第33話:闇色の彼女
置き去りの少女…。
僕は何度、彼女を素通りしてきただろう…。
僕は何度、彼女を見失ってきただろう…。
いや、実際はほとんどそんな事していないのかもしれない。僕の思い過ごしなのかもしれない。
でも、あの時見た彼女は泣いてたじゃないか…。初めて会った日はなぜ泣いていたのかわからなかった。
でも、あの夜…僕の横で泣いていた、僕の腕の中で泣いていた彼女は孤独のあまりに涙を流していたじゃないか。
僕は思ったはずだ…
(彼女の泣くところはもう見たくない…もう、悲しませない)
そう思ったはずだ…。誓ったはずだ。
でも今実際、僕の目の前に彼女はいない…。
僕は大きく地面を蹴った。まず右、そして左、また右と…いずれも強く一歩を踏み出していった。運動…特に徒競走はどちらかといえば得意な方だ。
お屋敷の前の長い長い大通りを、僕は一気に駈けぬけた。途中、噴水という障害物を避けながら一気に敷地の門まで走る。
走っている最中に敷地の横の薔薇園やら森の中やらに目配せをしながら走ったが、彼女の姿は見あたらない…。
帰った…ということはないだろう。彼女はこんな事で怒るタイプではないし、そもそも友人を置き去りにして帰るほど残忍にはなれない。孤独感で泣いてしまうほどだ、邸内に入るならともかく遠くまで行ってしまうことはないだろう。
敷地の門まで走ってきてやっと考えついた。
もしかしたら邸内に入っていったのかもしれない。でも僕を呼ぶ声はしなかった。叫んでくれと頼んだんだ。そんな趣味の悪い悪戯をする子じゃないことはわかっている。ではどこへ…?
僕はとりあえずもう一度お屋敷の玄関へと引き返した…。
ほとんど休憩のない200メートル全力疾走はキツイ…。けどそんなこと構ってられない…。早く見つけなきゃ日が暮れる。
そう思って僕は敷地の門から邸宅の門までノンストップ…スピードを緩めることのないまま邸内に突っ込んでいった。先ほど、未来ちゃんが消えていたことで呆然となった僕が玄関の扉を閉めてなかったのが幸いし、勢いよく飛び込んでもぶつかることもなく、ケガはしなかった。
「はぁ…ッはぁ……ッッふぅ………」
息を整える…。結構な好タイムだったな。やっぱりあれかな?人間は感情の昂ぶりによって肉体的にも影響が出てくる…みたいな感じかな?…ッてどこのサ○ヤ人だよ。
なんだかんだ言っていつもの余裕は出てきたみたいだ…。とりあえず、もう一度亮さんのもとへ行ってみよう。そう思って歩き出した。
さっき部屋から玄関に行ったときもそうだったけど、結構覚えてるもんだな…。これだけ広い屋敷で、廊下の所々に置物があったりという工夫がされていないだけに特徴も目印もない。なのによくスムーズに亮さんと話していた部屋へと歩けるもんだ。
2,3回ほど角を曲がって先ほど見た扉の前に辿り着いた。僕が出て行くときに閉め忘れたのか、数センチほどの隙間があった。
そしてその扉に手をかけようと腕を伸ばした瞬間………
「やはりあなたでしたか…」
部屋の中から、背中に悪寒が走るような冷たい声が聞こえてきた。一瞬にしてその場の空気が寒いものに変わったような感覚が僕の神経を襲った。
ウンザリしているような、うっとうしがっているような声。誰に捧げられたかはわからない…もしかしたら僕なのかもしれない。でも声の主はわかった。
…未来ちゃんだ。落ち着いたような、でもどこか幼さが残るような特色の声。明るく喋ると小さな女の子のようにかわいらしい声なのだが、今聞こえてきた声色からはそんな幼さは一切感じられない。
完全に敵意を剥き出している声だ。冷たく低い…闇に引きずりこんでいくかのような声…。自分が声という姿なき凶器に恐怖しているのがわかった。
気になってかけかけた手を引き、数センチの隙間から片眼を覗かせた。ご趣味が悪いのは承知の上での行動だった。
部屋の中央には先ほどと変わらない光景─亮さんが脚を組んで座っている─と、ひとつだけ違う点…それは未来ちゃんがいる光景だった。
座る男性の前に、座ることもなく直立のまま男性を見下ろす少女。腰までさらりと伸びた癖のない黒髪。その背中はピンと張られ…頭ごと視線を男性に向けているだけだった。
その目はいつもの大きな瞳ではない、ウルウルしたかわいらしい瞳ではない…。今思えば彼女の瞳は黒いものの…光の加減でうっすらと青みがかっているような宝石のような感じだった。
だが今は違う。どす黒く、どこか殺気立ったような眼。見ているだけで、その瞳に宿る闇に意識が吸い込まれそうになった。
そして、聞いてるだけで凍えそうな声が聞こえてきた。
「なぜここに来たのですか?」
「僕の意思。そして、これから君たちが歩む運命を見たくなったのさ…」
