱烈な告白かい?」

 付き合ってられない、恨めしそうに李芳リー・ファンを見つめた楊炎ヨウエンは、一呼吸してこう切り出した。


「依頼内容についてだ」

「平成35年、3月19日。新たなCubeが発見された。Cubeは大きく分けて、その周囲にある影響を与えるもの、空間自体に影響を与えるものの二種類に分類されるが、このCube<喪失>は前者ーー任意の記憶を書き換えるCubeだ。このCubeが悪用されてしまう前に回収を頼みたい」

「運び屋が五箇所で動いているらしいね」

「そうだ。五箇所のうち四箇所はダミー。俺は、魔羅マラと呼ばれる男が本命だと踏んでいる」

「他は複数で動いているのに対して、魔羅マラは単体で行動しているから?」

「それもあるが、それ以上に奴の実力と気性だな。魔羅マラの興味は、人間を惨たらしく殺すことのみだ。奴はこれまで14件の不審死に関与し、その死体には多くの裂傷が発見された。つまり、サディスティックな欲望を満たすために殺しをしてるってことだ。こういう人間は出世欲がなくて、ある意味扱いやすい。その欲望だけ、叶えてやればいいんだからな」

「僕より頼りになりそう?」

「馬鹿を言うな。俺はそんな下衆を雇ってまでのし上がるつもりはない。Cube規制に立ち上がった、正義感溢れる実業家という評判を落としたくもないしな」

「だよね」

 楊炎ヨウエンはベンチャー企業の社長の傍ら、Cube規制を行なっている自衛団の重役としても活躍している。スキャンダルはご法度なんだろう。

「詳しい作戦要項と、魔羅マラが所持しているCubeについては今送る。確認してくれ」

 程なく届いたファイルを展開して、李芳リー・ファンは中身を確認する。Cubeの性質はーー

「珍しい……空間自体に影響を与えるものですね」

「そうだよ、蘭々。これがこの依頼の難易度を上げてるのさ。どうする、李芳リー・ファン

「そうだねーー」

 李芳リー・ファンにしては珍しく、言い淀む。櫛を梳かしながらちらりと顔を覗くと、真剣な眼差しに眼を奪われた。

「本来なら、複数で取り組みたいところだけど、とりあえず一人で打開できる術を模索してみるよ」

「やれるのか?」

「僕にできないことはないよ」

 李芳リー・ファンは、顔を緩ませて笑いかける。その笑みはいつも見ている自信に満ち溢れた顔だった。

「これからの俺自身のためにも、お前にここで死んでもらっちゃ困る。もしも、があったら再度連絡しろ」

「了解。まあ、安心してよ。この李芳リー・ファンに依頼したからには、大船に乗ったつもりでさ」

「はいはい」

 楊炎ヨウエンは呆れたようにこう言った。この二人はいつもこんな感じだ。軽口か皮肉の応酬が日常茶飯事だが、嫌味じゃないのは信頼関係があるからだろうか。

「蘭々、朝食と出発の準備を頼めるかい」

「分かりました。失礼します、楊炎ヨウエン


 そう言って、部屋のドアを閉める。さっきの考え込むような李芳リー・ファンの表情。自身に不安があるわけではないようだったが、ならばあの表情には何が隠されているのだろう。

 いけない、使用人が一番にやることは主の命に従うことだ。答えのでない心配をすることじゃない。慌ただしく朝食を完成させて、任務に必要なものを鞄に詰めた。


「Cubeはこちらに。その他、武器はこちらに入れています。制御装置が何個か寿命のようでしたので、取り替えておきました」

 朝食をとりながら鞄の中身の説明をする。任務前にはいつもやっていることだ。特にCubeの整備をしておくことは欠かせない。肝心なときに使えないなんてことがあったら目も当てられない。整備をしなきゃただのガラクタなのだ。

