実家も国も私を捨てましたが、実は私を愛さないとこの国、滅びるんですよ? 絶望する皆様を特等席で眺めながら、私は冷徹な王子の腕の中で思考停止《とろ》けています。
三女だった私は、持参金が出せないという理由で家族と国に捨てられました。
期待など最初からしていませんでしたから、私は別にいいんです。
——ただ一つ、問題があるとすれば。
私がこの国の「加護」そのものだったということです。
私を拾った王子と、外壁から街の外に出ると結界は崩壊しました。
◆◆
「平民でも何でもいいから嫁げ」
お父様はそういって持参金にでもしろと金貨の入った袋を私に投げ渡す。
十枚も入っていない持参金で嫁げるのはお父様のいう通り平民くらいでしょう。
「ごめんなさい、三女。私がこの国の王子様に嫁ぐから持参金を使ってしまって……」
この国の王子様は珍しく私にも優しくしてくれる人だから、持参金が金貨百枚以上でもいいと思います。
「おかしなあなたにはこの辺の貴族は近寄らないから、持参金が金貨十枚でも多すぎるくらいよね」
ただ、次女はあまり悪いと思っていない様子です。
公爵家に嫁いでいる長女も同じく金貨百枚は持たされていました。
結婚など考えていないから、仕事をくださいと国に直談判してみたものの、伯爵令嬢にさせられる仕事はないと断られました。
この国に私の居場所はないようです。
◆◆
屋敷から出た日に、私は持参金代わりに投げ渡された金貨を、裏路地の石畳に落としてしまいました。
乾いた音が響いた瞬間に、既に王国の崩壊が始まっていることに気づきました。
王国を覆っている私にしか見えない守護の結界が薄くなって、石畳に波のように揺れる不気味な影を落としています。
私は金貨のことを一瞬忘れて、呆然と空を見上げます。
私の黒い長髪が風に靡いて、金貨のことを思い出します。
金貨は盗まれてもおかしくなかったのに、旅の青年が拾ってくれていました。
「拾えたのは六枚だけだな。残りは数人が拾って持って行った。すまない」
拾ってくれた青年が謝ってくれます。
冷たい瞳をしているのに見かけによらずに親切な人でした。
「あなたのせいじゃないわ。十枚以下の持参金なら六枚も九枚も変わらないから、別に盗まれてもいいわよ」
青年の氷のように愛想のなかった瞳が獲物を見つけた時のように鋭く光りました。
「持参金? それはちょうど良かった。俺がおまえを貰おう」
そういって私を抱いて離しません。
「会いたかった。やっと、おまえを奪える」
彼は最初から、私を盗むつもりだったらしいです。
まあ、別に相手がいたわけではないので、いいんですけどね。
「あなたは旅をしているんでしょう? 私はどうすればいいの? 一緒に旅するのも面白そうだけど」
「ああ、旅か。旅は終わった。おまえを得るための旅だったからな。帰ろう、隣の国の王宮がおまえを待っている」
王宮? ということは、彼は隣国の王子だったの?
隣国の冷徹な王子が何か大事なものを探して旅をしているって話は、噂では聞いていたけど……。
◆◆
私はそのまま王子に連れられて、街を囲む外壁の門へと向かう。
こんな簡単に私が国を離れることになってしまうと、崩壊がどれほどのスピードで進むのか……。
そう思って歩いていると声をかけられました。
「三女じゃないの。すごいわ、もうお相手を見つけたのね」
長女と次女が連れ立って歩いていました。
次女の結婚式の装飾や嫁入り道具を探しているようです。
次女は『すごいわ』といった割に、王子の旅の装束を値踏みすると見下したように薄く笑います。
「お似合いよ、落ち着いたら手紙をくださいね」
長女に頷いて、
「私と王子様の結婚式には是非、二人で出席してね」
次女の言葉に、私はほほ笑んでお礼をいいました。
この国と運命を共にする二人とは、これが最後の邂逅かもしれません。
二人と別れた後に王子の繋がれた手が心なしか強くなった気がします。
「良い姉さんたちだな。おまえの心をこの国に残さず、全て俺のものにできる」
冷たい声だけど、王子には私の悔しさも悲しみも全部わかっているようです。
「私はもう王子のものですよ」
そういった私から流れた一筋の涙は冷徹な王子の優しさへの感謝の涙、そう思うことにします。
——私と別れた直後の姉たち。
