大切な言葉と忘れられない思い出について話をしよう
「記憶っていうのは曖昧なものだね」
「それはそうよ。逐一全部覚えてなんていられませんもの」
「無意識に不必要なものを選別し、無意識のうちに、それを忘却の彼方へと葬り去る」
「あら、意外と詩的な発言をするじゃない」
「ありがとう。気に入ってもらえて何よりだ」
「でも、それって悲しいことだとは思わない? 全部が全部無意識なんだもの。私にだって選ぶ権利はあると思うの」
「マスターは無意識を他人と見なすのかい?」
「だって、それって私じゃない私が決めたってことでしょう? そんな人、私だと認めるわけにはいかないわよ」
「可能なら辞書でも引いて欲しいところだけど……」
「嫌よ。そんなの、何だか詐欺みたいじゃない。誰かの索引を真に受けるなんてまっぴらゴメンだわ」
「独自思想に独自理論。マスターは典型的な厄介さんだ」
「私のことはどうだって良いのよ。それに、それを言いだしたら貴方の方がよっぽど奇人変人じゃない」
「ある程度近しい人間の評価なんて、得てしてそういうものだと思うよ。そう考えれば、奇人変人扱いも悪くはないね」
「貴方。残念ながら本物の奇人変人みたいね」
「何だい? そんな呆れた様な顔をして」
「もういいわ。話を戻しましょう。それで、何の話だったかしら?」
「その前に、まずはお替りをお願いしたいな。挽きたてを、濃いめでお願いするよ」
「あら、もう飲んでしまったの? まあいいわ。ちょっと待ちなさいな」
「流石はマスター。今の注文で、よくオーダーを通せたものだ」
「? 何を言っているのかしら?」
「記憶っていうのは不自由なものだね。それでも、どうしても忘れられない思い出というのも、確かにそこには存在する」
「いよいよ不明瞭なことを口にしだしたわね。いったいどうしたっていうのよ」
「マスターは覚えているかな? 僕がこの店に初めて来た時のことだ」
「あのねぇ。言っておきますけれど、これでもお客様は多い方なのよ。いちいちそんなこと……」
「暖かい飲み物を。それと、甘めのケーキをひとつお願いします」
「……お客様、そちらにメニューがありますので、どうぞそちらからお選びくださいませ」
「光栄だね」
「黙りなさい。ほら、新しいのが入ったわよ」