 Cubeはその名のとおり、四角い箱の形をしている。その箱自体が力を持っているわけではない。その中に入っている鉱石こそが、Cubeの力の源だ。箱は私達の命令を特定の電気信号に変化させ、鉱石に刺激を与える制御装置の役割を果たしている。李芳リー・ファン楊炎ヨウエンは昔この制御装置の研究をしていたらしく、かなり詳しく説明してくれたが、私に理解できたのはこれぐらいだった。


「ありがとう、蘭々」

 温め直したお粥を口に運びながら、李芳リー・ファンはタブレットに目をおとす。

「そんなに、厄介ですか」

 どう答えるべきか、逡巡したのちに李芳リー・ファンは口を開いた。

「空間自体に影響を与えるCubeの攻略法、覚えているかい?」

「ええ。現実とまやかしの狭間をこじ開けることで、空間を崩壊させることーーですよね」

「正解。それができなければ、どんなに有能なCubeを持っていても勝つことはできない。その空間では主が圧倒的に優位だからね。こっちはその空間の物理法則もわからない状態で、向こうから攻撃を受けることになる」

「つまり、一人で任務を遂行すれば、狭間を見つけられず死ぬ可能性がある」

「そう。だから少し不安でね」

 こんなことを言うなんて、らしくない。自信喪失することなんて、李芳リー・ファンにはありえないことだ。

李芳リー・ファン。私が、狭間を見つけてきます」

 李芳リー・ファンの顔が途端に険しくなるのを見て、この人の懸念事項を理解する。私を依頼に関わらせるかについて、悩んでいたのだろう。普段自信家である李芳リー・ファンが悩んでいた理由もこれではっきりした。私が任務に参加して成功確率を上げるか、私の安全を優先するか、どちらを選択するか思案していたようだ。

「ここに来てから半年。高度な依頼もこなしてきました。私は大丈夫です」

「……君が、そんな風に言うなんて。珍しいね」

 普段あまり押しが強くない私が意見を言ったことで、李芳リー・ファンは少し気圧されたようだった。それでも、私は撤回しない。ここで引いたら李芳リー・ファンは、二度と危ない依頼に参加させることはないだろうから。

「難易度の高い任務は、大怪我する可能性だってあるんだよ」

「安全な任務だけ担当していたら、いつまでたっても一人前になれないです」

「危険が迫っても、すぐに助けに行けないよ」

「そういう自体を避けることは、この仕事では不可能じゃないですか」

 聞き分けのない子供をどう説得すればいいのか思案している、といった表情に腑に落ちない気分になる。心配されているのは理解している。けれどもーー

「きちんと実力で判断してください。この依頼、どう考えても助手がいたほうがいい、でしょう?」

 ……無理を、言っている。一人前になりたいと言いながら、今やっていることは子供そのもの? 本当に大人ならば、ここは自分の意見を退け、主に従うのだろうか。

「そう、だね。いつの間にか、過保護になっていたようだ」

 思わぬ返事に咄嗟に、顔をあげる。そこにはいつもの穏やかで自信を宿した眼があった。

「今回の依頼でどんな役回りを任されるか、分かるかい?」

魔羅マラという運び屋に接触して狭間を見つけること、ですね」

魔羅マラの拘束を手助けすること、ではなく?」

「はい。魔羅マラの拘束は李芳リー・ファン一人でも、お釣りがくるぐらいです。今回厄介なのはそちらではないでしょう?」

「そうだね。今回頼みたいのは、狭間の手がかりを得ることだ。君が魔羅マラに接触した五分後に、僕もその空間に無理やり穴を開けるから、そのときに詳しい情報がほしい」

「無理やり穴なんて、開けられるんですか?」

「できるよ。まあ、制御装置の弱点をついた強引な方法だから、一人しか入れないし、穴もすぐ塞がる。だから、なんの解決にもならないけどね」

 つまり、得るものが少ない非効率な方法ということだ。

「それでも、君一人に任せる危険性よりはましさ。君もそれは理解しているだろう?」

「……はい」

 その通りだ。私は助手としては経験値を積んでいても、一人で依頼をこなすことは殆どない。加えて、こんなに難易度の高い任務とくれば、任せられる方がおかしいーー悔しいけれども。

