第71話:生きる意味
僕たちが目撃した光景……。
それは、家族のすることとは思えないほどの暴挙であり、一つの命を失いかねない、暗くて信じられない光景だった……。僕らは、突入してその光景を見、戦慄のために思わずたじろいでしまった。
「よ、陽泉! 月夜!!」
恐怖に染まった瞳で、必死に僕らに助けを乞うた永遠。僕らはその声に呼応して、再び瞳に決意の色を滲ませることができた。
「なんだお前らは!!」
睨む僕らに、永遠の父さんの怒声が響てきた。僕らはその声に戦きつつも、歯を食いしばってなんとか震えを抑える努力をした。しかし、手はぶるぶると震え、脚はがくがくとして今にも崩れ去ってしまいそうだった。
「あんた……一体何をしようとしてるんだ?」
震えているのは、どうやら僕だけのようで……。陽泉から発せられた声は冷たく暗く、憎悪感を背中に背負ったような声音だった。
いつものんきで、どこか人をおちょくって楽しんでいるような目は、そこにはなかった。人の死……それを一つ乗り越え、彼がこうして生きている覚悟を決めたときの目だ。
“死に行く者のために、生きてる者ができることは……死んだ者の分も生きること……”
陽泉は、日和ちゃんの墓参りに行く時に呟いていた。それは、身近に人の死を感じたことのない者でも同じなんだと……。人の死に身近も遠くも関係ない。他人も悪人も関係ない。生きている者に、他の誰かが死なんていう理不尽な暴力をふるってはいけないんだ。
僕らは、それを一番よく知ってる。
いや、誰かの死から悟ったんだ。僕らは、たとえどんな形だろうと……誰も失わない、誰1人欠けさせやしない。
「お前らには関係ない!! お前らは私から永遠を奪うつもりか!? 私の大切な永遠を!!」
「大切な永遠……? ふざけるな。あんたはその大切な永遠に傷を付けてるんだぞ」
陽泉はなおも冷静に言い放つ。そしてこれ以上永遠を傷つけさせぬように釘を刺し続けた。陽泉の強い瞳に気圧されたのか、今度は永遠の父さんがたじろいでいた。それほどに陽泉の威圧は凄まじいものだった。
「あなたがしてることはただの暴力ですよ!? いい加減目を覚ましてください!!」
僕は、陽泉に続くようにして声を張った。諭すように、そして過ちに気付いてもらえるように必死で叫んだ。それに答える永遠の父さんの意見は変わらないものだった。
「うるさい!! これは暴力でも傷でもない! これこそが愛の証だ。愛している証拠だ!!」
「そんなことはないです! 相手を傷つけることが愛の証だなんて、そんなことはあってはならないはずです!! 永遠のことを想ってるのなら……もっと永遠のしてほしいことと、してほしくないことの区別をつけてください!!」
僕がそう言い終わらないうちに、永遠の父さんの手が動いた。その瞬間……。
陽泉の顔が鮮血で染まった――。
…………。
一瞬、僕の目の前が真っ白になった。僕の首下には、すぱっという切られるような音。そして真っ赤な血の吹き出る音……。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
僕の真っ白な空間に、永遠の叫び声が反響してきた。気がついてみると、何故か首のあたりがひりひりするように痛い。返り血を顔に浴びたはずの陽泉は、僕の方を見て目を見開いている。
僕はおそるおそる、陽泉の凝視する僕の首もとあたりを触れてみる。そこには、見事な切り口で傷が付いていた。そこからは生温かい液体が流れ出ていた。
「これって……血……?」
ようやく状況を飲み込めた僕は、瞳に戦慄を貼り付ける。僕は、目を見開いて膝を折った。床にどかっと膝をつき、首下を抑えながら恐怖で震えていた。
(切られた……切られた……切られた……切られた……切られた…………)
頭の中で、僕の恐怖はこだまを続けていた。
