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第52話:決別

 観籍道場からは、今日も元気な声が、町の外まで溢れんばかりに響き渡っている。


 学校が夏休みに入っているこの季節には、大抵の門下生が朝から通っていることの方が多い。それも、来なくてはいけないといっただらけた感情も、義務化されているような気怠けだるさも感じられない。


 門下生1人1人が、取り組むことが好きで剣道をしに来ているといった様子だ。ここには剣道が好きな門下生がごまんといる…平たく言えばそれだけの話なんだけど。


 しかし、門下生じゃない者の姿もちらほらと見られる。門下生の保護者がボランティアとして、道場の掃除などを手伝ってくれているのだった。


 門下生じゃない者と言えば…日和ちゃんもその1人だ。わざわざ朝から道場に来ていたり、竹刀を一所懸命構えようとして、バランスを崩してぽてっと倒れたりしていた。


 午後にもなるとさすがに飽きてしまっていたようで、日和ちゃんはしばしの間表に出ていた。観籍道場から出たところの草むらで、チョコが待っていてくれたようだった。


 チョコというのは李凛命名の子ウサギで、体の毛の色がまるで雪のように純白なのに、右の脇腹付近に、体の表面積の4分の1ほどの黒い丸印があったためだ。


 日和ちゃんとチョコは、もう立派な友達だった。観籍道場の付近で元気にじゃれ合っていた。






「いいなー」


 そんな日和ちゃんたちの様子を見るなり、李凛が口をとがらせて言った。そんな羨ましそうな言葉を掛けているのは、もちろん日和ちゃんに対してだろう。李凛もチョコとめいっぱいじゃれ合いたいのだ。


「李凛はまだ試合が残ってるじゃないか…。もうちょっとで終わるんだし。ね」


「そうそう…月夜の言うとおりだぜ。お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」


 陽泉はいつもの調子で李凛をからかい始めた。お母さんにでも言われるようなその言葉に、むかっといったような調子になった李凛は、掌を真ん丸にして振りかぶり………


“ゴンッ”


 陽泉の頭部に一本。それに応じ、文字通り頭を抱えて蹲る陽泉…。完全にノックアウトの様子だった。その一部始終を見ていた師範に軽く叱られるのは当然だったのかもしれない。でも、なんで僕まで……。


 でもまぁとりあえず、小さな天使様ひよりちゃんと白き妖精チョコさんのおかげで李凛もいつもの明るい性格に戻った様子で嬉しかった。






 稽古開始からはだいぶ時間が経ち、日も西に傾いていた。でも、僕たちからしたら「もうそんなに経っていたのか?」と思えるほどに時間が短く感じた。


 それは、剣道の稽古が何より楽しく、熱中できるものだったという証でもあるわけで…でも、その分疲れてしまってもいた。


「あれ、日和ちゃんはどこ…?」


 観籍道場の入り口付近を見回しても見つからない彼女を心配した僕が言った。それに答えた陽泉は、いつもの気軽な調子だった。


「心配いらないだろ。たまにふらっと遊びに行くときがあるし。あいつでも、そんなに遠くまでは行ってないようだしな。腹が減ったら帰ってくるだろ」


「そっか、わかった。じゃあ李凛、陽泉、じゃあね!」


「ああ、じゃあな」


「ばいばい」


 そんな風に別れて、僕らはそれぞれの自宅へと入っていった。





「ふう…」


 帰った僕は、すぐさまシャワーを浴びて一休みしていた。今日はなぜか疲れた…。窓の外を見ると、日が地平線へとついてしまうかのような状態だった。


「今日も1日終わりかぁ…そう言えば、宿題やんなきゃなぁ……」


 気がつけばもう何日か分は溜まった状態だった。いつもなら、夏休みの半分くらいまできていたらもう終わってるはずであるものなのに…なぜか今回はそんなことにもならずに溜まったままだった。


 そんなことを考えて憂鬱な気分に浸っていると…………


“ガラガラガラガラ”