「そうと決まれば、出発だ」

「はい。李芳リー・ファン


 本日、運び屋の魔羅マラが潜伏すると予想される広州の廃墟ビルに、私達は足を進めていた。広州は経済の中心地として発展し続ける一方、近隣からの流入により治安が不安定なエリアだ。Cubeの出現はそれに拍車をかけている。私達は広州までの移動時間で、もう少し作戦を詰めていた。

楊炎ヨウエンからの情報によると、魔羅マラは交通機関も使用しているとありますが……あまりにも人目を気にしなさすぎではないですか?」

「それは、楊炎ヨウエンの情報を疑っているってことかい?」

 李芳リー・ファンは、こちらをからかうように口元を緩めた。

「だから、そうではなく! ホントは分かっていますよね……狙いが読めないってことです」

「失礼、からかいすぎたね。この行動の真意は、魔羅マラの行動原理を考えれば難しくないと思うよ」

「つまり、殺人が目的だからCubeが餌になるように動かなきゃ意味ない、ってことですか。でも、それってーー」

「そう、依頼主が手綱を握れてないってこと。だからこそ、若造である楊炎ヨウエンにお鉢が回ってきたんだろうね」

 行動が予想不可能な人物に、大切なCubeを任せるはずがない。妥当な読みであるように思える。

「これで回収できれば楊炎ヨウエンは大手柄さ。そのために、僕らはできることをやろう」

 そう言って、李芳リー・ファンはタブレットに表示された地図のある箇所にマークした。

「僕の待機地点がここ。君には魔羅マラに奇襲かけるために、廃墟入り口の死角で待機していてもらう。その後、君が五分間狭間についての情報を探っているとき、同時並行で僕は空間に介入する準備。五分後、僕が空間に入り、狭間を見つけて任務完了という流れになるね」

「ここで重要なのが」、そう前置きして李芳リー・ファンは続けた。

「絶対に、魔羅マラを自力で捉えようなんて思ってはいけないよ。君にはまだその力はないんだから」

「大丈夫。分相応は分かっています」

 こう答えた私の胸にあったのは、悔しさじゃない。事実は事実として受け止めようと決めたから。


 魔羅マラの潜伏場所である廃墟ビルには簡単な罠は張り巡らされていたものの、潜入は呆気ないほどに簡単だった。その後、魔羅に見つからない場所を探してくるよ、と言い残して李芳はふらりと廃墟ビルから出て行った。その間、私は廃墟ビルの様子を確認する。

(Cubeの性質から予想できていたけど、本当に何もないな……)

 潜伏先のビルは、元々マンションなどに利用されていたのだろうか、死角になる場所が殆ど存在しない空っぽの空間だ。あちこちに華やかであった時代の残滓が見られるものの、隠れ蓑になりそうな障害は存在しない。これは自身のCubeへの絶対的な自信を裏付けるものだろうか。邪魔な小道具はそれを阻害するものにしかならない、と考えているのかもしれない。

「一通り廃墟ビルを調べてみましたが、本当に何もない場所ですね。潜伏場所は暗がりくらいしかなさそうです……私の持っているこのCubeでどこまで周りと同化できるか微妙ですが」

 周囲を確認してきた李芳に、廃墟ビルを一通り観察した結果を報告する。

「奇襲の成功は、あまり期待していないから大丈夫。この奇襲はすることによって、精神的優位になることが目的だ」

「ですね」

「他に小道具もないようだし、僕も自分の待機場所に留まることにするよ。こちらは悟られることがあったら、作戦自体が成り立たないからね」

「分かりました。私もここで待機を」


 午後十時十五分。李芳リー・ファンと別れてから、四時間ほど経過した。予想ではあと三十分程度でこちらに魔羅マラがやってくるはずだ。

李芳リー・ファン。準備は?」

 耳につけたインカムを使用して、李芳リー・ファンと連絡をとる。Cube内に侵入すれば使用不可能になってしまうが、有用であることに変わりはない。

『問題なし。手筈通り頼むよ』

『了解。通信終了』

 私が所持するCubeー水蒸気の反射によって周囲と同化するーを作動させる。理屈が判明しているこのCubeは、相当価値の低い粗悪品だ。でも、今回の奇襲程度なら問題ない。


