箱庭の少女パート5
『どうだ?侵入者は居ないのだな?』
南側を完全武装で巡回している兵士が耳にしている無線機から、少将の声が訊いてくる。
「はっ!まだ視認出来ていません」
『警戒は怠るなよ』
そう無線機の向こうから声がすると、聞こえなくなった。
兵士は寒いのか、一瞬身震いをする。
と。
後ろから、兵士は誰かに口を押さえられて、その場に押し倒された。
「ここの兵士は気配すら、察知出来ないのか」
そう冷たい声が聞こえた。その次の瞬間、首を刃物か何かで切り裂かれた。
赤い夥しい量の血液が地面濡らし、兵士は出血多量でショック死する。一度、ビクンと痙攣させると、首を裂かれた兵士は動かなくなった。
その様子を眺めていた黒いコートの少年の顔には、赤い血がベットリと塗られていて、片手に握られている一振りのダガーナイフは銀色の光沢を闇に浮かび上がらせている。
まず、少年は今殺した死体の銃器を奪い取って、その場から研究施設に向けて、走っていく。
コンテナのような四角い資材で身を隠しながら、すこしずつ小走りで近づいていく。その時――。
大きなブザーのような音が基地内に響き渡った。
どうやら、最初に殺した兵士の死体が発見されたようだ。
物陰に隠れていた少年は、軽く舌打ちをすると、30メートル付近まで距離を縮めた研究施設の入り口に向かって、全力で疾走した。
もう、悠長にやって居られなくなった。少年はそう思いながら、暗い階段を駆け下りていく。
人魂のように呆、と光っているライトに目も暮れず、少年は重たい突撃ライフルを両手に構えながら、駆け下りる。
下の通路が見えた。少年は階段がそろそろ終わる事を視認して、階段を降りて、明るい一本道の通路に出た。
その時、突撃ライフルを無造作に振り回した。
薙いだライフルの銃身を軽いステップで後ろに避ける黒人の姿。少年は突撃ライフルを側に投げ捨てて、服の袖に隠していたダガーナイフを、黒人の胸部目掛けて振りぬいた。
閃光のようなダガーナイフを、黒人は肩に担いでいたアサルトライフルで防いでみせる。
ギリギリ、とダガーナイフとアサルトライフルが接地している箇所から鈍く聞こえる鍔迫り合いの音。無機質な殺意を秘めた表情の少年と愉快そうに口元を歪ませている黒人。
「お前が侵入者か?お仲間さんは居るのかい?」
軽いふざけたような口調で黒人は言った。少年は奥歯をかみ締めると、ダガーナイフでアサルトライフルを弾き飛ばした。
クルクルと回転しながら、通路を滑るように転がるアサルトライフルに、黒人は目も暮れずに迷彩服の腰の方から、ギザギザのダガーナイフを片手に握って、横に薙いだ。
ガキン、と刃物と刃物が衝突する音が通路に響く。ダガーナイフの斬撃に格闘術を硬軟に織り交ぜながら、互角の勝負を演じる。
一歩前に踏み込んでは、一歩後ろに後退する。ダガーナイフの刀身からは、刃を交える度に線香花火のような花火が弾ける。
「いいねぇ!最高だよ。東洋人にしては力もあり、スピードも度胸もある!」
悦びの声で、黒人は言う。少年はすこし黒い瞳を細めて、
「見たところ、北朝鮮兵士ではないな」
こちらは冷めた声で言う。
二人の格闘は、まるでダンスでも踊ってるように軽やかだ。黒人は実に愉快そうに笑いながら、
「東洋人よ!お前はここの施設を破壊しに来たのか!?」
「そうだったら、何だ?」
ガキン、とダガーナイフとダガーナイフが再び激突して、鍔迫り合いになる。
黒人は唐突に表情から笑いを消して、
「そうか。なら、ここは『共同戦線』でもしないかい?ここの施設はどうも気に食わない」
短く言う。少年はすこし眉根を動かすと同時に、黒人はダガーナイフを少年の後方の通路に投擲する。
直線距離を狂いもなく空間を切り裂いていくダガーナイフは、程なくして後ろまで迫っていた北朝鮮兵士一人の心臓に突き刺さった。
兵士は痙攣しながら、通路の床に倒れる。少年はその場に落としていた突撃ライフルを拾い上げると、
「黒人、仲間じゃなかったのか?」
「俺は傭兵でね。気が向いた方に味方する方が、楽しいだろ?それに、俺は黒人じゃなく、ハインドだ。お前の名前は?」
ハインドと名乗った黒人も、アサルトライフルを肩に担ぎなおしながら、少年の名前を訊いた。
「ユウ……ユウ・アサムラだ」
漢字に直せば、『浅村・勇』である。ハインドはすこし納得するように唸る。
「俺はこの研究施設を破壊するまで付き合うぜ。早く先に進んだ方がいいかもな。どうやら、東洋人の女の実験が、そろそろ行われるらしいからな」
ハインドがそう深刻そうに言うと、ユウと名乗った少年と並走しながら、通路の奥に走り進んでいく。
ボンヤリと見える照明は、ただ眩しかった。
