惨敗
「ほら、約束だろ…行ってこいよ」
透が私の背中を押す…あ~どうしてあんな約束しちゃったんだろう。
私は自分のマヌケさがつくづく嫌になっていた。
でも…まだわからない、ううん…きっと大丈夫…
悪夢のような髪型にされてしまった日から1年がたっていた。
耳の上でまっすぐに切り揃えられたおかっぱ…
その下は青々と剃り上げられてしまっっていた。
次の日から、逢う人逢う人に『どうしたの?』とか聞かれ、
私がどんなに恥ずかしい思いをしたか…
透を恨む気持ちもあったけれど、結局今日まで付き合いは続いている。
髪も、ようやく伸びて、今はやっと肩に付くくらいになっていた。
もう絶対馬鹿な賭けなんかするもんか、そう思っていたのに…
いつもように透の部屋で遊んでいる時だった。
あの時と同じ、私はちょっと酔っていた。
私の髪を触っていた透が思い出したように言った。
「そろそろリベンジするか」始めは抵抗していた私も、
酔った勢いもあったし私が勝った時の条件として透が出した『海外旅行』
その魅力に、ついOKしてしまった…後悔先に立たず…
そう、私はまた賭けに負けたのだった。
「久美、約束だぞ…今度は坊主だから」
少し笑いながら透が私の髪を掴む。嘘でしょ…?冗談だよね…?
でも透の目は今度は笑っていなかった、やっぱり…。
「ま、有無を言わさず、って言うのも可哀想だからさ、もう1回チャンスをあげるよ。」
透がそんな事を言い出した。チャンスって…
「久美は、自分で選んだ床屋に行く。
そこで自分の口で『丸坊主にして下さい』って言うんだ」
「それじゃチャンスでもなんでもないじゃない…」
途中で口を挟んだ私に透は笑いかけると話を続けた。
「普通さ、久美のような女の子がいきなり丸坊主にしてって言っても
まず『はいそうですか』と言うとは思えないだろう?」
確かに、そうかもしれない。普通の状況じゃ考えられないもの…
「だからさ、そこで床屋が『止めた方がいいですよ』とか
『出来ません』って言ったら久美の勝ち…しないで終りにしてもいいよ」
透は妙に嬉しそうにそう言った。
そんな事…でもあり得ない話じゃない、
むしろ断られたり止められる可能性の方が高いかもしれない。
私はそんな事を考えていた。
「条件は二つ『出来ません』と『止めた方がいいですよ』だけだよ
『いいんですか?』って言うのは確認だからね、その場合は…」
透は久美の前髪をかきあげるように、自分の手を後頭部に向かって入れていった。
「さ、勝負は明日…楽しみだなあ~」
寝転がった透がまた起き上がると言った。
「その場合は…一番短くしてもらうんだよ、判ったね」
翌日、街に出た私達はウロウロと歩き回っていた。
「選ぶ床屋次第だからな、どこが断ってくれそうか…」
透はとにかく嬉しそうだった。それが悔しい。
初めに私一人で店に入り、その後すぐに透が
他の客のフリをして入って来る事になっていた。
「ちゃんと、聞いてるからな」
1時間歩いても、断ってくれそうな床屋か、そうじゃないのか判るはずもなかった。
もうこうなったら、勘で行くしかない。
そう思った時、一軒の床屋の前に立っていた。
「ここにするの?いいの?」
透が私に囁く。ここでイイかなんて…私が聞きたいくらいなのに…
でも、もう迷ってても仕方ない。私が頷くのを見ると、透が背中を押した。
「いらっしゃいませ」
50代くらいだろうか、白衣を着た店主らしい男の人が出てきた。
幸い他に客はいない…
「お顔剃りかなにかですか?」
ま、どうぞ…と言いながら店主はイスを指した。
座る前に言ってしまった方がいいのかな…そう思った時だった
ドアが開く音がして透が入って来た。もちろん客のフリをして…
「いらっしゃいませ…ちょっと待っていただくようですけど」
どうやらこの店はこの人一人でやっているらしい。
店主は透を待合のソファーに座るように勧め、
「じゃあ、お嬢さんはこちらに…」
と私をイスに座るように招いた。もう座るしかない…
「えっと…今日はどうしますか?」
私が座ると同時に店主が聞いて来た。言わなくちゃ…
私はチラっと鏡越しに待合のイスに座っている透を見た。
下を向いて漫画を読んでいる透…でももちろん聞き耳を立てている事だろう。
「あの…あの…」思うように声が出ない。
喉の奥がくっ付いてしまったような感じだった。
(言わなくちゃ…透がチラっとこっちを見るのが鏡に映った)
「なんですか?」
「丸坊主にして下さい」
喉がくっ付いてしまったような感じだったので、つい大きな声が出てしまった。
「は…?丸坊主ですか?」
店主は目をまん丸にして私の顔をまじまじと見つめた。
(お願い…止めた方がいいって、出来ないって言って…)
心の中でそう思いながら、私は頷いた。
「いいんですか?…こんなに若いお嬢さんがねえ…」
店主は考えているようだった。
(そう、だから早く止めて、断って…)
「う~ん…まあ、してくれと言われればしますけど…でもねえ~」
店主はそこで言葉を切った…
でもねえ~止めた方がいいですよ…その後にはそう言う言葉が続く予定だった。
沈黙の中、店主はカットクロスを私の首に素早く巻き付けた。
(え…これって…)そして…
「ま、覚悟して来たんでしょうし、やりますか…」
そう言いながら鏡の横の棚からバリカンを取り出して来た。
(うそ…どうして…うそでしょ…)
頭の中が真っ白になってしまった。そんなに簡単に引き受けてしまうなんて…
透は下を向いたまま、くっ、と堪えきれずに笑った。
「長さはどうします?いろいろあるけど…」
店主の声が遠くで聞こえてるようなそんな気がした。
「イチバン短くして下さい」
昨夜、透に言われた通りの事を言う、もう言うしかなかった。
「イチバン短くねえ~勇気あるんだねえ~」
呑気な調子で言いながら、バリカンの刃を調節して、いよいよスイッチを入れた。
『ビィー--ン…』
音を立てて動き出したバリカンが迫って来た。
(ほんとに…ほんとに坊主にされちゃうの…?)