「Cubeーー隠匿」


 私が述べたコマンドに従ってあたりは煙りはじめ、私の身体の輪郭は朧げになる。自身の存在自体が希薄になるような感覚。この錯覚に引きずられてはならない。気を引き締め直し、痛覚をマスキングする錠剤を呑み込む。動きが鈍くならない程度に、痛覚を抑えてくれるこれには毎度助けられている。

『蘭々。そろそろだ』

 李芳リー・ファンから、魔羅マラの到来を知らせる連絡が入る。神経が尖り、アドレナリンが分泌されていく。私は自身の本能に反するように、昂りを抑え込む。余計な思考を排除し、魔羅マラの到来を感知する。闇を照らす月光、ビルを吹き抜ける風、周囲の工場の稼働音ーー環境音の中に、微かに砂利を踏みしめるような音が混じる。周囲にその存在を知られることなど、なんとも思っていない足音が徐々に近づいてくる。じゃり、じゃり。そして、音の主は廃墟の中へと足を踏み入れた。

 

「Cubeーー引力」


 Cubeの性質を利用して、一気に間合いを詰める。相手の死角に入り、血管が密集している急所をナイフの切っ先で切りつけるーー


「Cubeーー展開」


 刃先が相手の手首に触れる寸前、相手がコマンドを宣言した。空間書き換えの際に起こる衝撃波によって、私の身体は強制的に二・三メートル先に後退させられる。

「今度の相手は随分可愛らしいようで。ごきげんよう。私は今は魔羅マラ、と名乗っております」

 そう言って男は、仰々しくお辞儀をしてみせた。事前資料の通り、魔羅マラという名前に反して西欧風の顔立ちに燕尾服という、まるで奇術師のような出で立ちをしている。芝居がかったその動作は、相対しているものの気を逆立てる。

「お嬢さん、お名前は?」

「私は、信用できる人間にしか名乗りません」

「なるほど! それは正しい。世の中最近物騒ですから……しかし、困りました。今名前を教えてもらわないと、今後教えてもらう機会はなさそうだ。だって、死体はものを言わないでしょう?」

「私は、死にませんよ。貴方が罪人として裁かれるだけ」

 その言葉を聞いて、魔羅マラは不服そうにこう訴えた。

「私が罪人? それは間違っています。確かに私は両手で数えられないほどに殺した。しかし、それは医療行為なのです。痛覚を刺激することによって、本当の生を実感するための。彼らは私に殺されて、一瞬の絶頂を手に入れた」

 『殺し』自体を目的とする人間。彼にも自分を納得させるための行動原理はあるらしい。理解は到底できないけれど。

「それは、身勝手な破壊衝動の言い訳ですよ」

「……残念です。議論は平行線だ」

 そう呟いたのちに、彼は指揮者のように手を高く掲げ、芝居がかった仕草でこう宣言してみせた。


「Cubeーー作動!」


 辺に霧が立ち込め、私の視界は靄がかって不明瞭になる。効果自体は、先程私が使用した隠匿のCubeとそう変わらない。しかし、規模が違いすぎた。その霧は私の視野全てを埋め尽くし、その在り方を書き換えているのだ。自身のそれとの性能差に、苦笑いする。

霧に身を隠して、攻撃を仕掛けてくるかと警戒していたが、その気配は全く無かった。不審に思い警戒していたが、視界が開けたときその心配は不要のものであると悟る。


(……なるほど、これはただの副産物か)


