『七黒夕姫と落ちこぼれ』
――頑張る。
よく使う言葉だが、詳しい意味はどういう感じなんだろうか?
ふと気になった俺は第二グラウンドからの校舎へと戻る道すがら、スマホでその言葉を調べてみることにした。……のだが、そんな操作を遮るように、画面には緑のメッセージアプリの新着通知が立ち塞がっていた。
『あんたどこ? 測定終わった?』
短い内容なのでアプリの画面を開かなくても確認できる。はい終わってますよ。終わってますけど……とりあえず未読スルーで。
どうせ校舎で待ち構えてるんだろうし、わざわざ返事をする必要もあるまい。出来れば会わずに帰りたいが。
さて、頑張るという言葉の意味だったな……なになに?
――困難にめげないで我慢してやり抜く。
多分今の俺にはこの意味が一番相応しいんだろうな。でもこれって、一体いつまでやり抜けばいいんだ? 心が折れて、周りから嘲笑の的にされても尚頑張るべきなんだろうか。
そうなのかもしれない……。何かを目指して芽が出ない人達は、親族や友人に笑われながらもきっと頑張り続けて、その結果ようやく日の目を見るのだろう。
でもたかだか十六歳の今の俺は、その修羅の道を歩めるような精神力を持ち合わせていない。ましてやその他大勢の俺より優秀な奴らの中で生活を続けなければいけないのだから。
ところで困難にめげないでと言えばこの帰り道に関してもそうだ。いくらシードの影響が出ない為の安全策とはいえ遠すぎるんだよ……。
まだあとニ十分くらいは歩かなきゃいけない。
学園を作る為だけに神が出現させたというこの島は、目的の割にはかなり広い。
地球の規模と比べれば大した大きさじゃ無いんだろうけど、そんな島がシード保持者の存在する国の数だけ創り出されたというのだから驚きだ。さすがは神。どんな神なのか知らないけど。
この島。当然ではあるが、新しく作られた島なので全てが学園の敷地。島に名前は無く、『島』と呼ばれることもあれば、学園と呼ばれることもある。
≪神子学園≫の名称から、『神子島』と呼ばれることもあるが、学園自体が『学園』と呼ばれてばかりなので、神子という名前がついていることを忘れている生徒も多い。
そして約二十平方キロメートルあるというこの島には、ほとんど生物が存在しない。
シード保持者の他には、元からあった海にいた生物。そしてそこから流れ着いた僅かな生物のみ。しかし、自然は存在する。
島には大きな森があり、そこには川も流れている。
道端には野草や花も存在し、その道もある程度舗装されている。
中央辺りには木々の生い茂る山もあれば、岩山もある。展望台なども存在するらしいが、登ったことが無いので見たことは無い。
そしてそんな広く綺麗な大自然の中で学べることに、昔の俺ははしゃぎまくっていた。
しかしそんな島も、今となってはただただ広くて面倒なだけだ。
第二グラウンドは校舎から遠い。具体的には一キロメートル以上離れている。
来たばかりの頃は視界いっぱいに広がる綺麗な景色に退屈もしなかったんだけどな……今じゃ愛用の音楽プレイヤーを使わなければ歩く気になれない。
一時期流行った歩いてモンスターをゲットするゲームでも起動すれば色々捕まえられそうだが、残念ながらこの島にモンスターは出ない。本物もデータも出ない。……現実世界だしな。
代わりにモンスターみたいな保持者は山ほどいるが。
そんなことを考えていると、ポケットの中のスマホが震えた。取り出して確認してみると、そのモンスターからの通知だった。
『終わってるんでしょ?』
はいはい終わってますよ。だからなんだよ……ていうかなんで終わったこと知ってんだよ。
『どこにいんの!?』
そんな勢いで聞かれたら答えたくなくなるな……。
通知と同時に表示されていくメッセージ。さっきと同じ相手で、その目的もわかっているが、再びスルー安定。
連続で送り付けられてくる文章の奥には、少し恐怖を感じてしまう。まだたかだか三つだけど、なんとなく必死な勢いが伝わってきて怖い。
今既読をつけるとメッセージではなく通話機能の着信が来そうなので、そっとスマホをポケットに戻す。でも……これはもう絶対遭遇するな。
だらだらと歩きすぎたのか八曲も聞き終えた頃、ようやく校舎が間近に迫っていた。
五階建てで三つの棟に分けて創られた校舎。