怖さのあまり震えが止まらない、目の焦点が合わない、歯ががちがちとしてかみ合わせることができない……。
押さえた傷口をよく見てみると、あと少しで頸動脈をバッサリというレベルだった。とりあえず止血のためにハンカチを当てる。
「私の邪魔をするならこうなるぞ!!」
陽泉にも言っているようだった。僕のような目に遭わせると。そう言って、再び手に持っていた包丁を握り返す。でも、僕はそんなこと望まない、永遠だって望んでないはずだ……。
もう……これ以上……誰も傷つけないでくれ…………。
膝をついてうなだれていた僕は、立ち上がり、永遠の父さんを睨みつけた。
「あなたは……何をしているのかわかってますか……?」
僕の声は自然体で、空気に溶けそうなほど密度の薄い声だった。弱く、小さく……しかしそれは思いの外、真っ直ぐ、僕が放った言葉通りに部屋へ響いていた。そして、僕はそのまま静かに続ける。
「どうして……どうしてこんな事ができるんですか? これ以上……誰も傷つけないでください……」
「なッ、何を……」
……いや、本当に真っ直ぐ伝わっただろうか。永遠の父さんの目からは、恐れすら窺える。
「月夜……お前…………」
陽泉からも視線を受けたけど、それはまるで僕を恐れているように見開かれていた。気がつくと、僕の手にはいつの間にか永遠の父さんが持っていた包丁が握られていた。
どうやら、喋っている内に彼の手から奪い取っていたみたいだ。そんなつもり無かったんだけどな……。でも、これで永遠や陽泉にこれ以上の危険を背負わせなくても済むから……まぁ良かったのかも知れない。
「もう……やめてください。これ以上……人を…………永遠を傷つけないでください」
「お、お前には……関係ない!!」
もうなりふり構っていられない様子で。僕の言葉にいらついたのか、永遠の父さんは遂に僕に向かって殴りかかってきた。酒に酔ってこんな事になったのだろうが、その危なげなダッシュを見る限り相当飲んでいたようだった。
包丁を持っている僕に対し、直線で真正面から突っ込んできた永遠の父さんに、僕はよろめきながらもなんとか避けることができた。その際に包丁を手から弾いてしまったけど、元々いらないものだったからスルーした。
勢い余って壁に突っ込んでしまう彼に、背中から陽泉が押さえ込んだ。しかし、大人の力というものは思った以上に強いもので……陽泉は振り払われてしまった。
「んがッ!!」
したたかに床へと投げられた陽泉は、眉間にしわを寄せながら背中をさする……。
「だ、大丈夫!? 陽泉……」
陽泉の着地(失敗)したところには永遠が座り込んでいた。飛んできた陽泉に心配の言葉をかけているようだった。
「あ、あぁ大丈夫……いいから下がってろ」
永遠を気遣って言う陽泉に、永遠は半ばあきらめ口調で告げた。
「もう……いいの……」
陽泉はその哀しそうな瞳に困惑し、永遠の方を黙って見つめるばかりになってしまっていた。そして、永遠はというと……おもむろに立ち上がったかと思うと、すぐ近くへと地面を滑ってきた包丁を拾い上げて言った。
「お父さん、もうやめて!!」
その一声に、僕も陽泉も永遠の父さんも振り向いた。永遠は、決意に満ちた目で僕らの方を見つめている。同じように決意に満ちた声で言葉を発した。
「もういい……もういいよ……。わかってる。あたしがいるからこうなるんだよね……」
永遠の声はいつにも増して哀しそうで……そして――。
「だから……!!」
そう言いながら、持ってた包丁を自分の首へと突きつけた。その手つきはもう、震えることさえしないままだった。
「あたしは……あたしがこうなれば、済む話なんだよね……」
……な、何言ってるんだ彼女は? 永遠を救うためにここまで来たのに……それじゃ意味無いじゃないか……。
「バカなことはやめろ!! 永遠!!」
「そ、そうだよ。そんな事して誰が喜ぶのさ!?」
