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葉山君と山口君

「かわさん。俺に帰っていいって。いいのですか?」


「いいよ。今のところは俺達に仕事は無いでしょう。明日からは大変だろうからね、休める時に休んでおいて。俺もすぐに帰るから」


「そうですか。それではお先に失礼します」


 葉山は住宅地で武本がしていたようなぴしっとしたお辞儀をすると、すっと真っ直ぐに姿勢を伸ばして自分の席へと戻っていった。

 誰にでも礼儀正しく、あまり人に踏み込まない彼が武本に興味を示したのは珍しいと、楊は葉山の後姿を眺めていた。


「その男の子は本当に可愛かったのですか?少女みたいって本当ですか?」


「お前こそ帰れ」


「酷いですね。その扱い違い」


 これ見よがしに胸に手を当てておどけているのは、山口やまぐち淳平じゅんぺいだ。

 葉山よりも一つ年下だが、高校卒業後に警察入りしているので、葉山よりも経験が長い。

 もしかしなくても楊よりも長く、それどころか、刑事としての経験値は確実に楊よりも上なのである。

 山口は髙と同じ公安組であり、髙の秘蔵っ子だったと楊は聞いている。


 楊はどこにでもいる存在の山口を見上げて、身の内に少々の怖気を感じた。

 百目鬼と変わらない身長に整った顔立ちながら、彼はそれを一切匂わせたことなどないのである。

 彼の相棒の葉山の方が目立つぐらいだ。

 山口はいつも猫が笑っているような笑顔を顔に貼り付けて美貌を隠し、背中を丸めてスタイルの良さを隠し、その他大勢に埋没してしまうのである。


「君が俺の傍にわざわざ冗談話をしに来たからには、俺が耳に入れておいた方がいいという内緒があるのだろうね」


「嫌だなぁ。僕だって雑談で盛り上がりたいですよ」


「例えば可愛いと評判の男の子の事とか?」


 山口は口角をきゅっと上げた。

 笑顔というよりも記号のスマイルマークでしかない。


「あの可愛いと噂の彼を、小学校時代に虐めていた主犯が林裕一君です」


「知っている。息子らしき遺体発見と第一発見者の名前を伝えた途端にね、あの武本玄人君が殺人者だと名指しだ。昔に息子がいじめていたと騒いだ相手だから、逆恨みの復讐だろうってさ。いじめられて復讐はわかるけどね、逆恨みの復讐って考え方がわからないよ。林裕一君の遺体捜索時の聞き込みの情報も最悪だったけどね」


「眠剤に精神安定剤の売人ですか?売春もあったかな」


「うそ。中高の同級生への暴力行為だけじゃなくて?」


「本当です。武本玄人と名乗るモデルのような美青年がまず客引きをして、ホテルで大勢で囲ってバラされたくなければという恐喝か、眠剤使った昏睡強盗などを繰り返していました」


「うそ。……あぁ。それで少女のようだったのか聞いてきたんだね。」


 スマイルマークは嬉しそうに何度か頭をコクコクと振った。


「友君が可愛かったと何度も言いますから。本当かなぁって、僕はそっちの興味の方が大きいですけどね」


「がっくりだよ。でも、その裏取りをしっかり頼めるかな。いくらでも情報は捩れることが出来るでしょう。気がついたら、あの少女の姿で男達を騙して誘っていたという事になりかねない。被害者も男性だと知っていてよりも、美少女だったからの方が聞こえがいいと証言を覆すかもしれない」


「いやな世間体」


 山口は鼻をフンっと鳴らすと、書類束を楊に差し出した。

 楊は山口が一瞬本当の感情の片鱗を見せたように思いながら受け取った書類を開くと、そこに山口の説明が重なった。


「押収されて残っているホテルの監視カメラ映像のコピーも一つだけですね。残念ながら、その映像も林裕一君の後ろ姿だけですから、違うと言い切られればお手上げです」


「他に物的証拠は無いの?ちびが罪を擦り付けられたらお終いじゃないの?」


「それはご心配なく。証拠どころか犯罪が消えました。林裕一死亡の報があった時点で、被害届が次々に取り下げられて本日の午後に一斉にシュレッダー破棄されています。昨日のうちにコピーを取っておいて良かったです。被害届の取り下げは、恐らく、被害者が林裕一の殺害犯扱いされると考えたのかもしれませんね」


