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楊刑事とちびっこ

 楊の驚きはかなりのものである。

 だが驚きながらも親友から一先ず自分の驚きを隠した。

 けれども、目聡い親友は気付いていたようだ。しかし親友の後ろの美少女に楊が驚いていただけだと思っている顔なので、楊は自分の驚きが自分が見捨てた人形との再会だからだと百目鬼に説明する必要が無い事に安堵した。


 楊自身六月の自分の行動が信じられないどころか、逃げ出して良かったと思うばかりなのだ。

 彼は生まれて初めて人を人前で見捨てたのだ。

 彼の手の中に転がってきた人形は、あんなにもか弱く美しいだけだったというのに。


 楊は無意識に黒縁眼鏡を胸ポケットから引き出して掛けていた。

 それは、百目鬼の後ろの少女に自分の素性が露見するのを防ぐためではなく、自分の罪を何かで覆って隠したかっただけである。

 少女が楊に気付くはずもない、完全に意識の無い死体状態だったのでもあるが。


「おい。お前が眼鏡って、これから書類仕事でもあるのか?」


「これから書類仕事も同然でしょう。遺棄されていた死体を検視してもらって、俺達が収容して、事件性無しで書類を仕上げてお終いだ。今日はね」


「捜査はしないのか?」


「ははは」


 楊は乾いた笑い声を上げながら足にカバーを付け、それから室内に上がりこんでいった。

 途中百目鬼の脇を通り過ぎる時に、ちらりと後ろの美少女を眺めたが、それはあの日に見た亡霊でしかない。

 首を括られた遺体のようにがくりと頭を下げ、顔など見えない状態で立ち竦んでいるのである。


「助けてって、声をあげたらいいじゃない」


 なぜ自分がそんな事を口走ったのか楊は自分でも不可解であったが、ぴょこっと顔を上げた美少女の真ん丸な目に、自分は彼女の顔が見たかったのかもしれないという事にした。

 世の中には面倒は沢山ある。

 自分まで不可解なままでは足が止まる。

 彼は歩きながら薄いゴム手袋を装着し、いつの間にか彼の左後ろを歩いているはずの男に小声で尋ねていた。


「ガイシャはあったはずの死体だと思う?」


「だといいですね。救急隊員からの通報の腐り具合じゃ、腐りすぎている」


「凄いね。たかは通報だけで腐り具合の違いまでわかるんだ」


「かわさん。一昨日死んだと思われる人間が通報にあったような腐り具合なんてありませんよ。昨夜どころか、ここ二日は寒いくらいじゃないですか」


「それじゃあ、別の事件かぁ。いやになっちゃうね。真夜中に子供達が変な薬を売って殺しあって、真昼間には空家の中に死体を捨てた死体愛好家までもいる」


「僕の目の前には、哀れな行き倒れを見捨てて逃げた刑事もいる」


 楊はぴたっと歩を止めて、涼しい顔をした相棒を眇め見た。


「問い合わせがあったのですよ。六月に鉄道警察から。僕が適当に答えておきましたがね、一体どうしたのです?あなたらしくも無い」


 楊の相棒は楊より年上の三十六歳の巡査部長だ。

 元公安という、年齢だけでなく経験値も高いこの男は、楊にとって相棒であるが教官ともなる恐ろしい男だ。

 しかし、普段の髙悠介たかゆうすけは楊には慇懃に振舞い、身のこなしが飄々としている独特の格好のいい男でしかない。

 そんな男が、地味な一重の瞳を眼光鋭くして教官の顔で楊を見つめているのである。嘘は許さないという、そんな顔でだ。


 楊は彼ににっこりと微笑むと、口ぱくだけで「あとで」と答えた。楊の「あとで」はやって来る事が殆んど無いが、今回はこれでやりすごせるはずだと楊は判っていた。


 何しろ、目の前には死体だ。


「わぉ、凄い。凄いとしか言いようの無い舞台装置だ」


 楊と髙の目の前には、盗掘はされかけているが、殆んどそのままの古墳が姿を現しているのである。

 高さは一メートルほどだが、大柄の男性一人を包み隠すくらいの土が盛られ、その盛り土を構成するのは枯れ葉などの燃え易い可燃物ばかりだ。


「凄いね。これはこのまま燃すつもりだったのかな」


「燃焼促進剤さえあれば完璧ですね。ここで燃えて、家までも燃す。この遺体はこの家の人間でしょうか。あるいはこの家を手に入れた者への復讐か嫌がらせ」


「まぁ、とにかく掘ってもらいましょうか。鑑識さん達に。救急隊員さん達も早く帰してあげたいし。でもさぁ、早く終わらせるのは無理かな。連れて来たお医者さんは物凄く嫌な態度でしょう。何あれ?」


「あぁ。あの医者は帰しました。掘り終わった頃には別の医者が到着するはずです」


「一人で帰して大丈夫?」


「山口に任せました。彼が別の医者も連れてきます」


「そう。じゃあ、ちゃっちゃっとしようか。この現場検証が終わったら刑事課の皆さんに差し上げて、俺達は行方不明の死体探しに戻らないとでしょう?窓際刑事は楽なんだか、面倒なんだか、よくわからないよ。」