昇降口は中央の棟にあり、同じ棟には中等部三年生と高等部の普通教室がある。
今はまだ四月の初め。新年度が始まったばかりの春の日だ。
授業はまだ始まっておらず、昨日は身長や体重などの一般的な身体測定と、加えてとある理由から行われている戦闘能力測定が行われただけ。
そして今日は、シード能力の成長を確認する為の、≪シード測定≫だった。
俺のシードは確認する数が多いので、二年の中では最後に回されていた。そのせいでもうじき日が暮れる。校舎内にはほとんど生徒はいないだろう。
いや……いるか。さっきメッセージを飛ばしてきた奴が待ち構えているかもしれない。
後の予定が何も無いのであればそのまま学生寮へと帰ってもよさそうなものだが、残念ながらそうもいかない。音楽プレイヤー以外の荷物が全て教室に置きっぱなしだからだ。
手ぶらで行こうとしたのが仇となったか。くそぅ……。
昇降口に入って上履きに履き替えていると、イヤホンから流れる音楽を越えて鼓膜に届く歓声が聞こえてきた。
まだ残っている物好きが結構いたらしい。
何事かと思い歓声のした方へ近づくと軽い人だかりがあった。どうやら掲示板を見ているらしい。
昇降口には普通の学校の多くと同様に、掲示板がある。
掲示されているものは新聞記事の切り抜きや、いじめ防止を呼び掛けるポスター等があるが、新聞部が取材した校内のニュース記事なども時々存在する。大抵こういう人だかりはそれが原因だ。
後ろから覗き込むと、予想通り取れたてほやほや新着ニュースだった。
太字でデカデカと書かれていたのは『白雪薊、ついにダブルAランク達成! 史上初の快挙!』。
「白雪……やっぱ綺麗だよなぁ……」
「すげぇよなぁ。さすが≪鋼の女王≫」
「いいなぁー、憧れるぅー。ウチもこんな風になれるかなぁ?」
「あんたには無理でしょ……。まず顔が絶望的」
ちょっとだけイヤホンを外してみると、数人の男女の会話が聞こえてくる。同学年で見たことがあるのもいれば、一年生っぽいのもいる。これはあれか。ファンか何かってことか。
元々二年の中では知らない生徒がいない優等生。今回で全校生徒の有名人になるだろう。
なんにしても優等生の話など、今は聞きたくない。イヤホン装着。ついでに音量アップ。おかえり、俺だけの世界。
それにしても女王様ねぇ……ま、俺が関わる事はあり得ない存在だろう。
俺の場合それよりも気になったのは、隣に貼りだされていたもう一つの新着ニュースだった。
優秀な生徒と共に、逆に悲惨だからこそ密かに注目される生徒の測定結果が勝手に晒されていた。
『器用貧乏、今回も成長見られずE。※なお、戦闘ランクはギリギリCに食い込んだ模様』
他にも何人かの結果が書かれていたが、俺はこの一文が最も気になった。
それは何を隠そう器用貧乏というのが、この愛すべき落ちこぼれである俺のことだからだ。……自分で愛すべきとか言っちゃうのはちょっと痛いな。
掲示板に集まる生徒は白雪の記事に夢中なので、誰も俺なんかに興味を持ったりはしない。人だかりの後ろで小さく溜息をつく。
質が悪いのは、俺が最も劣っているというわけでも無い所だ。下には下がいるし、上には上がいる。ただただ中途半端な落ちこぼれ。最下位ならそれはそれで何かあっただろうに。
ちなみにシードのランクは学園での順位などでは無い。単純に、個人のシードがどこまで成長しているかという基準として設けられているだけだ。その理由についてはよく知らん。
ていうか俺の測定が終わったのってついさっきだぞ? どっから見てたんだよ。それともあれか? 木枯先生がリークしたのか?
ただでさえ若干憂鬱だったんだから、追い打ちをかけるのはやめていただきたい。
さっさと鞄を取りに戻って帰ろうと思ったその時、隣から鋭い視線を感じた。いや……感じたというよりも思いっきり視界にその顔が入っている。
いらっしゃったか……覚悟はしてたけど、今日は遭遇したくなかった。
諦めて顔を横に向ければ、俺を睨みつける鋭い眼光。
そんなに睨むなっって。眉間に皺増えるぞ。綺麗な顔が台無しだ。
顔を見ていると口が動いた。が、声は全く聞こえてこない。随分早く動く相手の唇に思わず目が吸い寄せられそうになりつつも、この不思議な現象を先に処理しようと思い直す。
なんでこいつは腹話術なんかやってんだ? もしかして声が遅れて聞こえてくる仕様なの?
