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ひとさらいからの交換情報

「嫌ですって。離してください。今日は帰ります。駄目です、やめて」


 知り合いの目を気にする余裕もなく、僕は必死で抵抗した。

 この、僧の姿をした人攫いに!

 あの家は嫌なのに、それも今日は一人だけで作業しろと良純和尚は言い、自分を無理やりトラックの助手席に乗せ上げようとしているのだ。


 なんたる外道だ、誰か助けて!


「こら。嫌がる子に何をしているの!」


 助け舟だ!


 毎朝挨拶と軽い会話をしてくれる四人のうちの一人だ。

 この声は学校の体育の先生のような雰囲気の人だと彼女に振り返ると、訂正が必要だった。

 声を荒げたのは一人だけだが、いつもの全員が勢ぞろいして僕達を取り囲んでいたのである。

 僕を押さえつけていた彼の腕が緩み、彼の僧らしからぬ呟きが漏れた。


「ばばーず」


「何をなさっているの。公道のど真ん中で」


 ピアノの先生のような雰囲気の人がバシっと良純和尚の腕を叩いた。

 僕はこの隙に逃げ出そうと体を動かしたら、その前屈姿勢を利用されて彼にぽんと助手席に放り込まれてしまったのだ。

 あぁ、完全にドアまで閉められた、開けて!


「あなた!」


 校長先生の雰囲気の女性が良純和尚を睨むと、彼は怒るどころか深々と彼女達に頭を下げた。

 そして、何ということだろう。

 頭を上げたその顔は、百戦錬磨のドン・ファンかと思わせる微笑を浮かべていたのだ。

 僕までも逃げることを忘れ、ドアガラスに顔を貼り付けてまで彼の顔を注視してしまったぐらいの微笑なのである。


 当たり前だが、そんな笑顔を前にした四人組は、数秒前まで悪がきを叱り付けていた鬼婆の記憶など捨て去って、ディナーショーで大好きな歌手に纏わりつくファンクラブ会員の様そうと化していた。


わたくしは本日火葬場に読経の仕事がございましてね。いい機会だと、この子に私の不動産の仕事を一日任せて独り立ちさせてみようかと考えまして。それに、僧侶が経を読まないで、一体何をしろと言うのでしょうか」


 畜生。

 正論過ぎて誰も意義を申し立てられないではないか。

 保健室の先生のような、四人の中では一番柔らかいが時々一番きつい物言いをする、今日の僕にとっては最後の砦が簡単に陥落した音が聞こえた。


「あら。独り立ちですか?あなたはクロちゃんの事を真剣に考えていらっしゃるのね」


「大事な預かりものですからね。責任を持たせることでこの子に自信がつけば良いと考えております」


「まあ素敵」


 異口同音で四人は良純和尚を褒め称えると、現れた時と同じくさっと散って消えていった。

 畜生と、何の助けにもならなかった彼女達の後姿を僕が車窓に貼り付きながら見送っていると、運転席に婆たらしが鼻歌を歌いながら乗り込んできた。聞き流されるだろうが、一応は不平不満を僕は口にしてみた。


「そもそもお坊様が地上げみたいな事をしているほうがおかしいんですって。警察が立入り禁止のテープ剥がしてくれたからって、今日掃除をしなくてもいいじゃないですか。別の場所なら僕は嫌がりません。昨日の物件なら大丈夫です。そこの清掃をします。させてください」


 良純和尚はエンジンをかけながらフフフと喉を震わせる笑い声を立てた。僕の我侭に怒りもしないどころか機嫌の良さそうな素振りに、ああ、わかってくれたとホッとした。

 しかし、彼はサイドブレーキに手をかけたまま自分をじっと見つめてきたのである。そして、四人組を陥落させた微笑に僕が見惚れた頃を見計らったように、いつもの静かな声で自分に語りかけてきたではないか。


 実を言うと自分は良純和尚の声が大好きだ。

 力強く、そしてとても静かで、彼が話すと気が落ち着く。

 彼もわかっているらしく、今まさに、その声を使っているのである。


 なんて卑怯だ。


「坊主は経を読んでこそ坊主なんだよ。俺の本性は坊主でしかないんだ。武本はもう一人でもできると、信頼できると思ったからこそ頼んでいるんだよ」


 わざとらしくため息をつき、再び僕に向き直ると彼は続けた。


「あの家は事故物件になってしまって売れるに売れないのはわかるよね。だからこそ、鴨が現れたらいつでも、一分一秒でも早く売っぱらえるように、常にキレイにしておきたいんだよ。わかってくれたかな」


「言っていることがお坊様じゃないです」


 彼は僕が陥落せずに冷静だった事にあからさまにむっとした顔をした。

 彼はプライドが山よりも高いのである。


「すいません。他の家なら一人でも大丈夫になりましたけど、あの家だけは駄目なんです。良純さんが読経中だったら携帯の電源を切っているかと思うと、あの、すごく心細いし」


 見捨てられてもいいからぐらいの気持ちで、今回は本当に勘弁して欲しいと思いつつ言ってみた。すると、良純和尚は納得して了解したかのように、ああ、と声をあげると僕に提案をしてきたのである。


「それなら楊のアドレスをあげるよ。警部補のホットラインだ」


 僕の目が見開かれて恭順の意が現れたことを認めたのか、彼は嬉しそうに瞳を金色に煌めかせると、僕の背骨にびいんと響く静かないい声を出したのだ。


「成立だね」



 そうして自分は僧の姿をした外道の人攫いに宅配されて捨て子されたのだ。


 曰く付きの家の前に。


 十一月六日、時刻は九時四十五分になっていた。


 だが、大丈夫だ。

 自分は「あの優しい刑事さん」のアドレスを持っているではないか。

 確認すると、登録名はかわちゃんで、なんと、かわちゃんのメールアドレスは言うに及ばず、誕生日、血液型、現住所という個人情報までも貰ってしまっていたのである。

 良純和尚に個人情報保護法についてレクチャーを受けさせるべきかもしれない。


 もちろん、かわちゃんが。

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