表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/45

山との対決

 十一月最後の土曜日のその前夜。

 自宅にしたはいいが気味がやはり悪いのか、楊にお祓いをしてくれと電話を受けた。

 お祓いであるならば坊主ではなく宮司の役目であると思うのだが、彼は武本の言ったことを真に受けているらしく、俺に経を頼むと言い張るのである。


「ちびがお前は祓える人間だって言うんだから頼むよ」


「嫌だよ。お前は俺の仕事日をいくつ潰すつもりだ?」


「元はお前の瑕疵物件だろうが。いいじゃん。お前が俺が拾った亀の死体に経をあげたら俺が出世したんじゃん。俺の家に経をあげたら、お前の不動産業の商売繁盛かもよ」


「その理屈でいけば、俺じゃなくてお前が商売繁盛だろ。殺人事件が頻発したら困るだろうが。やれと言い張るなら、お前の股間の亀にもついでに経をあげてやろうか。ストーカーだらけのお前の恋愛運が上昇するかもな」


「あ。畜生。そう来るか」


「ねぇ。亀事件って、一体何なのですか?」


 電話をしている俺の袖を引く生き物に説明するのが面倒で、俺は楊の電話に、行く、と答えていた。

 目の前の生き物は無視された悲しさを大きな瞳をウルウルにして表現している。

 二十歳の青年のはずがウルウルだと?



 俺は武本の「見える」事について、一応三厩に抗議をしていた。

 三軒隣りの家に奴は住んでいるのだ。

 早朝に武本を自宅に残して彼の家のドアを叩くと、丸顔の初老の男はパジャマ姿で不機嫌な顔で戸口に立った。

 当たり前だが俺を自宅に招く様子も無い。


「眠い」


 寝起きの武本そっくりの言葉だ。

 あいつは俺が出かけるとわざわざ声をかけたにもかかわらず、眠い、としか返さなかったのだ。

 世話になっている人間に、いってらっしゃい、くらい無いのか。


「俺だって眠いですよ。それで、聞きたいのですが、どうして武本の見えないものが見える事について、気にするな、なのでしょうか?彼は思いっきり見える人間で、死体のありかまで言い当てていますよ!」


 三田は結局高城家の家族の遺体のありかなど語らないままこの世を去った。

 そこで仕方がなく楊が武本にお伺いを立てれば、武本は高城が林に暴行された空き家に三田と高城が一人ずつ連れ去っては吊るしたのだと答えた。

 楊はその言葉を元に部下とその空き家へと足を運び、語られた通りに天井からぶら下る高城家一族の遺体を発見した。

 室内で燃やされていたのは高城家の家のドアであり、それは閉じ込められていた高城の解放であり、燃やされた過去とは三田が自分の指紋を焼いて自分を殺した事なのだそうだ。


 俺が一連の事を頭に思い浮かべながら目の前の豆狸を睨むと、彼は面倒臭そうにポツリと答えた。


「だって武本家ってそういう家なんだもの」


「え?」


「だから、普通に見える家なの。代々ね。だからさ、気にしないでってこと」


 そこで三厩は俺の目の前でドアをバタンと閉めたのだ。


「てめぇ!ぜんっぜん説明になっちょらんこつせんか!」


 俺は早朝から捨てたはずの過去の言葉を叫んでいた。

 畜生。

 だが、俺はこの豆狸を大声で罵ったからか、何かがふっ切れたのも事実である。


 山が俺から遠ざかり、それだけでなく、俺の持ち物を奪うのであれば、俺は奪い返しに行けばよい。


 俺が蓬草ほうそう、つまり根無し草の如しであるのならば、俺は何者にも囚われず俺でしか無い俺で行けば良いのだ。


 鬼のように、だ。


 自宅に取って返すと眠いという武本をトラックに詰め込み、楊との約束の前に先日武本が入院していた相模原第一病院へと車を走らせたのである。

 そこには、自分が干した俺を緊急連絡先の保証人に申請している高僧がいる。

 俺が武本の入院手続きをしている最中に現れた病院の事務長に、そいつの書類にまでサインをさせられた時の驚きは口では言い表せないほどだ。



「お前は車の中で寝ていなさい」


 武本の返事も聞かずに病院に入り、面会時間ではないが気にせず目的の病室に向かった。

 看護師や事務員に奴が後で叱られようが、俺を保証人にしたあいつが悪いのだ。

 そして、個室でふんぞり返っているだろうと思っていた数年ぶりに目にしたそいつは、六人部屋に押し込まれているどころか、窓も無い壁際のベッドにて、朝食の膳を前に詰まらなそうにしていた。


