3箱の中の猫
夕方、陽の差さない狭い路地で、はぁ、はぁ、と息を切らす高校生の男女が周りからどんな様子で観えたのか、あたしとしては、目撃者がこの世から消えて無くなる魔法を授けてくれる悪魔がいるのなら、魂は差し出せないが、コーヒーの一杯くらいは付き合ってもいいとさえ、思えた。女子校生とお茶ができるのだから、悪い話ではないと思う。
「来ちゃった」
息を切らせながら、あたしはそういうしかなかった。コンビニに寄るつもりが、それを無視して田中をひっぱり回し、揚句、黒猫を見失ったのである。
「どこだ。どこに行ったんだ、その猫、なんだっけ、何色だっけ」
「えっ」と思い、そして、「あっ」と思った。そうなんだ、田中は観ていないんだ。
「黒い、小さな、猫、黒猫よ」
あたしは息がまだ整わない。田中はまわりをキョロキョロと見まわしながら、深く息を吸って呼吸を整えた。頬を伝わり流れ落ちる汗を丸で気にしないその様子にしばし見惚れてしまう。
「このあたり、猫が隠れられそうなところ、いっぱいあるからなぁ」
田中は本当に、どこを切っても田中だと思った。それがうれしくて、悔しくて、感情がぐしゃぐしゃになって、何をどうしたらいいのわからなくなってしまった。
「猫、猫は、ともかく、あの場所に、写真の場所に」
大丈夫、あたし、大丈夫だから、ちゃんとやれるんだから。
「あの陽が当たっているところだよな。煉瓦の建物の入り口の先」
田中がゆっくりと歩き出す。あたしも田中の後を追う。いつもより、田中の背中が大きく見えた。
「別に何も、変わったところはないぜ。そうだ、カズ子。スマフォ貸してよ」
鞄からスマフォを取り出す、画面を見るとメール着信通知が来ている。優子からだった。
「ちょっと待って、優子からメール来てる」
"フラれちゃった。今日は失恋休暇です。明日からは元気に登校します"
「マネージャーはなんて?」
田中がメールを観ようとしたので、慌ててページを閉じる。
「なんでもない。ほら、休んだ理由とか、男子に見られたくないことって、女子にはあるじゃん」
どうしようもない馬鹿だと思いながらも、あたしにはそんな言い訳しか思いつかなかった。
「ふーん、女子はいろいろ大変だな。それより、写真、写真、俺、ちょっと気づいた事あるんだ」
田中に言われるままに、問題の女子校生が映っている写真を画面を開いて田中に見せた。
「撮影位置は、うん、だいたい、この辺りか。被写体の位置からは結構離れているんだなぁ」
あたしは猫に好かれるタイプではない。猫は人を見る。猫は自分に危害を加えず、思いっきり甘えさせてくれるような人を、とっさに判断しているとしか思えない行動をとることがある。だからあたしは、猫と距離を取って観察し、そして写真に収めようとしたのだった。
「ちょっと、カメラに切り替えてもらっていいいか?」
あたしは私で、あの時ここで何が起きたのかを推論し、仮説を立て、非現実的な『非科学的を超えた超常現象』が起きてしまった可能性を疑い、そこから導き出される結論を厳重に箱に入れて隠すのに夢中で、田中が何をやとうとしているかについて、まるで注意を払わなかった。
スマフォをカメラに切り替え、田中に渡す。
「カズ子、ちょっと来て」
田中はあたしの肩を抱き、猫がいたあたりに無理やり押しやると、自分は元いた場所に戻り、スマフォを構える。
「そこの陽が当たる手前で、座ってみてよ。煉瓦の建物の入り口、そう、そのあたりに腰かけて、膝を少したてて、そうそう、それで両手で頬杖をついてこっちを観て……、顎を少し引いて、そう、それ」
シャッター音が聞こえた。あたしはなんだかとても怖くなって、その場で呆然とするしかなかった。あたしが思考した仮説を、田中が実証実験で証明しようとしている。
「俺には何が起きたのか、さっぱりわからないけど、これ、カズ子に似ているよ。って言うか、別世界の夏目晶子じゃないかな」
なぜそんなことが言える、なぜ、そんなとんでもないことを、すんなりと、疑いもなく受け入れる、おかしいだろう!
「ありえない」
だって、田中はあの写真を観てこう言ったのだ。
"そこにいないはずの可愛い女子高生が、こっちを向いて座っていたっていうのか? カズ子"って。
あたし、可愛くなんかないもん!
「髪型が違うだけで、こうも印象変わるんだなぁ」
田中は二枚の画像を見比べながら言った。
「でもまぁ、不思議なこともあるもんだな。これで一件落着だ」
ちがう、何も解決なんかしていない。何も証明できていない。
「あたしが、髪を切ったら、そんでこんな短いスカート履いて、物憂げな表情を浮かべたりして、そんなのが可愛いわけ、ないじゃん!」
あたしは立ち上がり、思いっきり抗議をした。あたしは可愛くなんかないと、抗議した。優子のほうがずっと、ずっと可愛いと抗議した。
「優子……、優子の方が、可愛いに決まっているじゃん、なんであんたは……」
次にどんな言葉を言えばいいのか、その答えがわからなかった。これまであたしが学んできた、どんな公式も、定理も、理論も、何一つ、歯が立たなかった。
「好きになるとか、可愛いと思うとか、そういうことに理由が必要だとしたら、それはカズ子が、カズ子だからじゃねぇのかな。俺、馬鹿だからわからないし、うまく言えないけど、カズ子だから、こういう不思議なことも起きるのかなぁって、さっき、コンビニの前で腕を掴まれたとき、気づいたんだ。俺、カズ子のこと――」
ニャー
猫の鳴き声が聞こえた。姿は見えないけれど、あたしにも、田中にも聞こえたらしい。それで、二人でまた猫の姿を探した。だけどとうとう見つけることはできなかった。田中は急に落ち着かないといった感じになり、そういえばコピーをまだとっていないということになり、猫と謎の少女の捜索は打ち切りとなった。
スマフォから、あの女子校生の画像は消えてしまった。
あたしは認めない。
不思議なことなど何もない。
どんな難問にも必ず答えがある。
あたしはいつか、この難問を解いてみせる。
そして、今度箱を開けるのは、あたし……
箱の中の猫は、きっと生きている。
おわり