 隙間風が入り込み、がらんとしていた廃ビルは完全に姿を消していた。今いる場所はこの殺伐とした雰囲気に不釣り合いな遊園地の広場だ。まだ完全に空間が書き換わったわけではないらしく、所々陰気な場所が存在しているものの、完全に書き換わるのは時間の問題だろう。

 視界の先には、玩具の城が存在しており、その扉の前で魔羅マラは佇んでいた。その手には魔法使いの杖、と思われる上腕骨ほどの木の棒が握られている。先端に宝石の装飾が施されたそれは、普段であれば異質な存在感を放つであろう。でも、この空間では見事に馴染んでいる。私のチャイナ服のほうが場違いのような気がするのが、納得いかない。中華風の一張羅は、李芳リー・ファンが与えてくれたお気に入りなのに……まあそれはともかく、魔羅マラがただの木の棒をこの空間に持ち込んだとは考えにくい。ということはーー


「千切れるなら、どこからがいい?」

「Cubeーー引力!」


 魔羅マラが杖を振るうのに合わせて、コマンドを宣言する。私の身体は自身のCubeによって引き寄せられ、今いる地点から私を引き剥がす。

「……ぐ、っ」

受け身も取れない捨て身の離脱で、変なところ打った気がする。その甲斐あって杖の弧に沿って放たれたエネルギー体は、私の真横を通り過ぎていった。あれに漫画であるような、追尾機能が存在してなくてよかった。これなら、ライフルと変わらない。精度を考えれば、ライフル以下だ。

「あらら、残念だなあ」

 魔羅マラが可笑しそうに、笑いを噛み殺して少し近づいてくる。二十五メートル以上離れているため顔の表情はわからないが、口元が緩んでいることだろう。

「そのCube、結構僕と相性悪いかもしれないなあ。楽しくなってきた」

「このCubeは、私の切り札ですから当然です。でも、この勝負の後には楽しくは、なくなってるでしょうね」

「……っく、っくく。いやあ、ホント愚かでかわいいなあ。頭からたべちゃいたいぐらい」


 無性に腹が立つ。魔羅マラのCubeが、こんな性質しかないと踏んでいると勘違いされていないだろうか。私はそれが分かった上で……。


(? なんだ、これ。)

 まるで、平衡感覚が狂っているような。身を捩って、体の感覚を取り戻そうとしたが、予想外の出来事によってそれは叶わなかった。


足が少しずつ消えてなくなっていた。何かに飲み込まれるかのように、足は更に消えていき、侵食するしている方向に身体は傾いていく。引っ張って抜こうとするものの、人間の力ではどうにもならない。既に足首まで埋まってしまっているのは、かなり不味い。


「もっと、面白いこと見せてあげよっか」

 魔羅マラは杖をあらぬ方向に向け、そのままエネルギー体を放った。その方向に一体何が、


「あ、足?!」


 正確には足首が宙に浮かんでいた。『私の』足首である。その足首とエネルギー体は瞬きの間にもぶつかってしまいそうだ。


「Cubeーー引力!」

 

Cubeを、足が沈んでいく向きとは逆方向の力で作動させる。加減をせずに宣言したため、足が引きちぎれるのではないかという痛みをあげているがなりふりかまってはいられない。

「抜け、ろっ」

 エネルギー体と衝突するコンマ一秒前、足がようやく抜ける。Cube同士の力にさらされた足首は、腫れ上がっていそうだがなんとか動く。


「やっぱり、ちょっと相性悪いね」

 にたり、と笑ってこちらを見つめる目。相性悪いと本当に思っている目じゃない。実際、どう考えても私が劣勢だ。エネルギー体による攻撃と、身体の侵食。後者の発動条件だけでも解明しなければ、五分後李芳リー・ファンと再会するのでさえ厳しい。