「お久しぶりです。照陽しょうよう和尚様」


 頭を深々と下げた。

 目的を達するのに恥も外聞もない。

 俺は元々そんな物をもってはいないのだ。

 必要ならば土下座もしましょうと、頭を上げ彼を射るように見下した。

 するとテルテル坊主のような名前の癖に、頬骨も顎もしっかりしている造りの顔を持つ大柄のその男は、これまた名前から想像出来ない狡猾そうな笑顔を顔に浮かべた。


「僧侶とは名ばかりの男が来たね」


 彼の言葉に俺も微笑む。

 武本が、その笑顔は脅しに使えますね、と失礼な物言いをした俺の取って置きの笑顔だ。

 だが、テルテルは何の感慨も持たなかったようで、彼は目の前の病院食に対するように俺をいなしたのである。


「君は私にお願いがあってきたのだろう。お願いする者がそのような態度では得られるものがなかろうて」


「私はお願いに来たのではありません。奪いにきたのです。私から奪われた無縁仏への読経の仕事を奪い返しに来ました。私は僧です。経を読まずしてなんとなりましょう。あなたが返してくれるまではここに座り、あなたの心変わりがあるまで経を読ませていただきます」


 俺は武本が、皆が怖がる、という声を響かせて床に座り込んだのだが、テルテルは俺に怖がるどころか目を見開き、次に大笑いを弾けさせたではないか。

 他の五つのベッドの患者達は俺に恐れ慄いているというのに!

 膳をぶちまけた者やナースコールを押している者までいるのだぞ。

 失禁した者だっているはずだ。


「ははははは。俊明さん、あなたは何を育てていたのだ。これはあなたにそっくりではないか。そっくりになったではないか!」


 俺は彼にどんな心境の変化が起こったのかわからなかった。

 気の抜けた俺に彼は気付いたか、彼は来客用パイプ椅子に俺に座るように指先で指示をして、俺が敗残兵の気持ちでノソノソと素直に座ると語りだした。


「無縁仏の仕事は君には回せない。それは君が憎いのではなくて、他の者が困るからだ。ただでさえ僧侶に金を出したくない風潮があるのに、金で雇った僧侶よりも、無料の、それも無縁仏の前に立つ坊主の方が美丈夫で読経も見事となれば、他の者が困るだろ。経というのは金ではないが、一般の方々は金で価値を見ている。だから、君は、首だ」


 俺は開いた口がふさがらなかった。

 結局は商売か。

 商売ならば俺は山に対してもっと上手く立ち回れたし、仕事だって取りようがあったというものだ。

 俺の頭の中で、お前は本当に純だ、という、父の呆れ声が聞こえた気がした。


「それでは俺は何をすればいいのです。俺に仕事を下さい」


 思わず情けない物言いをしてしまった俺に、テルテルはふふんと鼻で笑った。

 俊明和尚もそうだったが、高僧の糞坊主共はなんて神経に障る笑い方をするのだろう。


「ようやく言ったね。君は俊明が亡くなった時は本当に腑抜けだった。あれが仏を見限ったなどと大声で騒いだ。今もそのように考えているのかい?」


 照陽は小馬鹿にしたような表情で俺を見下すようにして俺に顔を向けていたが、頭に来たと怒るよりもまず真摯に向き合ってみるべきではないかと頭の隅でチラリと声がした。それはこの高齢の男の目が、俺を別の宗派に入れてやれると言った時の俊明和尚と同じであるように見えたからだろう。


「いいえ、あの方が仏を見限ることも私が還俗することも何一つ望まれていなかったとようやく悟りました。私は未熟者でしたし、今現在も修行中です。どうぞ、私に仕事を」


 彼はほうっとため息をつき、今度は馬鹿にする素振りなど無く尋ねてきた。


「君は彼の最期の言葉を今はどのように考えているのだ」


「考えているのではありません。そうだと信じていますし、確信しております。あの方は未熟者の私の傍で私の修行を見ていることを選んで、しばらくは成仏しないと言われたのです」


「ようやくか。そうだ、あれはそういう人だ。自由すぎる人だ。この馬鹿者が!」


 テルテルは大声で笑い出し、そして笑いが収まると彼は恐ろしいことを俺に告げたのである。

 それを聞いて従う羽目になった俺は、本当に自分が未熟者だったと痛感した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