「全くみすぼらしい格好の男だったわね。私の王子様とは雲泥の差ね」
「あのひいおばあさまのお気に入りだった、ズレた三女にはお似合いね」
そこに次女の婚約者の王子様がやってきます。
「次女、三女が家を追い出されたというのは本当か!?」
「追い出されたのではなく、結婚してこの国を出ていくだけよ。さっき旦那さまにお会いしたのよね、お姉様」
意地悪く笑いながら次女がいうと、長女も馬鹿にしたようにいいます。
「とても素敵な方で、心配はいりませんわよ」
王子様は愕然とした。
「なんてことだ……! 聖女様がこの国を出ていかれる……!」
◆◆
魔法で完璧にコントロールされた外壁の扉が開きます。
私は冷徹な王子に連れられて外壁の門から街を出ました。
私だけが知っている、王都を覆う結界の膜に、私が通った瞬間に亀裂が入りました。
——ああ、全てが終わる合図だ。
結界の亀裂から、王都を満たしていた魔力が少しずつ空に漏れていきます。
完全に結界が崩れるのも時間の問題です。
これで、外壁の門など魔力で動いていた道具は徐々に止まり始めます。
きっと手動での動かし方は忘れてしまっているでしょう。
魔物を寄せ付けない守護の結界でもあったから、周辺にはすぐに強力な魔物が集まってきて、都市間の移動が大変になります。
「……急ぎましょうか、王子」
私がいうと王子は冷たく微笑んだ。
「国が滅ぶのに戻るつもりがないのか」
「もちろんです。捨てられた国になど未練はありません。王子も私を今さらでも捨てるなら恨みませんから、お好きなように。ただ、この滅ぶ国から離れるまでは連れて行って欲しいですね」
「俺も、たとえ国が滅んでもおまえを手放す気はない。国を守護する女神だからな」
私は王子に肩を強く抱かれました。
——二人が通った後の外壁の門。
「そんな! 魔力が足りない!」
城門を守る魔道士が叫ぶ。
「たまにはそういうこともあるんじゃないのか?」
魔力について何も知らない衛兵がいう。
「……ああ、そうだな。たまにはあることだ。すぐに戻るだろう……」
王都に充満した豊富な魔力で、この国は守られている。
まさか、魔力が戻らないことなどあるはずがない。
嫌な予感は、ただの気のせいだ……。
◆◆
「……戻るつもりはないけれど、少しだけ後悔しているんです、私」
休憩のために座った草むらで、私は王子の腕の中にいました。
王子はどこか冷たいのに、私を包む腕は熱くて力強くて、逃げられないと思います。
「結界が消えたのにいつか元に戻ると考えて適切な防衛を怠ると、あっという間に城壁内に魔物が集まるって教えてあげれば良かった……」
まあ、引き止められたら嫌だから、教える気はさらさらないのですけど。
「聖女!」
誰かを探して国から人が出てきました。
「あ、王子様!」
次女の婚約者の王子様です。
私が立ち上がろうとすると、私の王子が、手を引っ張って私を胸に引き寄せます。
「俺の前で、違う男の名を呼ぶとはいい度胸だな」
王子の声はゾッとするほどに暗い独占欲に満ちていました。
祖国の王子様が近づいてくるけれど、私はどうすることもできずに私の王子の腕の中に囚われています。
「すみません、この辺で貴族の令嬢を見かけませんでしたか? 美しい長い黒髪の……」
王子様が腕の中にいる私に気づきました。
「聖女!」
呼ばれたことのない呼び方です。
私は転生者で同じく転生者だったひいおばあさまから、国を守る結界の加護を受け継いでいるから、聖女というのは間違いではないと思うけど、誰も知らないことのはずです。
知っていたんですか? 王子様。
そんな風に聞きたいのに私の王子が許してくれません。
強く抱きしめられて、私は身動きが取れないのです。
けれど、これは私を守るための籠です。
「聖女と呼ぶなら、なぜ、捨てるような真似をする」
冷徹な王子の声に冷笑しているけど、普段以上に冷たい怒りが潜んでいました。
祖国の王子様は震えながら答えます。
「聖女様のお力があまりに偉大で畏れ多かったのです。私が、近づいて触れていい方ではありません。せめて、次女と結婚して、遠くからでもお守りしようと思っていました」
王子様がそんな風に私を思っていてくれたなんて。
「白い結婚でも、あなたを娶るべきでした。あまりに大切に思いすぎてしまった……!」