手術台に腕や足を固定されていて、身動きが全く取れない。衣服は着服してない。さっきまで、性的暴力を受けていた。
凌辱されていた。全身に痺れたような感覚がする。少女の晒された裸体の横には、ステンレス台に無数に置かれている注射器がある。
酷く、気分が悪い。呼吸が上手く出来ない。少女の思考には、『死にたい』の一言だけだった。
ドアの前に居る白衣を着た科学者数名は何かを話している。
もちろん、少女には科学者の声は聞こえない。
碧眼は焦点が合っていないのか、虚ろな瞳。呼吸する度に上下に小さく動く胸部の肌の色は白かった。
科学者の一人が、碧眼の少女の横に立つと、注射器を手に取る。
「今から打つのは、ちょっとした劇薬でね。激しい痛みを伴うが、あれだけ犯されれば、快感に思うかな?」
その科学者の言葉は、少女には聞こえていない。
少女は碧眼から涙を流す事で、答える。
注射針が、皮膚に触れた瞬間、
ガキャ、とドアが蹴り飛ばされる。
ドアの向こう側から、数発の銃声と銃弾が聞こえた。そして、科学者の男は頭に風穴を開けて、その場に倒れた。息絶えた。
銃声が鳴り止むと、ドアの向こう側から、黒い髪の少年、ユウが入って来て、両手に抱えていた突撃ライフルで、少女の体を固定していた金具を撃って、破壊する。
ユウは少女の顔に視線を向けると、着ていた黒いコートを少女に被せて、そのまま肩に担いだ。
「おい、早く逃げるぞ!?これ以上はさすがに不味いからな!」
ハインドの怒鳴りに似た大きな声が聞こえると、ユウは突撃ライフルをその場に放り捨てて、ズボンのポケットの中から、ハンドガンを取り出すと、全力で出口まで走る。
走る度に少女の体は揺れる。前方の通路からは来る北朝鮮兵を手に握っているハンドガンで撃ち殺しながら、やっとの事で出口に到達する。
出口の付近はすでに北朝鮮兵や武装装甲車などに囲まれており、逃げる事は皆無か無謀に近かった。ハインドはやや気まずそうに、
「俺は逃げれる自信があるが、ユウはそんな少女を抱きかかえながら逃げれるのか?」
心配しているのか?ユウはやる気のなさそうに辺りを見渡して、
「逃げれるだろうな」
ユウはそう素っ気無く言って、ハンドガンをポケットに入れて、黒い手袋をつけた片手で片耳を押さえた。
「サテライト・シグナル言語『虹』」
短くそう呟いた。すると、上空から、虹色の閃光のような光が、密集している北朝鮮兵のど真ん中に突き刺さって、爆発した。
ハインドは呆気に取られながら、
「何だ?今の光は?」
「戦闘機の兵装」
ポツリとユウは答えた。
それから約2秒後、上空から黒い戦闘機が、出口のすぐ正面に着陸した。キャノピーは勝手に開く。
ユウはハインドに目を暮れずに、黒い戦闘機に駆け寄って、コックピットに乗り込んだ。
キャノピーを閉じて、ジュネレーターをすべて起動させる。黒いコートを被せた少女は片手で抱きながら、高速で離陸した。
急速に遠ざかる黒い戦闘機<ブラックゴースト>を見上げていたハインドは、
「なるほど、それほど馬鹿な奴じゃなかったようだな。俺も逃げないと不味いね〜」
愉快そうな含み笑いを浮かべながら、基地内のどこかに走っていく。
12月26日 23時39分(北朝鮮標準時)
<<北朝鮮ピョンヤン上空 高度1000メートル>>
「すこし痛いが、我慢しろ」
ユウはそう短く言うと、虚ろな碧眼の東洋人の少女の細い首に、手に持っている注射器を刺して、何かの液体を注入する。
少女は無機質な無表情で、
「な、にを……う、っ、た、?」
途中で何度も途切れた線の細い声で訊いた。
「研究施設にあった。劇薬を打ち消す効果のある精神安定剤。国籍は……日本人か?」
ユウの質問に、少女はすこし小首を頷かせて答える。
すこしだけ。
少女の碧眼に生気のようなモノが映った。少女は小声で短く、
「名前……教えて」
「ユウ・アサムラ。お前は?」
「忘れた……」
黒いコートを白く細い手で、すこし強く握り締める少女。すこし震えている少女を見ていたユウは、キャノピーに映る空を見上げながら、
「古い誰かさんに、ユウナって名前の奴が居たな」
昔の事を思い出す。白黒の集合写真に写る空軍日本兵の中に、一人だけ女性が居る。
ユウナは漢字で書くと、『優菜』と書く。
少女は大人びた顔をすこしだけ上げて、
「……ユウナ?」
「それ、やるよ。名前がないよりはマシだから」
ユウがすこし優しい口調でそう言うと、ユウナと名前をあげた少女は、ユウの黒い半そでのシャツを片手で握り締めて、
「……うん」
と、短く言うと瞼を閉じる。
スースーと寝息を立てているユウナの死んでいるような安らかな寝顔をすこし眺めて、世界一平和で恵まれた国の日本にブラックゴーストを飛ばした。