第53話:生きろ
――俺…信じないからな……!――
陽泉のそんな言葉を聞いてから早3日…。僕は、この3日間一歩も家を出ることがなかった。
ほとんど休んだことなんて無かった稽古にさえも…今では手につかないだろう。そんなことよりも、今は悲しみでうちひしがれている気持ちが勝っているのだから仕方がない。
悲しいな…そう思った。あんなに好きだった剣道が、“そんなこと”なんて粗末な言葉で心の外に投げ出されている。空虚な心のまま、僕はベッドの上で壁にもたれかかりながら黙って天井を眺めていた。だらしなく足を伸ばしたその光景は、自分でも珍しいと思えるものだった。
別に、自分が礼儀正しく座る利口な少年であることをアピールしたいわけじゃない。でも、普段はそんなことなどあまりしなかった。明らかに自分の体に影が差している…。とにかく暗い気分は晴れないままだった。
「どうして…」
臙脂色の爽やかなカーテン…。だが、一見した程度ではわからないほどの結構な厚手のそれは、窓から部屋の中へと入り込んでくる日光の一切を遮断していた。そのおかげなのか、それとも僕の心をそのまま表しているのかはわからないほどに闇に包まれていた部屋の隅っこで、細々とした声で呟いた。
「どうしてさ…………僕は、僕はッ……」
涙声が響いた。力のない響きだったが、確かに部屋中には届いたはずだ。そして、そんな弱い心を露わにしたような声は、他でもない僕の心の中に容赦なく浸みていた。
泣きたいくらいの衝動に襲われ続けて抵抗した結果、僕は抗い疲れて寝てしまっていた。その頬には、抗い負けたように光る一線の痕を残して…。
「月夜ちゃ〜ん!!」
日和ちゃんは、僕を見るなりこっちの方に駆けてきた。
「こんばんは、日和ちゃん」
「えへ〜。こんばんはぁ〜」
日和ちゃんは、もうすっかり日が暮れているのにも関わらず、分かりやすいくらいに顔を赤くしていた。それでももじもじする姿勢は見せず、なんなら遠慮無しといった感じで僕の足を掴みにかかってきた。
“がしっ”
“よじよじ”
“ぴと”
「てへぇ…」
早速、背中を占領されてしまった僕。幼いとはいえ、女の子に安心してもらえるというのはなかなかに嬉しいもので…。それに、おぶうこと自体に悪い気持ちはないもんだから…僕といったらこの子のすることには微笑みを返す以外の対応がつかなかった。
「まったく、いつもながら恥ずかしいやつだなお前は…」
「ほんとにね…。落としちゃえばいいのに」
そんな辛辣な言葉は、向こうの暗がりから現れてきた陽泉と李凛のものだった。
暗がりと言ってもそこにはたくさんの人が溜まっていて、がやがやと活気に溢れている。
「ぶぅー!ボク馬鹿じゃないもーん!!」
「誰も馬鹿なんて言ってないでしょ…」
「自覚あるんじゃないか?」
そんながやがやに負けないくらいのかん高い日和ちゃんの声に、呆れる李凛の声と冷やかす陽泉の声が注がれた。
「むぅーむぅーむぅー!!お馬鹿は李凛ちゃんと陽ちゃんの方でしょッ」
「ほほー、言ってくれますねぇこのガキは…」
あららカチンときたご様子…。李凛は右手の拳を左手の拳で包み、おおげさに肘を上下に動かしながらばきぼきと不吉音を鳴り響かせている。
「べーだッ!」
僕の背中では日和ちゃんが舌を出して李凛を翻弄しているようだった。でもそんなことされて、もし本当に殴りかかられでもしたら…僕やばいんじゃない?
「このっガキィッ!!」
そんな僕の考えなどお構いなしといった感じで、不吉音を終えた拳を赤い彗星よろしく尋常の3倍のスピードで真っ直ぐ突きだしてきた。
僕はというと、そんな拳をかわすのが精一杯で必死に体をねじって回避した。
「あ、危ないじゃないか…僕ごと貫こうなんて……」
「いや〜、だって日和が…」
後頭部をぽりぽり掻いてはいるが…終始笑顔が絶えない様子を見ていると、わざとに違いはないようだった。はぁ〜ッとため息をつく僕に対し、李凛は目を見開いて見つめてきた。
「あれ?そう言えばその馬鹿は?」
え…そう言えば、さっきから背中にかかった負荷が一気に消えているような……。そう思って背中に手を当ててみると…さっきまで背中を真ん丸にしてひっついていた温かいものの感触はなく、そこにはただ空になった温かみの残る特等シートがあるだけだった。
「「「あぁ〜〜〜!!」」」
3人の絶叫がシンクロする。必死に辺りを見回したが日和ちゃんらしき影はない。周りを見てみても人、人、人…日和ちゃんの姿など綺麗さっぱりに消え去っていた。
僕らがいるところにも、だんだん人が混んできた。それもそのはず、今夜は地元町開催の夏祭りの宵宮だ。出店が立ち並び…その出店目当てにたくさんの人々が行き交っている。
ということは……つまり迷子だ。
なんて淡々と状況判断してる場合じゃない。すでに眼前の景色には黒山でいっぱいになっている。1人の小さな女の子を捜し出すなんて到底できないことだ。でも捜すしかないだろう…。
「仕方ねえなあ…捜すぞッ」
「月夜が自分勝手なばっかりにねぇ…」
「う、ごめんなさい…」
そんな調子で3人は走り出した!!