手に爪を食い込ませて王子様は後悔しています。
「どうか、我が国にお戻りください、聖女様」
王子様が深く頭を下げて頼みます。
「今さら遅い、聖女は俺のものになったのだ」
私の持ち主の王子が答えます。
「あなたには聞いていない! 聖女様、あなたのお父上やお母上、姉上たちがいる国です。どうか、お救いください!」
王子様の懇願に、答えたいけど私の王子の守りが硬すぎました。
「王子、私はもうあなたのものです。私を本当に手に入れたと思うなら、私を信じて王子様と話させて下さい」
王子が冷ややかに微笑みました。
「そうだな、おまえは俺のもので、二度と離れる理由が無かったな」
私は王子が私を愛してくれていることを確信して、向き直ります。
「祖国の王子様、お父様やお母様、お姉様たちがいる国とおっしゃったけど、私はそれが嫌なんです。そんな国は救いたくありません」
王子様は目を見開いて絶望の表情をします。
パリーン
その瞬間に、遠く小さく見える国の結界が割れる音が聞こえました。
美しい魔力の流れが空に登っていくと、国は暗い空気に満たされていく。
自然と笑みが溢れていたのかもしれません。
「結界が崩壊したのか」
見えないはずの私の王子がいいます。
「そんな、こんなに早く……」
祖国の王子様に分かったのは、魔物の群れが外壁に向かっていくのが見えたからかもしれません。
絶望に沈む王子様に私はいいます。
「あなたも私と一緒にきてください。私を守る騎士になってくれたら、嬉しいわ」
私の王子が独占欲を覗かせて抗議しようとするけど、祖国の王子様にとって私は本当に女神のようにただ崇めるだけの存在です。
近くで守護させるには適任だと判断します。
「はい、あなたたち二人に永遠の忠誠を誓います。なんなりとお申し付けください」
そういって元王子様の騎士がひざまづきます。
「王子が私を傷つけるようなことがあったら、騎士様に助けて貰えるわね」
冗談でいったのだけど、
「そんなことは絶対に起こらない。俺の国では一切の不安を感じることができない生活を送ることになるだろう」
王子のいうことは、全然想像ができませんでした。
魔力切れで閉まらなくなった外壁の門に魔物がなだれ込んでいきます。
微かな悲鳴が聞こえた気がします。
姉の声のような気がしました。
「行きましょう、聖女様。足元がぬかるんでいるので気をつけてください」
王子様だった彼にはもう国への未練はないらしく、私のことだけを考えています。
——その頃の祖国の姉たち。
「きゃあああ」
外壁から入ってきた魔物に買ったばかりの嫁入り道具をめちゃくちゃに壊されていました。
次女が屋敷の上階に逃げて、魔物の難を逃れた時に、結婚式をする予定だった教会が崩落しました。
けれど、次女はまだ知りません。
婚約者の王子様すら、すでにいなくなっていることを——。
◆◆
隣国の王宮に着くと、大勢の家臣が並んで王子の帰還を喜んでいました。
正装した誰が見ても立派な王子の隣で、私は王子の婚約者として大事にされています。
朝は王子が大量のドレスと宝石を持ち出して、一番私に似合うものを選んでくれて、騎士様が女神のようだと称えてくれます。
食事は王子が私を膝に乗せて食べさせてくれて、騎士様が顔についた食べ物えお拭いてくれます。
夜はずっと王子が腕に抱いて眠って、部屋の前で騎士様が護衛をしてくれます。
私は女として愛してくれる王子と、女神として愛してくれる元王子に、思考停止けさせられています。
私宛に家族から手紙がきたらしいけど、王子が火に焚べてしまいました。
別に気になることはないからいいのだけれど。
騎士様が次女に婚約破棄の理由を長々と手紙にして送っていたから、次女からの長い手紙が尽きることがありません。
冷徹な王子の熱い腕に抱かれて、私は炎が爆ぜる様子を見つめています。
滅びゆく家族と祖国の声は私に届くことはなく、一瞬の暖かさになって消えていくだけで、王子の熱ほど心を乱すこともありません。
騎士様はいつでも私のために動けるように控えていて、空にはこの国が守護されるための結界の種が育っています。
この特等席で祖国に残っていた最後の魔力が空に消えるのを見つめました。
そして、私はまたこの国そのものになりました。




