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離されないために僕はそれをひっぱった

 僕は彼から離されないために、できる限り彼に付き従うべきなのである。


 自分は彼のために、彼に見捨てられないために、彼のロボットとなり教え込まれた手順のまま体を動かすのだ。自分の体に命令できる作業項目はこの2ヶ月でずいぶん増えている。シーリングライトの台座も、部屋のノブも、玄関の鍵だって交換できるのだ。


 けれど嫌いな仕事もある。

 壁紙貼りは大嫌いだ。一度で綺麗にできないとイラつくのだ、良純さんが。

 まぁ、イラつくだけで怖くはないが。彼は他人に怖いが、僕に怖かった時は一度もない。

 僕が怖いのは彼に見放される事、だ。


 だから、あの日は怖かった。


 トイレを利用するためだけに入ったデパートの地下売り場で、僕は幼いころ大好きだったチョコレートケーキを見つけた。死ぬ前の僕が大好きだったこのケーキの味は、今の僕も同じであると感じるだろうか。同じと感じたら、僕はやっぱり本物の武本玄人なのだろうか。そんな風にグルグル考えてしまって、ケーキの前から動けなくなってしまったのである。


「どうしたの?」


 帰ってこない僕を心配したか、迎えに来てくれた彼に僕は「あのケーキが食べたい」と反射的に答えていた。

 そして答えてすぐに、彼に呆れられて見放されたらと脅えたのだ。

 見放される前に、どうしてあれが欲しいのかを彼に尋ねられたら、僕は答えられない。


 違う。


 答えてしまいそうなのだ。


 僕が僕でなければ、僕は死んだ子供の体を乗っ取った死霊なのですって、だから両親は本当の子供じゃない僕をいないものとして目にしたくないみたいなんですって、良純和尚に叫んで縋ってしまいそうだったのだ。

 だが良純和尚は「いいよ」と言って、何も言わずに買ってくれた。そして二人でケーキを食べたのだ。結果として僕には検証が出来なかった。二人で食べたからか、ケーキが過去と比べようが無いほどおいしく感じたのである。そして僕は二人で食べたら美味しいと知った事で泣いてしまった。泣き止まなくもなった。良純和尚はそんな僕を静かに見守っていてくれた。


 良純和尚は時々鬼畜生になるだけで、基本は善人なのだ。

 違うか。

 善人だけど行動が鬼畜生なだけだ。

 善人になろうとしているだけで、鬼畜生の行動しかできない、が正しいのか?


 まぁとにかく、彼は人ではなくて、きっと絶対的な悪なのだろう。

 だからこそ魅力的で誰をも虜にするのだ。


 良純和尚の近所に住むという四人の高齢女性達などはいい例だ。

 良純和尚の仕事を手伝うようになって数日後、僕は突然に肩を叩かれたのだ。

 彼女達とは今では良純和尚を待っている間に会話する仲となったが、最初に声をかけられた時は肩を叩いた人が定年した校長先生風だったから、何か指導されるのではと本気で脅えてしまったのである。


