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何もない武本と空っぽの俺

「勝手に教えるなよ」


「すまん、その場しのぎでね。でもあいつは悪戯電話なんて絶対出来ない奴だからいいかなって」


「いいかな、じゃないよ。子守は大変だねぇ」


 確かに。

 大丈夫と置いてはきたが、今はまるで初めて子供を保育園に預けてきた母親の気持ちだ。

 置いて来た時は、「大きくなれよ」と父親の気持ちだったのに。


「それで、お前のちびちゃんは今日一日あの家から動かない、でいいね」


「動かないじゃなくて、動けないからね。あいつ言葉通りの身一つで、スマホ以外財布も持っていないから」


 そう答えたら、「ヒドイ!」と笑って通話を切られた。

 武本のことを気にしているようだったが何なのだろうか。

 まぁ、服のことに関してもあいつはかなり心配していたからな、と思い出した。実際に奴が変だと思うぐらいに武本の親族も変で、俺はおかしなやり取りをさせられたのであったのだ。


 まず、俺に武本の従兄から電話がかかってきたのである。


「はじめまして。あ、電話ではじめましてもおかしいでしょうが、僕は武本和久たけもとかずひさと申します。あの、クロちゃんの衣服のことでご相談が」


「あぁ。君が噂の和君かずくんですか。相談役をしております百目鬼良純と申します。私も彼の衣服についての物言いが不思議でしてね。今回仕事で服が駄目になった弁償で私が買うと申しましたら、新しい服は四年ぶりだと喜びまして」


 俺が喋り過ぎたのか、電話の向こうで「え?」と不機嫌な声が響いた。


「どうか?」


「いえ。僕は季節毎に彼に服を送っていましたが、彼に届いていないのですか?」


「今迄も送っていただいていたのですか?彼は母親に間違って捨てられると困るからと、今回私の住所を受け取りにしまして。おかしな話だと思いましたが、本当に捨ててしまう人のようですね」


 すると、少々沈黙が続いたのである。

 沈黙後の和久の言葉は当たり前なのだろうが、俺は少々引っかかった。

 なぜ俺に聞くのか、と。


「クロちゃんのサイズの確認をお願いできますか?彼から電話を貰ったのですが、僕はサイズを聞き洩らしていましたので」


「君が四年前に贈ってくれたと大事に着ている洋服のサイズそのままですね」


「ありがとうございます」


 和久が硬い声で答えて電話は終わり、その翌々日に服入りのダンボールが俺宛に届いたのである。

 それは代引きではないどころか、武本が発注していた以上の枚数の服が詰まっており、中には俺宛の手紙と武本宛の手紙が入っていた。

 俺への手紙には武本に渡すのは彼が発注したアイテムだけで、あとの全部は俺の自宅にいる時に渡してくれとの注文だった。


 つまり、その他の服は俺の家に置いておいて欲しいと言うことだった。

 俺は武本家が面倒臭いと思いながら服と手紙を武本に渡し、武本は手紙の中にお金が入っていたと小学生のように喜び、幼稚園児のように泣き、それから、丁寧に手紙と金を封筒に戻すと俺に手渡したのである。


「思い出に取っておきたいので、これを僕の鞄に入れて良純さんの家に置いてもらっていいですか?」


「金は持っておけばいいだろ」


「うちは貧乏ですから、お金があるのならば生活費に渡さなければなりません。僕がお金を頂くようになったので、スマートフォン代は僕が払う事になりました。和君のお金を知られて、食費もって言われたら無理ですし、いざという時用に和君のお金は取っておきたいなって」


 俺は彼の言葉に自分が責められている気がしたのは言うまでもない。

 俺が彼に渡している総額は二万円も無い。

 彼から封筒を受け取り、俺の家の押入れの中の彼の鞄に入れ、ついでに彼の鞄の中身を確認した。

 プライベートだからと、この間スマートフォンを取り出した時には鞄の中を確認しなかったが、今回は武本のためだと思いながら俺は鞄の中を漁ったのである。


 教科書以外で個人的なものと言えば、輪ゴムでとめられた祖父母と彼の従兄の手紙が一束だけである。

 中身は誰に見られてもおかしくない「元気か」程度の文面であり、俺はその文面だからこそ彼への憐憫が湧いていた。

 その程度の文章さえも宝物になる人生とは、なんと寂しい哀れなものかと。


 俊明和尚が俺を山から連れ帰る時に俺の持ち物が無いと騒いだ時の心情と同じだろうと、俺は俺を哀れんだ彼の気持ちをようやく汲みとれたからかもしれない。

 当時の俺は彼が「俺の私物が一つもない事実」にいきり立つ姿を見て、面倒な人間のお世話係かと白けた気持ちで彼を眺めていただけだ。

 彼は、悲しいも寂しいも無い俺自身にこそ、怒り嘆いてくれていたのだろう。


「僧になると父に伝えて俺は絶縁されました。持ち物も何もかも処分されて残ってはおりません。仏門に下るとは、そういう事ではないのですか?」


 彼はしばし俺を見つめた後、にこりと微笑んで俺に声をかけた。


「京都観光してから家に帰りましょうか。お土産ぐらいいくらでも買ってあげますよ」


 俺が彼に答えた言葉は、いりません、だった。



「びいどろでも買って貰えば良かったかな」


 雑念を払うように頭を振って、手に持ったままのスマートフォンを袂に戻した。

 久々の袈裟姿だ。

 袂が風をはらみ、黒衣と袈裟もハタハタとたなびき、その様に師である俊明和尚の袈裟姿がとても優美だったと思い出された。


「私は仏よりも君を選ぶ」


 俺が彼の手を離さず縋り尽き泣き喚いていたばっかりに、なんて言葉を最期の言葉に選ばせてしまったのだろう。

 そのために病室に駆けつけていた高僧達に自分は叱責され、隅に追いやられ、自分はただ泣くだけだった。

 いい年をした男が何をしているのか。

 俊明和尚が生前自分にかけた言葉が「人として生きろ」だ。

 僧にかけた言葉であるならば、これは僧籍を捨てて還俗しろということだ。


 それは、無理だ。


 親友を失ってそれまでの人生を捨てたのだ。

 捨てるほどのものは持っていなかったが、元に戻れるわけがない。


 鈴木真琴が死んだのは大学一年の夏だった。

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