「じゃあ、ばっさりいくからね…」
店主が私の前髪をかきあげて、丸見えになった額の真ん中にバリカンをあてる
『ジジ…ジジジ… バサッ、バサッ…』
バリカンの冷たい刃先が額から食い込むように入っていき、
髪を根元から刈り落とし始めた。
あっという間に額から頭の上を通り、後頭部まで進んでいっってしまった。
「やっ…いやああ…」
思わず悲鳴のような声が出てしまった。
さすがにバリカンの音がする中でもその声は聞こえたらしい。
店主は驚いた顔をして私を見た。
「今更いやだって言われても…」
私に鏡が見えるように、店主はすっと身体をずらした。
肩まで伸びた髪…まったく変化がないように見える…でも…
額からまっすぐに、幅6センチくらいの青白い線がくっきりと出来あがってしまっていた。
「ココを刈っちゃったら、もう坊主にするしかないんだよね…」
店主が言い訳するように、なだめるように言った。
(もうダメ…もうダメだ…)
私はがっくりと肩を落とすように、頷くしかなかった。
「はい…全部刈っちゃって下さい…」
店主が持ったバリカンが素早く動き私のトップの髪を瞬く間に刈り落としていった。
鏡を見ると、本当に青々と刈られた部分がさっき見た線から面へと変わっていた。
次は横…もみ上げからすくいあげるように入ったバリカンが
トップと同じように髪を根元から刈り落としていく。
バサバサと次から次へと髪が落ちて来てはカットクロスの上を滑っていく。
床に落ちていく髪もあれば、そのまま足の上のくぼみに溜まる髪もあった。
髪が伸びて、ようやく隠れた耳が、また露にされてしまった。
一年前の時と違うのは、耳の上も、更にその上も青々と刈られてしまったと言う事…
耳の後ろにもバリカンが入り、また同じ動作で刈り上げていく。
透が鏡越しに私を見ていた。ニコニコと笑いながら、
店主に気が付かれないように小さくVサインを出した。
(くやしい…いつか仕返ししてやる)
でもそんなあてはまったくないだけに、そんな思いもただ虚しいだけだった。
「ちょっと下向いてね」
私の後ろに立つと、頭を押すように前に倒した。
次の瞬間、後ろの髪の内側にバリカンが入り、うなじから上に向かっていった。
『ジジジ…ジジジ…バサッ、バサッ…』
髪を刈る音と、その髪が落ちていく音
バリカンは容赦なく髪を刈りながらつむじの方まで上がってくると
ふっと音が変わった。トップの刈った部分と繋がった証拠だった。
またうなじにバリカンを戻すと、今度はさっき刈ったその隣の髪を刈る。
「頭の形がイイから、丸坊主も似合うよ」
不自然な程明るい声で店主が言った。
(似合っても、似合わなくても、嫌だったのに…)
今更思っても仕方ない事を考えている私だった。
「さ、出来ましたよ」
すべての髪を刈ってしまうと、
もう一度頭全体にバリカンを走らせ丁寧に仕上げた。
そして細かい毛を吹き飛ばす為かドライヤーで風をあてた。
ドライヤーの風が、地肌を直撃する。
今まで味わった事のない感触を頭のてっぺんに感じていた。
(うそ…これが私…)
鏡に映る自分の姿が信じられなかった。
まるで尼さんのように、青々と刈られてしまった頭。
こんな頭にされて、どうしろって言うの…
透は仕上がりのちょっと前に
「ごめん、また来るから…」
と店を出て行ってしまっていた。
とにかく会計を済ませ、そおっと店のドアを開けた。
「はい、お疲れ様」
いつのまにか横に立っていた透が野球帽のようなものを被せてきた。
髪がなくなってしまった私の頭には、見事にぶかぶかだった。
「めちゃ可愛いよ。すごく似合ってる、惚れなおした。すごい色っぽい」
いつか聞いたような言葉を言う透。
「もう信じられない!絶対に許さない!!」
私のその言葉に透は大声で笑った。
「俺は関係ないよ、久美があの床屋のおじさんとの賭けに負けたんだからな」
そんな事ない!全部透のせいなんだから…
私が怒り出すと透はさっき私に被せた帽子をひょいと取った。
そして逃げる…
「ま、悔しかったら次は勝ってみろよ…でも久美…次も負けたらどうする?」
透がまた嬉しそうに大声で笑う。
とにかく…今は…『帽子を返して…』
願いはそれだけだった。
END




