第75話:最後は笑顔で
「か、緘森さん……!?」
僕が茂みから姿を現すと、花畑さんは目を見開き、手で口を覆った。過剰すぎるほどの反応も、今の僕なら納得できる。本当ならば彼女が僕をここに呼び出し、彼女自身の口から僕への想いを告げるつもりだったのだろう。
しかし、李凛が入ってきて李凛自身の気持ちを告げた上に、花畑さんの想いまで口走ってしまったんだ。おそらくは自分の口から僕に直接伝えたかったんだろうな……。彼女は残念な気持ちが募っているに違いない。
一方、李凛は、なおも僕の方をまっすぐ見つめていた。一切視線を外すことはない。真剣な表情と一点の曇りもない瞳で訴えかけてくる彼女は、僕からの返答を待っているようだった。
僕の気持ち……。
僕は今、どんなことを思っている?
確かに、僕は李凛のことが嫌いじゃない。というよりも、むしろ好きだ。
でも、僕は未来ちゃんのことも好きだし、永遠のことも好きだ。陽泉のことも好きなのだが、これは恋愛対象内に入ることではないので一旦却下……。
ならば、他の三人は恋愛対象なのか? 僕は今まで、恋愛の相手として、彼女たちのこと考えたことはあるか? 答えは出ている。僕は彼女たちを……“仲間”とは見ても、“恋愛対象”としては見なかった。
なら、彼女たちは恋愛対象外なのか? それも違う。
考えてみると、李凛も、永遠も、未来ちゃんも……みんな容姿はいいし、性格も僕と差し障りがあるわけでもない。本来なら、相手が好意を持っていると知ればすぐにでもお付き合いさせていただきたい人ばかりだ。
しかし……僕は、僕のことを好きになってくれたその子の事を、好きになれるのか? 相手が僕を好きになってくれたなら、それは嬉しい。だからといって、付き合うというのはお互いがお互いのことを好きだからするものじゃないのか……。その子が一方的に好きになってくれたら、僕はその子のことを好きになれるのだろうか。
ついついそんな事まで考えてしまう……。僕は考え過ぎなのだろうか。いらない心配なのだろうか。
――わからない……。
僕が考えている最中も、李凛は、相変わらず僕の方を真剣に見つめる。
「り、李凛……」
僕は言葉をうっすらと呟きながらも、頭の中は真っ白だった。
しばらく無音の世界が広がった。
「月夜……あたしはね、月夜の気持ちが知りたい。あたしのことが好きじゃないならそれでもいい。でも、嫌いなところがあるなら聞きたい……。ダメなところがあったら直すから……。あたしはもう、月夜以外のことを好きになんかなれないの」
李凛の言葉の一つ一つが、僕の胸を刺激した。なんだか痛いくらいに締め付けられている。
それは、李凛の言葉が本当だってわかるから。本気でそう思っているんだって、今までも知っていたはずなのに……僕は、なるべく考えないようにしていた。
恐かったんだ。李凛の想いに、自分は応えられないから。
しばらく無音の世界が広がった。僕らは互いに視線を泳がせるが、そんな状況が焦れったいのか、李凛は率直な質問をしてきた。
「月夜は……どうなの?」
「え?」
「あたしは、あたしの気持ちを正直に明かした。あたしは月夜のことが好きだよ。でも、ただ好きなだけでなんていられないよ。月夜が、あたしのことをどう思ってるのか……。それを知りたい」
李凛の想いは確かに承った。しかし、僕は未だに答えが出ずにいる……。
李凛は僕が気持ちを明かすのを待っている。
――でもさ李凛……僕には、できないよ……。自分の心根に宿らない気持ちを捏造してまで、誰かと恋人同士になるなんて……。
それは、相手が君だからなのかもしれない。僕が自分に嘘をつきたくないのは、君が今まで、自分に正直に生きてきたから。李凛は、何事にも自分なりの真心を持って接してきた。そんな彼女に反することはしたくない。彼女が僕のことを想ってくれているならなおのこと、僕には彼女の気持ちに答える義務がある。
「僕は……わからない」
義務に応じて、僕は僕の気持ちをありのままに答えることにした。
無闇にどちらかを決める必要はない。“わからない”という自分の正直な気持ちを伝えればいいんだ。下手に着飾ったり、嘘をついたりしたら李凛の気持ちには応えられない。なにより、そんなことを彼女は望んじゃいないんだ。
僕が初めの言葉を口にすると、李凛の真剣な表情がほんの少し崩れた。
「え……?」と言いながらぽかんと口を開ける彼女に対し、僕は自身の気持ちを空に綴る。
「僕は、李凛のことが嫌いじゃない。でも、好きかどうかを考えたことはないんだ……」
「それは……恋愛対象に入らなかったってこと? そうなの? あたしは、あたしはずっと前から好きだったんだよ……。同じ時を過ごしても、月夜はあたしと同じ気持ちにはならなかったってこと?」