あ、ただでさえ機嫌悪そうだったのに更に怒り始めた。……あぁ、そうか。イヤホン外さないとそりゃ聞こえてこないわな。
「――とか言いなさいよ!」
音楽が流れ続けていたイヤホンを外すとようやく声が聞こえた。
怒っている様子だったが、声量はかなり控え目だったらしい。目立ちたくは無いのだろう。
「悪い。もっかい言ってくれる?」
「――ッ!!」
おぉぅ……怒ってる怒ってる。歯を食いしばりながら必死に堪えていらっしゃる。
いや、悪かったってホントに。それに関しては本当に申し訳なかったと思っているのでもう一度ちゃんと謝っておこう。
「ホントすいませんでした七黒さん。もう一回言ってもらえますか?」
俺の言葉にさらに何か言いそうな雰囲気だったが、やがて力を抜いて溜息をついた。
「その言い方だと余計腹立つわね。ていうかあんた、なんで返事しないわけ!? ホントは読んでんでしょ!?」
「え? 返事? あー、メッセ来てたのか。悪い。で? なんか用か?」
緑のアプリの件だというのに、顔が少し赤くなるほどむきになって喧々言われた。それに対してすっとぼけて見せると、また溜息をつかれる。
一応気付いていなかったていを取ったが、俺の芝居などお見通しなのだろう。
「アタシが聞いたのは、なんでアタシはD止まりなのに、……アンタの戦闘ランクがCなのかって聞いてんのよ」
「いや、書いてあんだろ? ギリギリCだ。おまけしてもらっただけだから」
「……なんかズルしたんじゃないの?」
失礼な。大体どうやってズルすんだよ。ほとんど体一つで勝ち取った結果だぞ……。
というか七黒よ。戦闘ランクで張り合うってことは、お前も結局シードはEランクだったんだな。
俺と同じ落ちこぼれに分類される同級生。
七黒夕姫。
身長は俺より十センチ低い165cmらしい。女子にしては高めの身長だ。
モデルの様なスタイルに、綺麗な肌と整った容姿。二ーソックスを履いているせいか、絶対領域だったっけ? 脚に色気を感じる。胸のサイズは……服の上からじゃわからんが、可もなく不可もなくというところか。
つり目が少し性格のキツさを表しているが、美少女だ。きっぱり言い切っちゃうくらいには美少女。
その容姿に対して、髪型は腰まで届きそうな長い黒髪のツインテール。
これのせいなのか、どこか幼さも感じられる。きつい目がそれを台無しにしている気がしなくもないけど。
それにしてもこの髪、解いたらかなり長いんだろうなぁ。
何故身長を知っているのかというと、それはこいつが自分から教えてきたからだ。
俺と同じ二年C組で、俺のことを異常にライバル視している。まぁ、その気持ちはわからなくもない。
何故なら――俺と七黒は被っているからだ。
この学園では中等部の席順と、高等部の年度初めの席順は五十音順になる。
俺は十色の『と』。そして七黒の『な』。
この学園の中等部に転入した日、俺は七黒の前の席になった。
当時の俺は全てにおいて積極的で、夢と希望に満ち溢れていた。そして七黒の前の席になった俺は、せっかくなので話しかけてみることにしたのだ。
この頃から目付きはきつめで、話しかけにくいオーラが漂っていた。それでも勇気を振り絞った。
理由はいたって単純――好みのタイプだったからだ。
『俺、十色叶芽。お近づきのしるしに――』
皆の前で自己紹介は済ませていたが、改めて名前を名乗った。
そして当時ハマっていた、手品のような木属性で花を差し出したのだ。今から思えば、よくもまぁそんな恥ずかしい事が出来たもんだ。
『――七黒夕姫。これ……向日葵? ……花の部分しか無いけど』
盛大に失敗していた……。
今も同じだが、出せる花の大きさに限界がある。それなのに向日葵なんて大きいものを選んだせいで、茎も葉も無い、掌の上に花の部分だけが乗っかっていた。
花のプレゼントこそ失敗したものの、七黒との初めての会話は意外にも弾んだ。
そしてそこでわかったのは、俺と七黒には多くの共通点があることだった。
まずお互い苗字に漢数字が入っている事。そして、漢数字に対してシードの種類が足りていない事。
