2周目の私
※本作品はすべてフィクションです。実在するいかなる人物・組織にも関係がありません。無論作者にも。
12歳の夏、私は転生した。
…また助詞を書き忘れた。もう何十年と生きているのに、いまだにこんなケアレスミスを起こす。しかし、すぐに気付いて直せるのは数少ない美点かもしれない。
正しくは、こうだ。
12歳の夏へと、私は転生した。
◇◇◇
転生前のことははっきりとは覚えていなかった。記号的なこと、例えば年齢や名前や住所は思い出せたが、具体的なことはからきしだった。辛うじて、20代後半で、どこにでもあるような会社に勤めていて、周りのみんなと同じような生活をしていたことを何となく思い出せた。
転生したということは、私は何かのタイミングで死んだのだろうか。
しかし、肝心な転生直前の記憶は、実体を持たない靄で蓋をされているようだった。
そんな曖昧な前世よりも、生まれ変わった12歳の生活は、あまりにまぶしく、刺激的だった。
太陽に照らされる中で勉強したり遊んだりするのはとても楽しく、幸せな時間だった。時々あるテストは少し憂鬱ではあったが、私はなぜか前世の12歳ごろの記憶をはっきりと思い出すことができたし、人の2倍は勉強しているような状態だったから余裕はあった。
12歳ともなると、あちらこちらで恋愛の噂が立ち始めた。
私も人並みに恋をした。とあるクラスメイトだったが、告白してOKを貰い、数回一緒に下校したところで気恥ずかしくなって別れてしまった。
◇◇◇
中学校は地元の公立だった。12歳の時の友達はほとんど同じ学校だった。
近隣の学校から生徒が集まっていたため、新しく見る顔の方が多かったがすぐに慣れた。
中学のテストは小学校よりも難しい。
この頃には私は前世の中学校の記憶を取り戻していたが、2周分の努力をもってしても余裕はなかった。ただ、生来の生真面目さで成績順が2桁よりも大きくなることはなかった。
恋愛も何度かあった。
先輩を好きになったり、クラスメイトに恋したりしたが、案の定長くは続かなかった。
どうやら私は恋をしている気分が好きなだけで、その人そのものを好きになることはほとんどないようだった。
あっという間に3年の冬を迎えた。
成績は維持できていたから、教師からは近隣のどこの高校にも入れると太鼓判を押されていた。この頃には前世の高校での記憶も思い出せた。当時は好きな人と同じ高校に行って、入学直後に別れたんだったか。
私は進学校の普通科に入学することを決意した。
◇◇◇
高校生になった。
中学は古いデザインの学生服やセーラー服だったし、前世の高校の制服はぱっとしないデザインだったから、当時の制服のブレザーはすごく格好良く映った。
3か月もするとテストの時期がやってきた。
中学で好成績を収めていた私は正直舐めていた。1周目の記憶があることに油断し、勉強を怠った。
そうして受けたテストの点数はすべて平均点をすれすれで上回る程度で、全体順位としても真ん中から少し上だった。
私は必死で勉強を始めた。
時々よぎる前世の記憶の、ぱっとしない生活を思い浮かべるだけで、勉強をするモチベーションになった。今世では良い大学に進学し、満ち足りた生活を送りたいと願っていた。
勉強の甲斐あってか、成績は徐々に上がっていった。一年の夏以降は上位三分の一を下回ることはなかったし、二年からは上位四分の一に必ず入るようになった。
ちなみに前世の生活を繰り返さないように、文理選択では理系を選んだ。冴えない営業職や事務職になることはまっぴらだった。
大学進学を視野に入れる時期が来た。私は地元を離れ、旧帝大を目指すことにした。
目標ができれば勉強ははかどる。
何度かあった模試でも、BからC評価を安定して取れた。
季節は流水のように滞ることなく流れた。
受験当日の私は1周目を含めたこれまでの人生で最高の仕上がりだった。
試験には無事合格し、春からの生活に胸を躍らせた。
◇◇◇
私は新しい生活を始めた。
大学での全く新しい顔ぶれ、全く新しい環境は2周目で感受性がすれてきていた私にも刺激を与えてくれた。
大学生ともなると、1周目の記憶はほとんど役に立たなかった。辛うじて人間関係を保つテクニックは過去問の入手や代返のお願いをするのに活用できたが、勉強方面には行かせなかった。
成績は並みだった。しかし、学歴さえあれば就職はできる。私は安心していた。
地方の出だった私は安いアパートに住んだ。田舎からの仕送りもあったが、ほとんど家賃で消えてしまい、バイトで生活費を稼がねばならなかった。
サークルとバイト、講義やゼミ。私の大学生活は楽しくも儚く、満喫する前に就活の時期が来てしまった。
ネームバリューのある大手を。
それだけを目指して頑張った。マナー講習や面接の練習を繰り返し、量産型の就活生が出来上がった。
しかし、大手ほど染めやすい人材を求めていたらしい。私はほどなく採用された。
◇◇◇
働き始めて数年が経った。
私は毎日定時を大幅に過ぎて帰宅し、疲れた体を十分に休めることなく次の出勤をする毎日を送っていた。
休みはあったが、十分ではなかった。溜まった家事を片づけたり、資格の勉強をしたりするので精一杯で、高校・大学で憧れた華やかな生活など夢のまた夢だった。
上司との反りも良くなかった。
十分な教育をしないくせに自分のやり方を押し付けてくるタイプだった。私はその癖を理解しようと試みたが、うまくパターンに嵌めることができなかった。
ミスを犯し、叱責され、修正するも遅いとなじられる。
私の心はその度に摩耗した。何度も心が折れかけたが、身体への影響は現れず、休職や退職には決定打がなかった。
限界ぎりぎりで過ごしていたある日、私はひどい説教を受けた。
上司は朝から機嫌が良くなかったし、半分はただの八つ当たりだろう。私は反論の機会も与えられないまま、小さくなるしかなかった。上司は繰り返し私のミスを指摘した。これまでの総まとめでも行っているかのように、今までの失敗を取り上げ、共通点を探して見せた。
私の心は完全に折れた。
ふと時計を見ると終電の少し前の時刻だった。足元はタイル張りの床で、なんてことはない駅の構内だった。
私はいつも通り残業をして帰っているところらしい。いつもより遅いのは今日のミスの補填をしたためだろう。
気づいた時には涙が落ちていた。私はこんなことのために人生を費やしたのだろうか。
ぼんやりと足元の点字タイルを眺めていると、強く吹き込んでくる風が頬を打った。
本日最後の特急が来ているらしい。私の乗る電車はこの一本後だ。
私は風に吸い寄せられるように一歩前へ出た。
あと一歩で、私の苦痛が、消えるのならば。
電車のヘッドライトが私を照らした瞬間、私は最後の記憶を思い出した。
前世も、私は、同じことを、思っていた。
私はやっと理解した。2周目が与えられた意味を。
◇◇◇
その後の私の行動は早かった。
上司に退職願を叩きつけ、給与は下がるが余暇の取りやすい会社へ転職した。
趣味も新しく始めた。こうして文章を書くことだ。
今なら2周目が始まった意味がよく理解できる。
子供の頃の記憶を大人になった時の感性で追体験できるというのは、なんと素晴らしい経験だっただろうか。
◇◇◇
そうして書いた作品のうち、本作を処女作として発表することにした。
正直なところ恥ずかしい。
しかしながら私の半生を綴った本作は、新しい人生の開始を彩るに相応しいと考えている。