マスターとお客さまの適切な関係について話そう
「マスター、今日はやけに静かじゃないか」
「そう、たまにはこんな日があっても良いんじゃないかしら」
「騒ぎすぎるのは苦手だけど、こうも静かだと逆に萎縮してしまうよ」
「意外ね、そこまで神経質だったなんて」
「神経質というよりも心配性なのかな。いつもと違う事があると自分せいだと思ってしまう」
「あらなに?それじゃあ今は私の顔色を伺ってるってわけかしら?」
「率直に言うとそうだよ。何か怒らせるような事をしたんじゃないかと冷や冷やしてる」
「心配しなくても、そんな事は無いわ。ただそうね」
「何か思い当たる節でも?」
「私が少し甘えすぎたのかもしれないなって思って」
「マスター、僕には言ってることが理解できないんだけど」
「接客業を営む者がお客さまに安らぎを感じてしまってるってことよ」
「マスターが僕に安らぎを?俄かには信じがたいな」
「ええ、私も今気付いたところですもの」
「それが本当だとしたら光栄な限りだ」
「静寂っていうのはね、相手の事を無視したい訳じゃなくて、話さなくても大丈夫だっていう安心感なのかなって思ったの」
「気心が知れた相手だからこそ、無言でも間が持つって解釈なのかな」
「付け加えれば、それでいて其処に居てくれる事に感謝してるってこと」
「まるで熟年の夫婦みたいな会話だね」
「大して違いは無いのかもしれないわよ。晩年にゆっくりと喫茶店で過ごす午後のひととき。素敵だと思わない?」
「時の流れに逆らわず、ただ二人で嗜好を楽しむ。まさに贅沢の限りだね」
「そうでしょう。だから少し言い出しにくかったのよ」
「大丈夫、僕は勘違いなんてしないよ」
「それは私への当てつけかしら?失礼な人ね」
「そのひねくれた回答もマスター独特のものだよ」
「しょうがないじゃない、こればっかりは治りそうもないわ」
「それもマスターのひとつの魅力だよ。美味しい珈琲だけじゃ常連にはならなかった」
「歯の浮くようなセリフね。でも悪い気はしないわ」
「この店に来て僕がたくさんの幸せを貰ったのは事実だよ。それが他の客と質が違ってもね」
「気付いていたの?嫌な人ね」
「ああ、マスターが新参のお客にはとびっきりの愛想と珈琲を振舞ってる事ぐらいは気付いていたさ」
「・・・・・」
「それは妥当だよ。一捕まえた客よりも、新しい客を引き入れるのに躍起になるのは接客業としては当然の事だ」
「やっぱりあなたは怒りもしないのね」
「怒る理由なんてないさ、さっきも言ったけど、それは当たり前の事だよ」
「そう」
「ああ、それがマスターとお客様の適切な付き合い方だと僕は思ってるよ」