俺の拠り所
俺が大学一年の夏、親友が駅のホームから落ちて死んだ。
俺の家を出た後すぐに彼は亡くなり、連絡を受けた俺が病院に駆けつけた時には、彼の肉体は完全に冷たくなっていた。
彼が自分から落ちたのか、落ちてしまって死んだのか、わからない状況であったが、彼の表情は誰も責めることのない安らかなものであった。
まるで、転寝をしているかのような。
だからと言って俺が自分を許せる筈は無い。
病でやせ細っていた体を知っていながら、俺は彼に付き添わずに一人で帰宅させて、そうしての彼の死であるのだ。
だが、彼の家族は誰一人俺を責めなかった。
責めるどころか彼らは家族の様に俺をも囲んで、一緒に泣いてくれたのである。
ただ、その後の出来事が俺に取り戻せない後悔を思い知らせた。
一人で寂しく死んだ彼の通夜も葬式もひっそりとしたものどころか、高校時代の人間が誰一人として弔問に来ないのだ。
普通は同期の連中が仲が悪くとも参列するものであろうに、学級委員だった奴さえも来なかったのである。
俺が嫌われ者で一人だったがために、彼も巻き添えになって孤立してしまったのだろう。
全部俺のせいなのだと、俺は何も出来なくなり、秋になる頃には大学を辞めて家に閉じこもるようになった。
一周忌の日まで。
鈴木の墓は親の故郷に建てられていた。
鈴木の家族から故郷に帰ったと一枚の葉書が届いた事をいいことに、自分は呼ばれもしないのにその住所へと押しかけたのだ。
その地で行われる鈴木の法事へと。
しかし俺の行動が非常識だったにも関わらず家族は喜んでくれて、その上家族の席に呼んでくれたのである。
そして、法事が始まって住職が経を唱えだした時、自分は別の世界に飛ばされた感覚に陥った。
年老いた僧の読経は、お堂にごわんごわんと打ち響いているかのように身に押し寄せ、唱えるごとに自分が粉々に打ち砕かれていくようだったのだ。
自分はその経によって調伏されてしまったのだろう。
経の後にその住職は阿弥陀如来の救いについて語りだした。
これは法話といって、住職が様々な阿弥陀如来の話から遺族にとって一番救いとなるだろうと思う話をしてくれるのだと、隣に座る鈴木の姉に教えられた。
罰当たりにも話の内容は忘れてしまったが、俺は泣いて泣いて、泣いたからこそ楽になったのか、すっと気持ちが落ち着いた終には、仏門に下る決意をしていたのである。
次の年、俺は僧となるために仏教系大学の仏教学部に進学した。
「お前、こんな所で何をやってんだよ。」
かわちゃん、がいた。
仏教学部を出たところで僧にはなれないと落ち込む俺に、同大学の法学部の三年生になっていた彼が自分の家の菩提寺の和尚に俺を紹介し、俺は得度を受けて山へと旅立つことができたのだ。
高校時代反目しあっていた仲だというのにと、彼とはそれ以来の付き合いだ。
この仕事も楊の紹介だ。
無縁仏になった遺体は、行旅病人及行旅死亡人取扱法によって自治体が火葬し埋葬するのだが、自治体がその予算を計上していても普通の葬式のように金は掛けられない。
財政圧迫で経もあげずに燃やしてお終いにするしかない自治体もある。
無縁仏になった犯罪被害者に楊が同情するのは当たり前であり、同情だけではなく行動力のある彼が、「ただで悪いが経をあげてくれないか」と俺の所に来ただけの話である。
そして俺はこの金にならないこの仕事に一に二もなく飛びついたのだが、決して慈愛でも慈善の気持ちでもなく、僧としてのよりどころが欲しかったという自分本位の浅ましさからであった。
俺は山から干されているのだ。
俊明和尚の亡き後の自らの失態により、僧の仕事が一切合切回ってこなくなったのである。
ただし、干されていても、依頼が無料でも、山には仕事を受ければ報告しなければならない。
山から仕事の許可を貰えた時には、俺は本当にホッとしたものである。
「本日はありがとうございます」
立会いの職員が頭を下げ、いつもの手順として炉の前の棺の中の遺体について語るが、年齢や性別、そしてあれば、本名だ。楊に頼まれた以上、棺の中の遺体は犯罪被害者や加害者であり、彼等は個人尊厳どころか名前さえも失っている事が多い。
そんな彼らに俺は、俊明和尚に教わった通りの経を唱えだす。
「死んだら仏。極楽浄土へ叩き送る勢いでいくのだよ」
あの方は破戒僧だ。
この世の未練を残さぬように、哀れと言う心も捨てて、冷徹に威風堂々と高らかに唱えねばならない。
これだけはせめて、あの方が望まれたように。