十色という名前に対して九つの属性しか持たない俺。対して七黒は名前に対して五つの属性を持っていた。
正確には一つ足りない俺と二つ足りない七黒では違いがあったが、属性を使うという共通点もあって俺達は盛り上がった。
七黒のシードは【五芒星の札】。
ちなみに七黒も今となってはこのシード名を後悔しているらしい。
長方形の紙を出現させ、その紙に属性を宿す能力。
本人が≪札≫と呼んでいる紙の色は青、赤、黄、白、黒の五色で、それぞれ違う属性が使える。
そしてそのシードの力は、俺と同じく微々たるものだった。
千円札よりも小さなその札が燃えたり、水に変わったりという地味なシード。
しかも一度札を出現させてから変えるという二度手間だ。
シードの他にも細かい共通点。血液型だとか好きな漫画、若干無理矢理にも思える共通点を挙げては会話を続け、俺と七黒はその日の内に意気投合した。
当時の俺はこう思っていた。『七黒が運命のヒロインなのかもしれない!』と。……色々ひっくるめてぶん殴ってやりたい。あの頃の俺。
とにかく、そこまでならいい関係が気づけそうだったのだが――。
今の七黒を見て思う。
「なんでこうなっちゃったかなぁ……」
「はっ? 何がよ?」
睨み付ける様な視線のままで問いかけてくる七黒。その様子に溜息が漏れる。
いつからか七黒は俺のことをライバル視するようになり、そして事あるごとに絡んでくるようになったのだ。
それだけなら良かったし、俺もどちらかといえば競う相手がいることに喜んでいた。
しかし、俺達はお互いに落ちこぼれ。
そんな二人がつるんでいた結果、俺達はセットの落ちこぼれとして扱われることが増えた。
競い合いつつもちゃんと友人であったはずの関係は、徐々に悪化していった。
「ねぇ!? 何が『こうなっちゃったかなぁ』なのよっ!!」
七黒の声量が大きくなってきた。睨む目付きもよりきつくなってきている。そんなに睨んで、疲れないか? 力抜こうぜ……。ていうかお前、あの頃はそんな喋り方じゃ無かったよな?
突然聞こえてきたのはくすくすと笑う小さな声。……まずい。
七黒の声が大きくなるにつれて、掲示板に集まっていた内の何人かが俺達を見て笑っている。続けて、声を潜めて何かを話している様子。
これ以上こいつに付き合ってるとろくなことにならなそうだ。
「なんでもねぇよ。俺、鞄取りに行かなきゃいけねぇから。んじゃな」
俺は溜息交じりに答えると、早足になりながらその場を去った。
「あっ――ちょっとっ――!!」
まだ何か言い足りなかったらしい七黒の声が聞こえたが、振り返らずに歩き続けた。追いかけてくるほどのことでは無かったらしく、一人になった俺が階段を上り始める頃には、辺りは静寂に包まれていく。
笑い声と内緒話は俺達を冷やかしているわけではない。……馬鹿にしていたのだ。
俺と七黒に対して向けられていた嘲笑。声を抑えながら密かに何かを話し、こちらを見ては微かに笑う動作。……何度経験しても慣れることなんて無い。
それなりに仲のいい奴なら、しっかりネタにして笑い飛ばしてくれるから気も楽だ。しかし、そうじゃない相手の場合には自分の立場を思い知らされる。
二年の教室がある四階へと辿り着けば、人の気配は全く無い。廊下を進み、自分のクラスである二年C組の扉を開く。
夕日に照らされた教室にはもう誰もいない教室の中には、机の上に置きっぱなしになっている俺の鞄だけが残っていた。。
そのポツンと残された鞄を見ると、まるで俺だけがこの島に置いていかれたような感覚に陥る。
窓の外には広大な島の風景。その先へと視線を向ければ、不気味に感じる程穏やかな海が水平線へと続いている。
果てしなく続くその先には、いつか何かがあるのだろうか。
俺が憧れていた主人公。現実離れした現実。
しかし訪れた新しい現実は、結局のところ恐ろしいほど現実的だった。
俺がこの学園に転入してから約一年と五ヶ月。
中等部での五ヶ月、高等部での一年間を過ごし、二年生へと進級した春の初め。
シード能力は最低のEランク。最弱にすらなれないただの落ちこぼれ。
――物語はまだ、始まってすらいない。