第72話:いい居心地
11歳の頃。
永遠に降りかかった嵐のようなひとときは終結を見せた。僕たちは……いや、主に僕と永遠なんだけど……病院へ行き、幸い大事に至らないということでその場は治まった。
永遠の父さんは、自首するといって聞かなかったのだけど、永遠の方から強く拒否したそうだ。僕も、永遠の意思を尊重するべきだと思った。
甘いのかも知れないけど、罪を償うことは……遠く離れたところよりも、その人の近くでその人のためのことをすることでできるんじゃないかと思う。
全てを聞かされた永遠の母さんも、娘がそんな調子で父親に泣きつくものだから……肝心の父親を責めることもできなかったようだ。あまり釈然としない人もいるのかも知れないけど……本人たちの意志だ。
父親がそばにいて、母親もそれを認める。それが永遠の意志なんだ。彼女の望むことをしてあげられるのなら、どんな軽い処分でも構わないのではないだろうか……。
それから永遠の父さんは真面目に働くことを決意して、商売の勉強を一からやり直したそうだ。娘のために、家族のために何かをしてあげられるということは、何よりも彼の後押しになったらしい。しばらく経って……彼はあるカフェをオープンさせた。
カフェ『エターナル』。これからは彼女のことを背負う、彼女のことを支える、彼女と一緒に生きていく決意を……店の名前として刻むことで約束したようだった。
僕はそれでもいいのだと思う。「人を殺すようなやつは死ぬべきだ」なんて提唱する人間もいる。
……けど、それじゃ償うことができないじゃないか。罪を償うということ、それは死ぬということでは果たされない重大な責任だ。
罪を償うといって死んでいくのは、人を殺しておいて恐くなって逃げていくひき逃げと同じだ。他人の命を奪っておいて、自分は罪を被るのが恐いからあの世へと逃げていってるだけだ。
それでは罪を償うとは言わない。死んでいった者のために生きている者ができることは、死んでいったその人の分も、背負って生きていくこと。極端な話ではあるものの、僕はそんなことなのだと思う。
人を傷つけたからと言って、ただ自由を奪われるというのはただの“逃げ”だ。罪を償うのならば、被害者の近くでその人を労ってあげることが一番いい……それでいいんだ。
「あれから5年か……」
永遠はため息混じりに呟いた。僕と陽泉は、その言葉でわかった。彼女は、彼女の父親が起こしたあの事件を思い出してしまっているのだと。
「泣きついてたもんなぁ……。『そばにいてよぉ〜』ってよ」
陽泉は、しみじみとしている永遠にふざけ半分で語りかけていた。それに永遠が激情したようで。
「う、うるさい! 人のデリケートなところ掘り下げて……。見損なったよ陽泉、気遣いもできない人だったなんてね……」
永遠の言葉に、僕も同意してしまった。陽泉は、普段から人をからかうのは好きだ。でも、いざとなったら気持ちの切り替えがしっかりできて、相手のことを思って言動してくれる人だと思っていた。
何故そんなこと言ったんだろう。陽泉はこんな時まで茶化すほど、空気の読めない人間じゃなかったはずだ。そう思ってると、陽泉は冷静な口調で続けた。
「ほらまたそんなふうに情緒不安定になる……。その性格はあの時から変わってないな」
「なッ!? なにをぉ!!」
ますます陽泉にくいかかる永遠。僕はヤバイ空気になっているこの場を、もうどうすることもできなくなっていた。ただあわあわと彼らの様子を見ていることしかできない自分が情けない……。しかしそんな僕を尻目に、陽泉の冷静な口調は続く。
「だから……もうちょっと大人になれっての」
「どっちがだッ。他人のいやな思い出をつつく方が言う台詞じゃないだろッ!」
「あれはいやな思い出か?」
「え……?」
永遠の頭に疑問符が浮かぶ中、陽泉の口調は相変わらず冷静ながらも、相手を諭すような温かみも感じられるものになっていた。
