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腕の中

 武本はただ丸まっているのではない。

 浮浪者風の男に蹴られ引っ張られ罵られながらも、その男に連れ去れまいと必死で丸まっていたのだ。


「てめぇ!ウチの若いち何をやっちょるんだ!!」


 思わず吼えた。

 中学校時代まで住んでいた所の方言が丸出しになるほど、俺は怒り心頭だったのだろう。


 愛人の子供である俺は生まれてすぐに父親に引き取られたのだが、俺が問題を起こした途端に、要らない人間だと実母の元に父親から返品されたのである。

 実母もその時には家庭を持っているからと、中学を卒業したばかりの俺は安アパートの一室に押し込まれた。


 俺は家族に捨てられた代わりに、俺もそれまでの一切合切を捨てたのである。


 そのはずであるのに、怒りに任せて吐き出した素の自分の言葉が捨てた筈の言葉であったことに、俺は自分が情けないと、笑いさえも迸ってきてしまっていた。


「ふはは」


 ところが、今迄武本を盛大に暴行していた男は、俺の笑い声を聞くなり「ヒッ!」と小さく悲鳴を上げた。

 俺が奴を取り押さえようと動くと、その男は棚のほうに潜り込み、俺を迂回するようにしてそのまま店外へと一目散に逃げて行こうとするではないか。

 俺は奴を取り押さえるよりも武本を抱き起すことを最優先して実行したが、逃げ去ろうとする卑怯な男を許せるものではない。


「おい。ごめんなさいもねぇのかよ。こら」


 すると、背中に俺の怒号を受けたからだというタイミングでベシャっと男は転び、今度は悲鳴までも上げて立ち上がるや駆けていった。

 物凄い勢いで、だ。


「あのクソが」


 年齢が五十代くらいに見えたその男は、服装の割には臭いもなく肌も小奇麗で、きっとホームレスになりたてなのだろう。

 それでは慰謝料どころではないと自分を言い聞かせ、腕の中の青年に意識を集中した。


「大丈夫か?ケガはないか?」


 俺に抱えられた武本は青白い顔で俺を見上げ、かすかに頭を縦に振った。


「りょう、じゅん、さん。ご、ごめ、ごめんなさい。あのひとが。あのひとが」


「いいよ。お前を一人にした俺の責任だ」


 武本はその美しい顔が男を発情させるのか、男に口説かれ絡まれ、自分が男だと伝えた上でも、信じられないが、連れ去られかけることもしばしばなのである。


「ご、ごめ、んなさ。」


 暴行を受けながらも俺のフォルダーケースを守っていた武本の姿は痛々しく、そして、それが俺の怒りを一層に駆り立てた。

 俺はかなり猛っていたのだろう。


「いいから」


 ぎゅうっと、初めて武本を強く抱きしめたのである。

 抱きしめて腕の中の彼の体を感じた時、彼のか細い肉体が命を失っていく俊明和尚の肉体に重なり、自分の意識が彼の最期の場面に戻っていた。


 やせ細って体中をチューブで繋がれた生きる遺骸となり果てたあの方。


 家で静かに死にたいと願う彼の望みも、俺は叶えてやらなかった。

 彼は俺のせいで病院のベッドで亡くなったのである。

 俺が一分一秒でも彼が生き続けることを望み、彼の望まない延命治療を病院に願ったにもかかわらず、そんな俺を彼は一切責めずに辛いだけの治療を受け、「息子の願いだからね」と俺を幼子のように扱い許した。


 二十代後半の男を、だ。


「私は仏……よりも、お前……を選ぶよ。だから、な、……く…………な」


 俺に僧性がないと見抜いていたあの人の最後の言葉だ。

 子供の幸せを願う父親らしく、俺に還俗をして人生を謳歌しろと願ったのだ。

 彼が僧のままでは、彼に縋りつく俺がいつまでも仏門に縋りつくだろうと。

 俺のために仏の道までも捨てたのか。



「畜生」


「すいません。今すぐ警察を呼びますから!救急車も!」


 カウンターから店員が出てきていた。

 青い顔で、武本と同じくらいの年齢の女性二人だ。

 大の男でも暴行を止めに入るなんて無理だろう。

 俺は「通報はいいよ」と答えると、憤りを抑えようと溜めていた息を少し吐き出したが、同時に自分が強く抱きしめすぎていて武本が窒息しそうだと気づき、慌てて彼を抱く力を緩めた。


 すると腕の中の彼は当たり前だが「ほっ」と息を吐き出し、驚いた顔で自分を見返してくるではないか。


 物凄い睫毛で覆われた黒目勝ちの大きな瞳で、怯えなどない美しい顔で俺を覗き込むようにまじまじと、だ。


「どうした?」


「あの、あの、……もう、もう、僕は大丈夫です。でも、もう少しこのままでいいですか?ぼ、僕、僕は力が入らなくて立てません」


 俺は茫然としていた。

 生気が戻っただけでなく、なんと武本の顔は凄絶なほど美しく輝いていたのだ。

 痛みを受けた時の涙か、雫が長いまつ毛に残り、それが輝き、うるんだ瞳と俺に締め上げられて血の気の上った頬の赤みに真っ赤な唇。

 情けなくも俺は彼に見惚れてしまっており、何かを考える前に「いいよ」と答えており、武本に「このまま」と言われてほっと安堵をしていたのだ。


 彼に「離せ」と言われても、その時の俺は腕をすぐに解けた自信はない。

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