第56話:ともに
僕らの目の前に現れた少女…。それは、色素の薄い髪。くっきりとして真ん丸な瞳。天使のような笑顔でボールとじゃれている。僕らは、その少女に見覚えがあった。いや、見覚えなんてものじゃなかった。
どれほどの間、彼女を背中に乗せていただろう。どれほどの時間、彼女と戯れていただろう。
彼女を目の当たりにした瞬間…あの頃の記憶と思い出が、一気に全身に駆け巡るのが分かった。
「な、何…?あれ……」
李凛が声を震わせて呟いた。正直、僕も陽泉も同じ気持ちだった。だっておかしいじゃないか、6年も前にこの世から去ったはずのあの子が、僕らの目の前で遊んでいるなんて。
驚愕の色に染まる僕らに反して、きゃっきゃと遊んでいる日和ちゃんらしき人影。ボールをぽんぽんついたり、両手で上に大きく跳ね上げたりしていたが、僕らに気付くような仕草は見せなかった。やっぱり別人なんだろうか。いや、常識的に考えればそれがあたりまえだ。
僕らは、誰からということもなくその子に近付いていった。いや、その子の姿に吸い込まれていってしまったかのような感覚だ。とにかく、僕らはその子の正体が知りたかった。蘇った、なんて事はないにしろ、こんなに瓜二つの子なんて珍しすぎる。
僕らは、日和ちゃんらしきその人影に近付いていき一斉にしゃがみ込んだ。その奇妙な団体行動に、ひとしきりの疑問符を浮かべた後、日和ちゃんそっくりの人物は僕らの方に微笑みかけた。
「えへへ〜」
彼女が何故微笑んでいるのかなんて当然のごとく知らない。でもその笑顔は、僕らからしたらとても懐かしいように思えてならなかった。そんな中、ただ1人僕ら3人の後ろで立ちすくんでいる未来ちゃんに悪いと思い、僕が声をかけることにした。
「あの、さ…。君…名前、なんて言うの?」
「名前…?う〜んとねぇ〜……教えないッ!!」
「「「……は?」」」
かがみ込んだ3人が、ぽかんとしてその子を見つめ続けた。
ナゼニナヲナノラナイ……?
頭の中はそんな疑問でいっぱいになっていた。ただでさえこの子の存在に動揺してるっていうのに、自由というかなんというか。天真爛漫なところまでそっくりだ。
そうして悩み込んでいると、ふいに女の子の後ろ側から声がした。
「日和〜。そっちはお墓でしょ、何度も言っちゃダメだって言ってるでしょッ」
そう呼びかけてくるのは、どうやらこの子のお母さんのようだった。エプロンを着て、買い物袋を手首にぶら下げたその人は、“日和”と呼んだ目の前の子を、自分の方に向き直らせた。
……え……?
今、あの人は女の子のことをなんて呼んだ?
ひ・よ・り?
「「「「日、日和!?」」」」
僕も李凛も陽泉も、そして未来ちゃんでさえも、たった今放たれた驚愕の一言につっこみを入れた。名前さえも…一致してるなんて。
「す、すみません!この子、“日和”っていうんですか!?」
僕は興奮気味にその子のお母さんらしき人に確認した。“お母さん”は、僕らの方を向くと、(当然ながら)いかにも初めてお目にかかりましたといったような態度で目を丸くした。
「あなたたち、どなた様?」
どうやら、僕の悲痛な訴えも軽くいなされてしまったらしい。結構ショックだ。
そんな僕に気を使ったのか、以外にも陽泉がちゃんと順を追って説明を始めた。――
「俺たちは、なんていうか…。お、俺は…日和の兄です」
「…はい?」
彼女のお母さんは、ぽかんと口をあけてこっちを見返してきた。それはそうだ。いきなり産んだ記憶もない子供が、自分の子供の兄だなんて言ってくること自体おかしい沙汰だ。陽泉も、いきなりのことに戸惑ってうまく説明のしようがないのだろう。
しかし、その女性からは、僕らで言う一般常識としての返答は返ってこなかった。
「あ、日和ちゃんのお兄さん…なんですか?」
……あれ?