「あの和尚様と毎日何をしているの?」


 良純和尚のことだったと直ぐに諒解したが、僕は校長先生に間違った答えをしてはいけないと非常にどぎまぎしてしまっていた。


「あの。ええと。社会奉仕で投棄された家の片付けをしています。僕は体を壊しているので、あの、そ、その作業が体にも心にもいいって」


 彼女は僕の回答が少し気に入らなかったようだ。


「それだけ?」


「はい。あの、その。僕は力がない役立たずですから。彼が殆んどの仕事をして、僕は軽いものの片付けだけなのです」


「それだけ?」


 声が違うと気がついたら、高齢女性が二人に増えていた。

 増殖した彼女は保健室の先生風で、学校教員のような二人が顔を見合わせてニヤリと顔を歪めると、学校教員にあるまじき雰囲気で新たな質問をぶつけてきた。


「和尚様とあなたはどこまでいっているの?」


 イヒヒという笑い声が聞こえるほどに下卑た表情なのだが質問は普通で、僕は彼女達が僕と良純和尚がいかがわしい所に行っているのだと考えているのかと考えた。

 あの人はやくざにしか見えないし、と。

 だから、誤解を解こうと頑張ったのだ。


「相模原が仕事場ですから、こことそこを往復ですね」


「あの男は自宅にあなたを引っ張り込んだりしているの?って聞いているの。酷い事をされているのかって、こともね」


「えぇ!」


 驚きを込めて彼女達を見直すと、彼女達は三人に増えていた。

 ピアノの先生風であるが、コスチュームジュエリーのネックレスをジャラジャラと何本も首に飾っているので、そこに有閑マダム風もつくだろう。


「いえ。あの。いつも優しいです。それに僕は外で会うだけですし。僕は彼の自宅はわからないので」


 僕は彼女達から逃げようと一歩横に移動して、弾力のあるものにぶつかった。

 四人目、である。

 体育の先生みたいにジャージ姿の小太りの女性は、ポケットからポストイットを取り出すと、何かを書き込んでから僕の手のひらにパシンとそれを貼り付けるように置いた。


「自宅はこれよ!」


「え?これって?え?」


「あの糞坊主の自宅住所よ。いいこと。使い捨てられたら絶対に私達に言うのよ。私達が懲らしめてあげるからね」


「えっと。ありがとうございます」


 僕にはその日、良純和尚の個人情報を知ってしまったという秘密が出来た。



「大丈夫か?」


 気付けば彼は僕を心配した目で見下ろしていた。

 それもそうだろう。僕はこの家が怖いからと良純和尚のベルトに両手をかけてくっついて歩いているのだから。

 成人男性にベルトを掴まれて歩く羽目になっても文句ひとつ言わないとは、良純和尚はやっぱり人間ができていたのであろうか。


 きい。

 たとたたた。


「ひ」


「どうした?」


 どこかのドアの軋む音に階上で人が蠢く気配だ。僕はキャッチしてしまった。

 僕は、瞬間的にパッと彼のベルトから手を放し、そのまま廊下からリビングへと飛び込んでいた。


 辿り着いて見れば目の前はゴミの山だ。

 ただのゴミ山ではなく、取り除かなければいけないものが入っているゴミの山が聳えていた。

 あの日のゴミ屋敷の本当のゴミは、住人の後悔と恐怖が他人の恨みを引き寄せていたが、この山の中のこれはなんだろう?

 悲しい後悔しか感じない。

 そして、それを完全に引っこ抜かなければ僕達にまでも更に影を落とす、と存在が言っている。


 僕が良純和尚から引き離されたら大変だ。


 僕はそれめがけて両腕を深々と突き刺して、そして、それを掴んで思いっきりひっぱった。

 盛られた土が重いせいかそれは完全に引っ張り出せず、僕が引っ張り出せたのは、青白いが若い青年のものだとわかる人間の右足の膝下部分であった。


「残留思念が人間の形に実体化しているのかな?珍しい。ぬるぬるしているけど、本当は何かな。おえ」


 僕は上の土を崩すべきだと判断し、それを実行するところで、初めて良純和尚に怒鳴られたのである。


「武本!もういい!動くな!」


 そうだ。

 僕は見えないものが見えていると知られてはいけないのだ。

 僕は彼に見放される?


「いいからもう動かないで。今から警察呼ぶから」


 警察?

 振り返るとそこには血の気の引いた顔をした良純和尚がすでにスマートフォンを掲げており、僕はその彼の姿に今まで僕が対峙していたものを見返した。

 土嚢は丁寧にブルーシートの上に聳え立っており、僕が崩したその土嚢からは僕が引き出したもの、青白い若い男の膝下が、LEDのシーリングライトに煌々と照らされていた。

 誰かに電話を掛けている良純和尚から「死体」という言葉が漏れ聞こえる。


 ああ死体。


「これは見えていいものでしたかって、僕は死体を触っていたの?うきゃー!」

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