少しばかりヒートアップする李凛の口調に、僕は一瞬たじろぎながらも、一所懸命喉から声を吐き出す。
「だ、だからね李凛。僕は……誰かを好きになるとか、恋人になりたいとか、そんなことを思ったことがないんだ」
「じゃあ、月夜はあたしのことが嫌いなの?」
「違うって。さっき言ったじゃないか、李凛のことは嫌いじゃないって……」
「じゃあなんなの? “嫌いじゃない”、でも“好きでもない”じゃわからないよ。月夜があたしのことをどう思ってるのかが知りたいのに……それじゃ答えになってないじゃんッ」
曖昧な答え方が嫌いな李凛。そんな彼女に僕は、まさにそんな回答をしている。彼女が苛立つのも当然なのかもしれない。それに加え、話題は恋愛事だ。彼女の苛立ち方から察するに、彼女自身にとっては大問題なのだろう。
でも、僕からしても、どうにもこうにも説明が付けられない心情だ。必死に説明しても、彼女に僕の心が届く可能性は限りなく低かった。もちろん、僕の説明不足からくるものだが……。
「李凛、僕は今まで人を真剣に好きになることがなかった。だからわからないんだ。好きになるっていうことがどういうことなのか……」
「じゃあ、これから探していけばいいじゃない。好きだと思えたならそれでいいし、やっぱり好きだと思えないなら……」
「り、李凛……。それはおかしいよ。好きだと思うから付き合うんだろ? なのにやっぱり好きじゃないなんて軽い気持ちでいられるほど、李凛の気持ちは軽いものじゃないんだろ?」
「そりゃ軽くなんかないよ。でも……月夜が自分の気持ちをわからないって言うから、好きっていうのがどんな気持ちなのかを確かめるには、それぐらいしかないじゃん!!」
「でも、それじゃ……!」
「も、もう結構です!!」
僕と李凛の想いの食い違いが熾烈な言い争いへと発展しかけた頃、花畑さんの声が僕らに響いてきた。花畑さんはめいっぱい肩に力を入れ、僕と李凛の間をシャットアウトするかのような大声で叫んだ。
辺りがしんと静まり返った頃、今まで僕らの言葉を聴いていた花畑さんは、ゆっくりと、自分の気持ちを整理するように話し始めた。
「か、緘森さん……観籍さんも……私は、緘森さんのことが好きです。でも……私が入る隙間は、もう無かったってことですか?」
不安の色を瞳に宿しながら、彼女は問いかけてくる。その言葉に、僕はどう反応していいのかわからなかったが、李凛が横から入ってきていた。
「ご、ごめんね花畑さん……。あたし、花畑さんの想ってることを本人の前で言っちゃったにもかかわらず、花畑さんに謝るどころかいつの間にか大声まで出しちゃって……」
李凛の申し訳なさそうな声に、僕も胸が痛くなる気分だった。李凛を不用意に怒らせてしまったばかりか、一瞬の間、花畑さんの想いを心に留めておくことができなかった。
花畑さんは、むしろそんなことはどうでもいいといった感じで、小さな声で李凛に返す。
「いいの、観籍さん……。緘森さんと観籍さんは、恋人ではないにしろ、お互いのことをしっかり想っているだって思いました。私は、観籍さんは緘森さんが好きなのかな……なんてなんとなく思ってましたけど、緘森さんは好きな人がいないと知ったとき、もしかしたら観籍さんに勝てるんじゃないかなんて勝手に思っちゃって……」
話している彼女自身、とても悲しそうな顔をしていた。彼女に正式な返事もしていないのに、間接的に断ってしまった結果になるんだ。気の毒なことをしてしまったと、今更になって自責の念がこみ上げてくる。
「私は、緘森さんの気持ちが知りたかっただけです。好きな人がいるのかとか……どんな人がタイプなのかとか……あわよくば、付き合えないかな……なんて、な〜んて考えちゃったり〜……。あ、で、でも……結局、無理なんだってわかったんで……いいです」
それだけ言うと、彼女はくるりと体を返し、校門の方向へと向いた。そう思うと、今度は歩き出す。帰るつもりなのだろうか……。
「あ、ちょっ、花畑さん!!」
必死に叫んだ僕の言葉も、既に聞く耳を持っていないようだった。別れ際、彼女は首だけを軽く横に傾け、目線をこちらに向ける。
「さよなら……」
にこっと笑顔で一言……。たった一言だけを残して、彼女は消えていった。その背中はやけに寂しく、虚しく、二度とそんな悲しみは背負って欲しくないものに思えた。
シビア一直線です。
悩みました……あれからどうしたらまとまるのか。結局、あまりまとまらず終いで申し訳ないです……。
恋は盲目……まさにそんな李凛でしたね。構わず突っ走る様が彼女らしいといえばそうですけど……。
*次回予告*
成海の気持ちに責任を感じる李凛。
想いを伝えたことで、次第にギクシャクしていく月夜と李凛……。
恋は……どのような顛末を迎えるのか……。