陽泉と僕のそんな言葉でも、彼女は止まろうとはしなかった。
「陽泉……言ったよね? あたし、殺すかも知れない。こんな事になる一番の人間を……殺すって。原因は……一番の原因なんてあたしなんだ!! あたしが消えれば誰も傷つく事なんて無い筈なんだから!! だから……あたしはあたしを殺します……」
そう言ってつぶられた永遠の目からは、ひとしずくの涙が流れ行った。
「…………さようなら」
永遠の腕がいよいよ勢い込んだと思うと、僕も陽泉も見ていられなくなり、目を閉じてしまっていた。
おそるおそる視界を広げる僕ら……。そこには、大人の大きな背中があった。広く、あたたかく、全てを優しく受け入れてくれそうな背中だった。
よく見ると、永遠の手から包丁は弾かれ、すぐ横の壁に突き立っていた。永遠の目の前の大きな存在が……死の淵から彼女を助けてくれていたようだった。
「永遠……」
その大きな存在は、今にも枯れてしまうんじゃないかと思うほどの涙を流していた。そして、同じように泣く永遠を……ゆっくりと父親の真の愛で包んでくれていた……。
「すまない……。永遠……すまなかった…………」
「お、お父さん……」
涙声で、永遠とその父さんは、一生懸命お互いを抱きしめていた。本当の親子の愛が……そこにはあった気がした。
「今まで……気付かなくて悪かった。お前は、こんな事望んじゃいなかったんだもんな。もう、お前を哀しませないと約束する。お前を大事にすると約束する……だから、ずっとそばにいてくれ……」
「うん。……うん」
何度も、何度も……。永遠の父さんは同じ台詞をくり返していた。それにあわせて、永遠も何度もうなずいていた。
父親の肩に自分の頭を乗せながら……彼女は自分の身に降りかかった不幸と、今優しさに包まれている幸福を反芻させて泣いた。大きな声で泣きじゃくる彼女は、まだ幼い小学6年生の少女だった。過酷な運命を乗り越えられるような立派な体格でも年齢でもない。
……でも彼女は、今こうしてここにいる。少なくとも、自分の父さんに抱かれて……。
「これで……良かったんだよね」
僕が藪から棒に言うと、陽泉は静かに答えてくれた。
「結果、気付いてくれたんだから良かったじゃないか。何か不満でも?」
「いいや。親子は、こうあるべきなんだと思うよ。一緒に笑ったり、一緒に泣いたり、一緒に前へと進むことができる。そうして築かれた絆は、きっと何にも負けないからね。
人は結局……自分のそばの誰かと共に生きていくんだよ。それが誰だって、どんな人間だって構わない。生きる意味なんて1人じゃ探せない。自分のそばの誰かと一緒に生きていくことで、“生きる意味”を探していくんだと思うよ」
「“生きることで生きる意味を探す”ねぇ……。俺が生きるのは……日和のためかな」
陽泉は、しみじみと漏らした。僕は、すっかり乗り越えた様子の彼のそんな言葉に微笑み、“自分の生きる意味を探しに行こう”と思った。何処にあるかなんてわからない。見つけられずに終わるかも知れない。
でも、それでも誰かがいる。少なくとも今は、陽泉や李凛や……それから永遠だっている。
僕は、こんな仲間たちとこれからを生きていきたい。
今ここでこうして仲間に囲まれていられる事を、誇りに思って……。
自分の娘の、生の瀬戸際に直面して初めて気づいた過ち。
それは遅く、赦されるものではないのかも知れない。
でも、人は変われる。罪を償うことができる。誰かを傷つけた分だけ、その人に優しくすることだってできる。
間違ったなら……やり直せばいい。
少なくとも、私はそう思いますよ。
近々、新作を始めるため、こちらの更新が遅れる可能性がございますのでご了承下さい……。
*次回予告*
さて、過去編を抜け、お話はいよいよ現代へ!
これから降りかかる、月夜への選択……月夜の決断を、どうぞご期待ください!!