「死体はね。見つけてあげないと大変なんですよ」


「そうだね。知らない所で腐ってたら可哀そうだものね」


 髙は楊の言葉にふふっと鼻で笑った。


「待ちなさい!」


 甲高い女性の声に楊と髙が振り返ると、百目鬼の後ろにいた少女がタタタタと彼らに向かって走って来て、そしてそのまま彼らの間を通り過ぎてキッチンに走りこんでしまった。


「え?どうして!ここには死体があるのに。怖くないの?」


 楊は反射的に少女の後を追った。それほど広くない家屋の中だ。すぐさま少女の居場所はわかったが、少女を追いかけたのは楊だけではなかった。少女はカウンター裏にぎゅっとしゃがんだ姿で嵌り込んでいたが、リビングにいた救急隊員が鼻の下を伸ばして少女をもっと追い込んでいたのである。


「ちょっと何してんの。君達はどうも。外でうちの若いのに聴取を受けたら帰っていいよ。このちびは俺が預かるから」


「何言ってんですか!警察なんかにこの可愛い子を渡してどうするんです!こんなに怯えさせて!何する気です!俺達は生きている人を助ける仕事ですからね」


「そうですよ!この子、寒いのにTシャツ一枚にされているじゃないですか!可哀相に!警察だからって、全裸にでもするつもりですか!写真でも撮るつもりかよ!最低だな!」


「ほんっと、最低だよ。あんたら」


 楊はいきり立っている若い男達に、どちらかを殴って仕事を辞めたい誘惑を抑えている自分を吐露してやりたい気持ちであった。

 彼はぎゅっと目を瞑って数字をいくつか数えると、若い男達を説得するべく目を開けた。


 どうやら楊は数の数え過ぎであったようだ。


 目の前にいた救急隊員が、猛スピードでリビングから逃げ出す後姿を見送るばかりであったのである。

 彼らの代りに楊の近くまで来た相棒は、おどけた仕草で肩を竦めた。


「どうしたの?あんなにあっさり」


 髙は楊の後ろをひょいと指さした。


「吐きにでも走ったのでしょう」


 楊がゆっくり振り返ると、すでに鑑識の発掘作業が行われており、覆いを取り払われた遺体は全身に虫を這わせた気味の悪い物であった。

 蛆どころか大量のミミズまみれで、それどころか何匹ものヤスデまでもが這い回る惨殺死体など、楊だって目を背けたい代物だ。


「これは酷いね。腐敗はさることながら、完全に顔はぐちゃぐちゃだ。遺体写真は使えないから身元を調べるまでが一苦労だね。刑事課に投げれて万歳だ」


 少女に聞かれないように小声で髙に囁くと、髙がチロリと楊を見返して囁き返した。


「投げれません」


「どうして?」


「あれが僕達の探していた遺体のようでした。おそらくあれが警視庁と我が神奈川県警に捜索願が出されていた林裕一君。損傷の具合から歯型でも時間がかかりそうですけどね、着衣は捜索願にあった服装どおりです。枯れ葉の山の中という環境で腐敗が進んだのですね。自然発火もしますし、意外と熱を持つんですよね、枯れ葉は」


 楊は相棒の言葉に「あー」と叫んだ。


 彼らが二日前から捜索している林裕一は、警視庁の林警部補の子息である。


 捜索願は二日前の十月三一日に出されたものだが、実際は十月三〇日から自宅に戻らなかったからという届出なので、彼の失踪は十月三〇日が正確であろう。

 届出を元に楊達は近辺を捜索したわけでもなく、相模原東署管内で偶然に暴行現場を見つけてしまっただけである。


 訓練中の警察犬見習いのマリコが。


 ちなみに犬はオスである。

 マリという優秀な警察犬の息子なので、マリ子と周囲に呼ばれるようになって定着してしまっただけの話で、実際の登録名はウォーリーである。

 それでは探される方の気がするが、楊は敢えて突っ込まないでいる。

 とにかく訓練中の彼が意味不明の激しい興奮状態になっただけでなく、若者の持ち物と思われる所持品も見つけ出してしまったのだ。


 すると、その場にいた巡査二名が鑑識からライトとルミノールを持ち出して実験をし始めたのであるが、見事にそこが誰かの殺害現場であった事を示したのだ。

 直ちに鑑識による検証が行われ、その現場の血痕の広がりから試算された血量から、既に被害者が死んでいるものと看做された。


 警察は身内が受けた犯罪には一丸となって事に当たる。


 よって楊は、二日前から部下と一緒に寝ずの遺体捜索に当たっていたのである。

 楊はふうっと溜息を出すと、それからカウンター裏の少女を見下ろした。


「この部屋を出るよ。俺が良いと言う間だけ目を瞑っていれば良いからね。大丈夫?」


 少女は彼を見上げて、小動物の持つ瞳の輝きと共に「無理」とかすかな声で訴えた。


「どうして?足が竦んだ?俺に抱き上げて欲しいの?」


「僕をこの家から出してくれるなら、ここから出ます。でも、お風呂場で服を脱ぐのは絶対に嫌です。お風呂場でなくとも、あの女性は嫌です。僕は男の子なのです。この服を全部女の人の前で脱ぐなんて、いくら下着姿でも駄目です。できません」


「あら」


 髙が驚いた声を発した横で、楊は死体があるリビングであるもかかわらずこの小さな子が逃げ込んで来た理由を、これ以上ないぐらいストンと理解したのである。

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