「月夜いるッ!?」


 玄関の方から慌ただしく叫んでくる李凛の声がした。急ぎのようだったので、その声の方に足早にかけていくと、李凛は必死の形相で僕のことを待っていた。


「どうしたの?」


 そんな応答をしても彼女は表情を崩さないまま、僕の方を真っ直ぐに見てきて…泣き叫ぶようにしていった。


「月夜!!ひ、日和が!…日和がぁッ!!」


 あまりの勢いだったので、僕はある違和感に気付くまでに時間を要した。李凛は普段、日和ちゃんのことを名前で呼ぶのは、まったくと言っていいほど無い。


 いつも「あいつ」とか「あの馬鹿」とか…じゃなきゃ「馬鹿」とか………。まぁ、それで日和ちゃんのことだって気付いてしまう僕も十分ひどいのかもしれないけど…。


「ひ、日和ちゃんが…どうしたの?」


「いいから来て!!」


 未だ状況の読めない僕の手を強引に引いて、そのままぐいぐいと引っ張っていってしまった………






「び、病院…?」


 目の前に来て驚いた。でも、そんなふうに囁いた僕のことなど気にせず、すでに日が暮れているにもかかわらず、李凛は遠慮無くずかずかと病院内へと歩を進めていった。


 廊下を渡っているとき、僕の鼓動は建物全体に響いてしまうんじゃないかと思うほどに大きかった。日和ちゃんがどうしたの…そう訊きたかった。李凛に尋ねたかった。


 でも、未だ崩れぬ李凛の必死な形相を見てしまうと、口へと言葉を運ぶのが不可能なほど詰まってしまっていた。


 歩いていると、扉の開いた部屋が見えた。その中には………白い台に横たわり、白い布を上から被せられた人…そして、そこにすがり付くように正面からもたれかかる女性。


 人間としての最後―――最悪の瞬間を見てしまった。あんな光景を見せられたらいやでも不安が膨張していく。




 そして、李凛は部屋の番号を確認して、僕ごとその部屋に入っていた。


 そこに見た景色―――白い台と、膨らんだ白い布。膨らんでいるのは…おそらくその中に人が横たわっているからだろう。でも誰の…?


 悪い予感しか浮かんでこない。でも、僕の体は進むことをやめなかった。そして、今目の前には白い台が、暗い部屋にぽつんとあるばかり。僕は、おそらく顔の部分と思われる箇所にある方から、大きな布をゆっくりと捲ってみた。


 すると、そこには幾度も見た寝顔…あの時元気にチョコとじゃれ合っていた日和ちゃんの顔が…安らかな表情で横たわっていた。





「何…これ…………?」


 僕は、頭の中が真っ白になっていた。


 もう何が何だかわからない。何かの冗談?でも、こんな趣味の悪い冗談をする人間なんてこの中にはいない。それに、そんな疑いなど抱けないまでに脳の回転が停止していることに気付いた。


「交通事故だって…即死だったってよ………」


 じっと立ちつくしていた僕の背中の方から、いきなり声がかかった。振り向いてみると、その声が発せられた場所には…陽泉がぽつんと1人座っていた。そして、僕らが答える間もなく続けて言った。


「おかしいよな…。だって、朝まで…ほんのさっきまで俺らの前ではしゃいでたじゃんよ…なのに………なんでもう動かないなんて言えるんだよ」


 陽泉は、一言一言をかみしめるように口に出していた。僕と李凛は、そんな陽泉の言葉に何を言っていいかもわからず…ただ黙っていた。


「嘘だよな…そんなに平気な顔してるじゃん…今にも起きそうな顔してるじゃん…」


 陽泉は、徐々に悲しみがこみ上げてきたのか、だんだん涙声になっていった。


「無理だからな…俺、信じられないからな………」







 正直、僕もそんな心境だった。今自分が見ている目の前の光景が飲み込めない…。何を言っていいかわからない。何を信じていいかわからない。




 その時…僕らの楽しかった日常は………一瞬にして塵と化した。








*次回予告*

死別…それは停止


これから思い出を紡ぐことも、これまでの思い出を共に振り返ることも叶わない


止まった時間が残された者にもたらすのは…




感想、意見、評価、訂正箇所があるようでしたらどんどん待ってます

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