小さな女の子の捜索、発見を任務として胸に刻みながら!!
「わはー!」
“ずがっ”
“ずざざざぁーーー”
走り出した途端に聞こえてきた、聞き覚えのある陽気な声に僕らはずっこけ、軽く5,6メートルは滑り込んでいった。
「「「見つかるの早ッッッ!!」」」
再びシンクロ率200%を越えた僕らは、きっちり宵宮を楽しんでいる日和ちゃんに対してビシッと指さしながら見事なハーモニーを奏でていた。
「ほえ?」
そんな僕らを一瞥した迷い人は、わけがわからないと言ったように笑顔を作っていた。が、僕らのそんな宴会芸よりも目の前の金魚すくいの方が楽しかったのか、すぐに方向転換して“ポイ”を構えていた……。
結局一匹も取れず、出店のおじさんに一匹をおまけしてもらった金魚の袋を、日和ちゃんは満足そうに手首に提げていた。
「そんなに振り回すと落っことすよ」
帰路を歩く中、僕がそんなふうに注意を促してもやめはしなかった。
「そのまま飛んでいっちまったらお笑いだぜ」
陽泉は日和ちゃんのことなどまったく考えず、そんな薄情な言葉を発していた。
「飛ばないも〜ん!」
日和ちゃんも日和ちゃんで兄のそんな言葉にまったく動じてはいない様子で…にこにこした顔を崩すことはなかった。
「飛んでいって泣いたって知らないからね」
李凛も陽泉の意見に賛成のようで、日和ちゃんにいじわるな言葉を吐いていた。
「むぅー!飛んでったりなんかないったらぁ!!」
そんなふうに声を荒げた日和ちゃんは、大きなモーションで怒りを露わにした。その瞬間…手に提げていた袋ごと腕を天に振り上げた勢いで、金魚の入った袋は見事に飛んでいった。
「「「「あ…」」」」
今度は4人でシンクロ。金魚さんは見事な弧を描いて近くの小川に吸い込まれていく…。
“ぽちゃん”
最悪の展開ですね…。これは、いくら元気印の日和ちゃんと言っても…。
そんなふうに思って静かになった日和ちゃんの方を見てみると……そこにはありえない人影があった。
それは艶やかで綺麗な…腰まで伸びるロングヘアの黒髪、なめらかでかわいい…まるで透き通るような白い肌の少女が立っていた。僕は、一気にその違和感へと意識を吸い込まれていった。
その少女は、真っ直ぐに袋ごと打ち付けられてただ水面に浮いてしまっていた金魚の方を見ていた。
「あーあ、やっちゃったよ…」
「だから言ったのによぉ…」
李凛も陽泉も、変わり果てた…いや、どこからか現れた彼女の姿に気付いてもいない様子で金魚を見ていた。
『これでいいのです…』
(え…?)
その少女の言葉だろうか?いや。言葉というよりも、どこか実態のない思念のようなものが直接感覚神経に入り込んできたかのような感覚だった。そして、金魚を見守る少女は喋ることをやめない。
『生者は必ず死す…これが世の理であり、絶対の摂理です』
(で、でもあんなのって…)
戸惑いながらも、僕は僕の感覚に働きかけてくる思念に反論した。でも言葉にはできず、ただ心の中で思いが溶けていくばかりだった。
だが、そんな僕の心の中の言葉を聞き入れてくれたのか、少女はゆっくりと微笑み、それでも首を横に振って続けた。
『死者の分まで生きること、それが死者に捧げることのできる精一杯の鎮魂になります。だから…あの金魚の分まで…少女の分まで…生きなさい』
「はッ……」
夢だった。それはそうだ、日和ちゃんは死んでいる。でも……
(あれは…誰だったんだろう)
そんなふうに思って考えたけど思い当たらなかった。でも、最後の言葉はしっかりと頭の中に入っていた。
「死者の分まで生きろ…か」
まさに今の自分に言われているようで…なんだか恐くもあり、逆に勇気を…生きる気力をくれたようにも思えた。
ふと見ると、カーテンの端からは気持ちよさそうな朝の日光が顔を覗かせていた。僕は、気付いた頃にはもう両手を左右に思い切り伸ばしてカーテンを開いていた。急に飛び込んできた光を真っ向から浴びた。
眩しい…でも、あたたかい…………。
一瞬にして光に包まれた部屋を、次の瞬間には飛び出していた。
そうだ、僕らはここで立ち止まってなんかいられない。
日和ちゃんは…生きてるんだ!!
僕らの…この小さな胸の中いっぱいに…………
月夜復活!
っていうか、未だ過去編を抜け出せない現実…。
好きな人にはいいんでしょうけどね。
ただ、過去編ということは…10歳なんですよね……あの子たち。自分のキャラへの感覚が麻痺しそうで怖いです。
前回のあとがきでは別にサボった訳ではないですよ!?
折角シビアな流れだったのにあとがきでぶち壊し、なんてふうになっちゃうかと思ったんで自粛しました…。
ええ、シビアな展開だろうがシリアスだろうが自分のあとがきで雰囲気おじゃんにする自信ありますからね!
空気読めないのは作者自身一番よく知っております…。
*次回予告*
沈み込む陽泉。そんな陽泉に訪れた月夜は親友を不幸の淵より救い出せるのか!?
陽泉の闇に差す光は、あまりにも強すぎるものであった。
感想、意見、評価、訂正箇所などなどありましたら…いや、無理矢理絞り出してください。