信用しちゃったけど。尋ね返してきちゃったけど…。僕ら、“お母さん”の言ってること、わかりませんけど……。
僕らがぽかんとしていると、その女性も自分の言ってることに説明の足りなさを自覚したのか、慌てて補ってきた。
「あ、いや、あの…そうじゃなくて……。えっと、青旦さん…ですか?」
どんぴしゃり…ですけど。女性は明らかに的を射た質問をしてきた。いきなり名指しされて驚いたのか、陽泉はどういう顔をしていいのかわからないといったような感じで、とりあえずそのまま驚いた顔に定着して質問を肯定した。
「やっぱり、青旦さんなんですね。私、“諏訪原”と言います」
諏訪原――陽泉は、その名字がすぐに脳内メモリから引き出されたようで、驚愕のの顔からさらにその色を濃くしていった。
そして、その名字には、僕も李凛も聞き覚えがあった。確か……日和ちゃんを轢いてしまい、自らも不運に苛まれて命を落とした張本人。今はもう…いや、あの頃から恨みにすら思うことはなかった。
死んでしまった人間を恨むのは、なんだか気が引けた。それ以前に、相手を恨むようなことをしても日和ちゃんが帰ってくることはない。それどころか、喜ぶことさえしないだろうということは、子供ながらに分かっていた。
「その節は、本当に申し訳のないことをしました。心からお詫びします」
諏訪原さんは、険しい顔をして陽泉に謝罪してきた。求めてもいないのに、僕や李凛や未来ちゃんの方にも。
頭を深々と下げるお母さんを見ている中、目の前にいる日和ちゃんはどこか所在なさげに、きょろきょろと僕らとお母さんの間で視線を往復させていた。そんな仕草をかわいいとでも思ったのか、未来ちゃんが無邪気な笑みを掲げて日和ちゃんの前に座り込み、明るく尋ねた。
「日和ちゃんは、いくつ?」
「6つ!」
元気な声で、無邪気な笑顔を返しながら日和ちゃん答えた。
そんな彼女の返答に、再び僕らは顔を合わせる。6つ……ということは――
「そうです。この子は、主人が事故を起こした数日後に産まれました。ちょうど、あれから5日後に――」
そう言うと、諏訪原さんは過去のことを振り返っていった。
事故の概要はこうだ――
ある女の子が車道の近くの草むらで遊んでいた。その車道には、両側に鬱蒼と茂る草むらが道路沿いにのびていた。そこで遊んでいたのは、青旦日和。
その車道は、普段車なんて滅多に通らない。田舎道の特質だった。そこに、諏訪原という名前の男が乗用車に乗って通行。彼は、妊娠中の妻と、いずれ産まれてくる子供へプレゼントを買って病院による途中の道だった。
諏訪原が運転している車のちょうど正面に、青旦日和が飛び出してきた。
諏訪原は、その女の子を避けようとハンドルを切るが、避け切れずにその女の子を轢いてしまう。
そして、轢いてしまった後の諏訪原自身も、後のハンドル操作を誤り、ハンドルを大きく切ったまま近くの電柱に激突。乗用車は、ボンネットがひしゃげてしまうほどに大破。廃車送りとなり、当然ドライバーに降りかかった衝撃も大きく、ハンドルとシートの間で身動きができなくなるほどに挟まっていたそうだ。
近くで衝撃音を聴いた住民からの通報で、2人とも病院へ搬送されることになったが、2人は…2度と息を吹き返すことはなかった。
「亡くなったのは夫でした。その訃報を受けて、私はショックのあまり難産になりかけました」
事件の詳細を思い出し、彼女が涙を飲んで後悔の言葉を語り紡いでいく中、僕は事故当日に李凛から手を引かれながら見た、ある開きっぱなしの扉の奥での出来事を思い出した。
白い台、白く山状になった物体に頭を埋め、支えとするように必死に身をもたれかからせて泣いていた女性。
あれは、諏訪原さんだったのか……。
そんな僕の考えをよそに、なおも諏訪原さんは話し続けていた。
「でも、難産に陥りかけたその時、お腹の中の赤ちゃんが急に激しく動き出したんです。それと同時に…ふふっ、笑われちゃうかもしれませんけど。『元気出せバカー』って、聞こえてきたような気がするんですッ」
後半は、諏訪原さんも笑顔をこぼしながら話してくれた。それにつられ、僕らも思わず微笑んでしまった。
天使が舞い降りたんだ。
僕はそう思った。ついさっき天へと昇った天使が、早速誰かに笑顔を届けに来たんだって。
「そんな声が聞こえてきて…元気をもらったんです。このままじゃいけない、夫を失って、事故を起こしてしまった相手の女の子まで失って、この子まで失うわけにはいかないって思ったんです」
その言葉を語る諏訪原さんの目は、強い母親の目だった。命を産み落とすこと、それは容易な事じゃない。いつか必ず終わってしまうその命を、産み、育て、人間として成形していくのは、よほど強い人物じゃないとできないものだ。
でも、彼女に天使は微笑んだ。彼女に生きる希望を、そして赤ん坊には生きたいという願いを届けてくれたのだった。
諏訪原さんは、その時思ったらしい。事故で亡くなった子の分も生きて欲しい。そして、あの時諏訪原さんを元気付けてくれた声の主のように、太陽となって周りの人間に希望を与えて欲しい、そう願って名付けた。
日和と――
諏訪原さんは、最近この町に引っ越ししなおして来たらしいなんと僕らの家の近くにあると聞いたもので、僕らは日和ちゃんと手をつないで6人仲良く帰ることにした。
「これからよろしくね、日和ちゃん」
僕が笑顔で呼びかけると…
「うん!」
そんな笑顔で返してくれた。
その後、手をつなぎながら楽しくおしゃべりして帰った。日和ちゃんが家で飼っているという、右脇腹に黒く大きな丸印のあるウサギの話をたっぷりと聞かされながら――――
ひとまずこの章は終了です。
いや〜長かったですね…。その上、新キャラまで出てきちゃって…これからまだまだ物語の幅が広がってしまうかもしれないと思うと…楽しみっていえば楽しみです。
*次回予告*
平穏な日々…。そんな日が欲しいと思った人は、一体何万人…何百万人いるだろうか。
神様…僕にはそんなのないんでしょうか…?