過去と今ともしもについて話をしよう
「あの頃に戻りたい……貴方、そう思った事はないかしら」
「別段、珍しいことじゃない。誰にだってやり直したい過去の一つや二つは……」
「そうじゃないの。私が言いたいのは、過去の自分に今の自分がなりたいかって話なのよ」
「それは……また難しい質問だね」
「大人になったからこそ出来る様になった事は多いわ。でも……」
「大人だからこそ、躊躇してしまう事象が存在してしまう」
「そう、例えば、子供の頃なら飛び込めた川も、今ではとてもじゃないけど飛び込めない」
「子供の頃なら変えた駄菓子も、今では一つじゃ買いにくい」
「知識や経験っていうのは大切よ。でも、知らない方が良かったって事も多いと思うの」
「今や僕達にとって『見栄』はつきものだからね。外聞も考慮しないといけない」
「それならいっその事、あの頃に戻れたらって……考えてしまうのよ」
「うん。その気持ちは分からなくもない。けど、僕はそれを全面的に否定させて貰う」
「……何でよ」
「要は天秤の問題なんだよ。大人になって失くしたものがあれば、大人になって得たものもある」
「それを言いだしたらキリがないわ。だって、大人の方が圧倒的に知識も経験もあるんですもの」
「そうだろ? だから、天秤の針がどちらに傾くかなんて事は考えるまでもない」
「嫌な考え方だわ。浪曼の欠片もないじゃない」
「夢見るのは大人も同じ。ただ、それが具体的になっただけで、僕等の夢は重くなる」
「行動に制限をかけるのは自分。でも、その枷を外してしまえば、大人は大人じゃなくなってしまう」
「悲しい話だけれど、それが今ある現実だ」
「……ねえ、そう言う割には、どうしてそんなに笑っているのかしら」
「いや、他意はないよ。マスターのお転婆盛りを想像してたら、つい……ね」
「馬鹿ね、子供なんてそんなものよ。……貴方の方こそ、今とは違って、素直で真面目な人間だったのかしら」
「何だい? その悲しいものを見る様な視線は」
「ええ、想像するだけで泣けてくるわね。どうしてここまで、ひねくれてしまったのかしら……」
「……なら、マスター。その子供時代の僕が、そのままこの店の客として現れたらどうする?」
「決まってるじゃない。珈琲一杯を餌に、みっちりと今までの話を聞かせてあげるわ。……それこそ、終わるまでは何回だって来てもらうんですからね」




