00 ガチで『リアリティのない物語』ってものを知ってて言ってる?
タイトル通りの内容です。
小説なんだから。フィクションだから。
リアリティなんてなくてもいい。
作品の感想欄で批難意見が出されると、こういう言葉で擁護する意見が出てきます。
自分はこの言葉が、というよりも、この言葉が出てくる経緯が嫌いです。
ものすごい薄っぺらい、信憑性のカケラもない言葉にしか思えないから。
例えば。
ある人には、ものすごく好きで応援している物語があって、その中にものすごく好きなキャラクターが登場していたとしましょう。
だがその作品が、その人にとって望まない展開になった。
その作品を知っている人ならば、誰もが「なにそれ……?」と悪い意味で目が点になる、『リアリティのない』展開で。作者か編集者か誰の手か知らないが、制作側が自ら作品を貶めているとしか思えないような。
それで尚「リアリティなんてなくていい」と言えるのでしょうか?
Yes、言えるのであれば、本当は応援なんてしていなくて、そもそもその作品のことを好きでもなんでもない。
No、言えないのであれば、矛盾している。本当のところは「リアリティなんてなくていい」なんて思ってなかったということ。
理論が破綻しているのです。
だから作品を擁護するその言葉を、「本気でリアリティなくていいと思ってんの?」と疑います。
その言葉で作品を擁護する人のほとんどは、『リアリティ』がなんたるかを理解してるとは、全く思うことができません。
もう少し具体的に言うと。
・『リアリティ』の意味
・『リアリティのなさ』の意味
このふたつ。
普通だったら『リアリティ』の意味から入るべきでしょうが、諸般の事情で後者、『リアリティのなさ』から説明します。
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現実にはそんな簡単な話ではないですが、あくまでわかりやすくするためのイメージです。
ある物語を分析し、『リアリティ成分』なるものを抽出したとします。
100ならば現実・真実・事実しか書かれていない。ノンフィクション、新聞や雑誌の記事とでも思ってください。
そしてフィクション、小説にはどのくらい含まれているかというと。
ちゃんと商品として世に出回る作品内でいえば、99から、せいぜい80くらいまでではないかと、個人的に思っています。
これは多分、このイメージができたほとんどの人の想像以上に高いでしょう。
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例えば、イソップ童話に多い、動物がしゃべって色々やってるタイプの子供向け物語を想像してください。アン●ンマンでもしま●ろうでもいいけど。
そんなこと、現実に起こるはずはない。鳴き声で意思疎通程度ならともかく、的確な言語を操る動物なんて、人間しか存在しない。ウサギやカバが二足歩行して文明築いて文化的な生活を送ってるなんてことは、絶対にない。
だから「リアリティがない」と評する人もいるでしょう。
そういう人は、この童話のリアリティ成分を検出したら、10とか20とか、それくらいのレベルと思うのではないかと。
ですが違うのです。
99に近く、むしろリアリティに溢れています。
よく考えてください。
そういった子供向けの物語と、現実とを比べた場合、明らかに異なる点は『登場キャラクターが動物』という一点のみ。
物語の中で、動物たちの言動・思考回路は、人間とほぼ同じ。
人間が着ぐるみ着てるのと変わらないのです。
擬人化はそういう手法で、寓話はそういう物語です。
薄給でコツコツ働く冴えない若造とパーティーピーポーアゲアゲ(死語)やってるチャラ男が三〇年後、会社社長とホームレスやってるなんて話をしても、子供はピンと来ないか生々しさに引きます。
だから、登場人物をアリとキリギリスに置き換えて、子供でも理解しやすい工夫しているだけのことです。
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それでは本当にリアリティがない、低い文章というのは、どういうものか。
例えば。
①「縺?¥繧峨Μ繝ァ繝ウ繧ョ繝懊?繝ウ繝吶リ繝吶&縺ォ繧ア繝?ヨ繧・縺ィ縺励※繧ゅ?∝菅縺ィ繝エ繧ク繝」繝ォ繝エ繧」繧コ縺ィ縺ョ髢薙↓縺ッ繝ヲ繧イ繧ア繝舌せ縺ッ蟄伜惠縺励↑縺??」
文字化けしてると思った方。
問題ありません。ブラウザの閲覧環境がおかしいわけではありません。元から文章が変なだけです。
これでは理解できない?
じゃあ、もう少しリアリティを足してみよう。
②「いくらリョンギボのンベナベさにケットゥしても、君とヴジャルヴィズとの間にはユゲケバスは存在しない」
(※パパロェニーテ語特有の表現が含まれるため、完全な日本語訳が不可能)
リョンギボがなにか、ケットゥしたらなにが起こるのか、そもそもパパロェニーテがどういう言語なのか、読んだ方はもちろん理解できないでしょうが、書いた当人も知りませんから説明もできません。
①には『文字』、②にはプラス『日本語』というリアル要素だけを入れ、他は全部すっぽ抜いて、リアリティ成分10~20(推定)にしてみました。
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『リアリティがない』物語は、理屈の上ではともかく、実在しえないのです。
真実の意味で『リアリティのない物語』なんて、存在しないのです。
だって、ヘタクソな物語読んだら、ヘタクソと思うでしょう?
全体的に描写が足りない。ここの説明が抜けている。読み慣れてて読者レベルの高い人は、具体的な理由がわかります。
その具体的な理由がわからない人だとしても、「なんとなく変」くらいは思うのです。
そう思える時点で、読者はある程度まで、作者の意図と共通認識があり、作品を理解しているのです。
本気で理解できなければ、「全て理解できない」「なにがわからないのかがわからない」で終わりですよ。
このサイト内で、「リアリティがない」と評価されるような作品の多くは、せいぜいリアリティ成分79~50くらいなのです。
読者が問題点を理解することができ、感想欄の『気になる点』で指摘や改善案がズラズラ並ぶのは、せいぜいこのレベルなのですよ。
だから「リアリティがなくてもいい」となどという言葉は、自分は危険と思います。
だって、底ではないのに、底という印象を与えるから。
実際にその作品を読んで「読めるじゃん。これくらいのリアリティのなさなら問題ないじゃん」と思って擁護する。
まだまだ下があるのに、安直に作者に大丈夫と誤解させる。
それで作者が底なし沼に沈むことになっても、誰も責任なんて取ってくれないでしょう。