「それは推測?」


「伝聞による推測ですね。唯一原本が残っている被害届の主は、自殺です。ですが、残された奥さんが、警察を名乗る人物からそのような電話を受けたと」


「うわぁ、間抜けな話。自殺ならば警察に記録があるでしょうに」


「死んでいないからです。脳障害で幼児退行してしまったそうで、奥さんは絶対に夫を壊した男を許さないと言っていますので、身内に監視させています」


「身内って、彼女の?」


「僕の、です。公安仲間に頼みました」


「そう。それじゃあ。その自殺した人物の被害内容を教えてくれるかな」


「反吐が出ますよ」


「じゃあ髙に。俺は帰る」


「そう思ったのですが髙さんがいませんので。彼はどうしたのですか?」


「うん?あの可愛らしさでしょう。髙も守りたい病にかかっているのかな」


 山口はなぜか大きく舌打ちをし、それから自分のデスクに戻り、そこの椅子をずるずると引き摺って戻ってきた。


「そんなに酷い話?」


「僕は昨日も今日もハードワークだったのですよ。お疲れサンなんです。昨日はろくでもない医者を病院に送り届けて、ほとんど誘拐に近い形で別の医者を引き摺って。その足で可愛い子を拝むことなく本部で情報漁りです。あぁ、今日の僕は朝から被害者宅を回って聞き取りもしていたんだ!」


 楊は目の前の元公安の若い男に、褒美に武本の画像を見せてやろうかと考えたが、ギリギリのところで踏ん張った。

 三人いる部下の内、最後の砦くらいは守りたい。


 葉山は武本を第一容疑者にという本部からの申し送りに烈火のごとく怒り、本当に容疑者にされたら警察を辞めそうな勢いだ。

 髙は髙で武本の血液検査の結果を知るや否や、可哀そうな子供を守らねばと、楊を残して裏に潜ってしまった。

 楊は机の上の検査結果の裏をなんとなく眺めて冷静になると、山口に話の続きを話すことだけを促した。


 これは部下どころか、武本を保護している百目鬼にさえ伝えてはいけないという代物だ。

 簡単な血液検査では武本の性別は判定できず、性別判定に絞った染色体検査でXXYであるという結果が出たのである。

 楊が証拠押収時にそれとなく雑談交じりに武本を尋問した彼の答えによると、武本の体は男性としても機能していないようなのだ。

 そこを楊は不思議に思っていたのだが、検査結果に至極納得したのである。


 喉仏も出ていない少年でしかない体であるのならば、精通が無くとも不思議は無いし、精神遅滞もあるだろう、と。

 二十歳の青年でありながら、小学生か中学生並みの受け答えと感情表現であった事にも説明がつくというものだ。


「それでは、いいですか?」


「いいよ。昨日から驚きばかりだったから、大丈夫」


「被害者の高城穂高たかぎほたかは、弟瑞穂みずほが中学生時代に林裕一によって登校拒否に追い込まれておりまして、昨年に弟の全裸写真を買い取ろうと出向いた先で金を奪われた上でリンチを受けています。実は自殺というカテゴリ自体高城には嵌らないと言いますか、これは犯罪の隠蔽ですね。」


「それなのに、被害届はあるんだ。」


「はい。退行症状は最近です。彼は二度暴行を受けているのです。一度目は林裕一に、二度目は被害届を出した後。首にビニール紐を撒いた状態で倒れてるところを発見搬送、そして自殺未遂の処理です。僕が見るに、これは警察内部の誰かの仕業でしょう。脅しでやり過ぎたのでしょうね」


「身内の仕業って、今日一番で反吐が出るね。」


「でしょう。」

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