「考え事しながらなんて、器用だねえ」


 足首を狙って放たれたエネルギー体を、既のところで避ける。威力がある代わりに、照準が甘いらしいことが救いだった。鼻歌交じりで呑気に呟く声とは対照的に、エネルギー体を放つ手は休める気がないらしい。休みなく放たれるそれを避けながら、死角である青いオブジェに滑り込んだ。ひとまず呼吸を整える。状況を整理して作戦を立てようとしていた私は、信じられないものを見た。


「地面に触れていなくても、発動するのか…」


 右腕がすこしづつ消えてなくなっていた。断面から血が出ていないため、作り物のようであったが間違いなく腕はなくなっている。侵食のスピードは加速度的に早まっているようで、少しづつ身体は右に傾いていく。


「Cubeーー引力!」


 Cubeを利用して引っこ抜く。こう何度も無理を繰り返していれば、どうなるかは明白だ。麻酔薬を飲んでいたことに助けられているが、早く発動条件を見つけなければ。


 こちらを狙っている魔羅マラを注視して、杖の軌道から大体の被弾ポイントを計算する。こちらに関してはCubeの力を借りなくてもなんとかなりそうだ。身体を酷使して全力で避けないといけないことには変わらないけれども、Cubeの力に身体を晒すよりずっとましだ。

発動条件。地面に触れなくても作動したことから、空間的な要素は恐らく関係ない。侵食前がどちらも静止状態であったことから、動いていないことが関係しているのは確実だろう。問題は何秒静止状態であれば発動するのか、である。

 

エネルギー体を避けながら、先程気配を隠すのに使用したCubeを手にする。


「Cubeーー隠匿」


このCubeは粗悪品だが、発動時間ぐらいなら姿を隠してくれる。そう踏んでなるべく魔羅マラとの距離をとり、身を潜める。


発動時間を測るためにタイマーセット。……0.1、0.2、0.3秒を指した途端、左足の一部が消え始める。間違いない。発動条件は、0.3秒以上の静止だ。魔羅マラのCubeはエネルギー体による絶え間ない攻撃と、静止による侵食でじわじわ相手を追い詰めていくものらしい。左足が膝まで侵食している状態を解消するべく、Cubeを使用するところでーー


「みーつけた」


 魔羅マラがこちらを見つめて、満面の笑みを浮かべていた。杖からはエネルギー体が既に放たれている。発動条件に気が取られていたから、反応が少し遅れる。この軌道では間違いなく、頭に直撃するそれだけは避けなければ。


「Cubeーー引力」


 私は侵食の解消を諦め、エネルギー体の方向を被弾する寸前に左下に捻じ曲げた。避けきれずに左足が切れてしまった。とめどなく血が溢れているが、想像していたよりは被害が少ない。太ももの中間から十五センチ程度、縦に裂けてしまったため、少し派手に怪我したように見えるだけだ。軽い止血をして、魔羅マラの次の攻撃に備える。


「かわいそうに。せっかく痛みを感じるチャンスなのに、何か細工してそれを避けようとするなんて」


 魔羅マラの言うことは理解不能だ。ここまでおかしくなるには何かあったに違いないが、同情する謂れもない。それより、狭間の探索を再開しなければ。今までの発見は殺されないための対策でしかなく、打開策にはなっていない。加えて、左足の裂傷に、数箇所の打撲。いくら痛覚を鈍らせているとはいえ、身体のほうが耐えられなくなる。

 思案の最中にも、魔羅マラの攻撃は絶え間なく続く。身体が少しずつ重くなり、止血した左足から血が滲んでいるのを感じる。考えないようにしていた、「五分間逃げ回り、後は李芳リー・ファンに全て任せる」という選択肢を思い浮かべてしまった。結局、私が李芳リー・ファンに何かやってあげるなんて不可能だったんだろうか。後ろ向きな思考を一回始めると、止まらなくなる。李芳リー・ファンはこんな私を叱るだろうか。いや、きっと叱らない。


ーーけれども、もう隣を歩かせてくれることはなくなるだろうな。



 









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