「あの事件は、お前の父さんがお前のために生きる決意を固めた大切な思い出だろ。それを悪い思い出にするのは父さんに失礼なんじゃないか?」
陽泉の言葉に、永遠も言い返すことができないでいるようだった。僕は、永遠の表情から怒りの色が消えることを感じながら陽泉の言葉に耳を傾け続けた。
「それに、お前にはあの時に見せたような泣き顔も、今見せた怒りの顔も似合ってる。それは、お前自身が心の内を全面に表した表情だからだ。他人に見せることがなかった心の奥部を、今は見せられるようになってるじゃないか。だから悪い思い出になんかならないはずだ」
陽泉の言葉に、永遠も一心に耳を傾けていた。その陽泉の言葉に納得すらしていた。
確かにそうだ。あれ以前の永遠は僕らにだけでなく、他の誰にも心中を露わにすることはなかった。そのことから考えてみれば、あの事件は充分な人生の転機になったはずだった。陽泉は、それが言いたかったらしい。
「ま、まぁ……俺たちと一緒になってバカみたいに笑ってるお前も……その……なんだ。笑ってる表情も……似合う、というか……」
冷静に物事を言っていたかと思うと、急に顔を赤くして何やらもじもじと言い始めた陽泉。その言葉が永遠にも伝わったのか、彼女も顔を赤くしていた。
――いちゃついてる……。
僕はふいにそう思ってしまった。僕もいるのに、なに2人でいい雰囲気醸し出しちゃってるんですか。そうですか、わたくしは邪魔でございましたか……。まぁいいですけどね、この結果2人がどんな道を通っていこうとわたくしには関係ありませんもんね。
半ば……いや完全にふてくされた僕は、立ち上がって出入り口の方へ向かった。
「つ、月夜…?」
陽泉と永遠は、この空気の中で立ち去っていく僕を気遣ったのか、それとも単に恥ずかしさを紛らわすための発声なのか。どちらともつかない声で僕の行方を問い質してきた。それに、僕は平静を装って返した。
「ちょっとね。外の空気が吸いたくなっちゃって」
酔ったときの言い訳みたいになっちゃったけど、正直そんな気分だった。あの空気の中にいてはいけない気がした。
「なら俺も……」
やはり僕に気を遣っているようだ。陽泉は僕に同行しようと席を立とうとする。でも、僕はそんな陽泉に座るように言いながら、にっこりと微笑んだ。
「外の空気より、そこの空気の方が居心地がいいんじゃない?」
疎外感からじゃないけど、僕が放ったその言葉は、精一杯の皮肉だった。いつも僕を茶化してるお返しに、今度は陽泉を茶化してあげたというわけだ。ま、永遠も巻き込んだのは悪いと思うけどね。
陽泉と永遠をおいて出てきてしまったけど……これからどうしようか。また近くの公園にでも行こうかな……。思ったときには、僕の方にかけてくる女の子の姿が見えていた。
「月夜くーん!!」
未来ちゃんだった。相変わらずの幼い声で、僕の方へと手を振っている。僕は僕で、彼女の方に手を振り返していた。未来ちゃんは僕のすぐそばまでかけてくると、僕の腕をとって引っ張った。
「ちょっ!? どうしたの?」
「海行こ?」
「へ……?」
僕の脳内では、様々な質問が飛び交っていた。しかし、彼女はそんなこと気にもとめていないようで……僕を強引に引っ張っていった。
彼女が何故そんなことをするのかはわからなかったけど、別に逆らう理由もない僕は従ってしまっていた。
そして、僕は知る由もなかった。僕がこうしている間に起こっている、ある騒動のことを……。
結局、過去編の後処理から抜けられず終いでした……。
しかし! さすがに次からは別の章に入れるかと……。
*次回予告*
忘れてませんか? あの少女の存在を……。少女は、月夜たちを大変な状態にしてくれちゃいますよ!
こないだまでのシリアスなノリが消え去りましたね……。