「私は使命を果たします…。ですが、わたしたちが歩む運命をあなたが決定づけるのは横暴ではないのですか?」
「人類が自分達を生き残らせるために生み出したのが君たちだ。運命を決めたのは僕じゃない。全ては神が定めた必然であり、無為自然的に流れる偶然でもあるんだよ」
「では、あなたはこれからの運命に自分は関与しないと…そういえますか?」
「それはわからないよ…。僕の運命は僕が定めるものじゃないからね…。ただ、僕の意思次第で僕の運命も変わっていくかもね…」
「相変わらず奔放なのですね」
「僕はもともと異端なのでね」
なんだこの会話…。まったく読み込めない。
未来ちゃんはなぜこんなにも冷たく抑揚のない口調で、亮さんを嫌うように突っぱねる?だが未来ちゃんも亮さんの淡々とした言葉の数々には勝てないようで…彼女の言葉は彼の空気に溶け込んでいきそうな澄んだ声にしっかりと反抗されていた。
僕が気になるのは未来ちゃんたちの関係だった。対極で反発し合ってはいるものの…以前からお互いのことを知っているようなあの口ぶり…。
そしてもう一つ、未来ちゃんの口調だ。いつもは明るくて子供っぽい。でも今は…相手が気に入らないだけなのか何か変化があったのかは知らないが、いろんな事を経験してきたように一言一言に重みが感じられた。
彼女たちはなんの話をしているのだろう…?まったくわからなかった。そして考えようと頭をひねったとき、再び彼女の冷え切った声が解放される。
「私は私の使命を全うします。あなたは手を出さないでください…」
「それは『剣』のためかい?想い人に寄せる儚きものを、彼は気付きもしていないと思うけどね…」
「そ、それは関係ありません…。それに、わかっています。永久に報われない想いは…報われたとしても、契ることはできません…」
剣が想い人………彼女が僕のことを想っていると言った…。“想う”とはただ心の中に思い描く事ではない。相手に好意を持ち、肉体的、精神的な契りを交わす願望を持つことだ。
以前僕は想われるという立場を味わわされた。それは切ないものであり、複雑なものであり、思った異常に何もできない状況になっているものだった。
今また僕は…本人の知らないところで彼女の想いを知ってしまった。それは嬉しいものだ。でもなぜだろう。人に好きになってもらえることに喜びは感じるのだけれど…なぜこんなにも心の中で、何かが複雑に絡み合うように穏やかじゃない?
前に違う子からそんな気持ちを聞いたからか…いやそれとも、いろんな子を抱きしめてしまったからか…。わからないけど、なんだか気持ち悪い。
そんな考えが頭の中を右往左往していると…急に文字通り僕の目と鼻の先にある扉が開かれた。僕をシャンデリアの人工的な光が包み、いきなりの眩しさのあまり僕は眼を細める。
「おや、戻って来てくれたのかい?さぁ入って…ちょうど『神子』にも上がってもらっているよ」
扉を開けて呼びかけてきたのは諸葛亮…。
眼を細めたのと同時に後ろへ半歩下がったのが幸いしたのか、覗いていたという疑いはもたれていないようだ。それどころか部屋の中へと促される…。
僕はそのまま歩き、彼女に呼びかけた。
「未来…ちゃん?」
うつむき加減に立つ少女。前髪がだらんと下がっていて眼を影が覆っている…。呼びかけても返事がないので肩に手を置いてもう一度呼びかけてみた。
「未来ちゃん?」
「あ、はいッ!どうしたの、月夜くん?」
彼女は勢いよく振り返り、元気な口調とお得意のにこーっとしたスマイルで応えてくれた。どうやらいつもの未来ちゃんのようだ。
…それにしても、やっぱり今日の未来ちゃんは…いや、さっきの未来ちゃんはどこかが違った。具体的にどことかは表現しづらいが、おかしいのだけはわかった。
「お2人とも、少し長居が過ぎたのでは?ほら、外もこんなに暗くなっているよ。こんな夜道を歩くのは物騒極まりない…。今夜はここに泊まっていくといいよ」
僕たちに呼びかけたのは亮さんだ。カーテンの方に近付いて“シャッ”と引くと、そこには窓を通してすでに暗闇が広がっていた。確かにあの過酷な道に、暗中なんてトッピングされたんじゃたまらない。
僕と未来ちゃんは亮さんの提案を呑むことにした。
そして森の夜は更けていく…僕たちを闇で包み込んでいきながら………
最近ミステリアスな展開が多いですね。
この上人格移動まで出てきちゃって…本当にこの小説はどこへと向かって行ってるんでしょうか?
*次回予告*
お屋敷での一晩…さっきの2人の話が気になって眠れない月夜…。
そこに現れたのは白い着物を着、額に三角をあしらった鉢巻のようなもの…お、お前は!?ゆ、YOU―零!?…注:絶対信じてはなりません
感想、評価、訂正などどんどん募集中ですのでよろしくです!!(だんだんレパートリーが無くなってきたな…)