第7章
図書室の窓際。
彩葉は、澄華と煌希の距離が縮まっていくことを“正しい物語”だと信じていた。それが、澄華の幸せであり、煌希の未来だと思っていた。だからこそ、彩葉はその物語を思い出していた。
澄華の色は、柔らかなピンク。そして鮮やかな金色が混じった華やかで、鮮やかな誰もが振り返る色。煌希の色は、赤を基調したきれいな色。煌希にも金色が混じっていて、そこに存在しているという存在感がある鮮やかな色。2人の色は重なって、きれいに広がっていく。でも―――その“はず”は、現実では揺らいでいた。
煌希は、澄華との会話に違和感を覚えていた。言葉は交わされる。笑顔もある。でも、心が動かない。
代わりに、彩葉の存在が心に残るようになった。
図書室で見かけるたびに、目が離せなくなる。彼女が一瞬みせた水色が、静かに煌希の心に染み込んでいく。
その日も、彩葉は窓際で本を読んでいた。煌希は、迷いながらも隣に座った。
「……澄華のこと、好きなの?」
彩葉の声は、静かだった。でも、その言葉には“願い”が込められていた。煌希は、少しだけ目を伏せた。
「……そう思ってた。けど、違うかもしれない」
彩葉の手が、本の端を握りしめた。本の中の主人公とヒロインは幸せそうにしている。これが本当の結末。でも、煌希の言葉が、その未来を揺らした。
「最近は――彩葉のことを見てる」
澄華は、まぶしい。でも、彩葉は、静かに心に残る。言葉の選び方。目を伏せるタイミング。誰かの幸せを願う声の震え。それが、煌希の中で、少しずつ“好き”に近づいていた。
その言葉は、図書室の静けさに溶けていった。それは彩葉の心には、はっきりと届いた。
望んでいた物語が、崩れていく。それは――彩葉自身が“本当に望んでいたもの”に近づいている証かもしれなかった。
図書室の静かな午後。
彩葉は、煌希の隣に座っていた。窓から差し込む光が、彼の横顔を淡く照らしていた。
煌希は、何かを言いかけていた。彩葉はそれを遮るように、静かに言った。
「澄華のことが好きじゃないといけないんだよ」
その声は、穏やかだった。でも、どこかで震えていた。
煌希は、言葉を失った。彩葉の目は、まっすぐだった。その瞳の、その奥にあるものは悲しみだった。
「澄華は、ずっと煌希のことを見てた。その気持ち、ちゃんと受け止めてあげてほしいの」
それは、彩葉がずっと信じてきた“正しい物語”だった。澄華の色は、誰かの心を照らすためにある。彩葉の色は、誰にも見えないようにある。でも――煌希の視線が、自分に向いた瞬間。
その“正しさ”が、少しだけ揺らいだ。心が、嘘をつけなくなっていくのが、怖かった。
彩葉は、本を閉じた。そこには、澄華と煌希と同じような“物語”が描かれていた。でも、もうその続きを読む気にはなれなかった。
煌希は、彩葉の横顔を見つめた。彼女の無色透明に薄く色づいた水色が、少しだけ濃くなっている気がした。
「……彩葉は、それでいいの?」
彩葉は、微笑んだ。その笑顔は、優しくて、どこかで壊れそうだった。
「わからない。でも、それが“正しい”って思ってる」
図書室の静けさが、二人の言葉を包み込んだ。彩葉の“言わなきゃいけない言葉”は、煌希の心に深く刺さった。
それは、彩葉の本音じゃなかった。でも、彼女が選んだ“優しさ”だった。
放課後。
昇降口の前で、澄華が煌希を待っていた。今日は一緒に帰る約束だった。澄華の手には、二人分のアイスが握られていた。でも――煌希は、そこにはいなかった。
その頃、図書室の出口で彩葉が歩いていた。彼女は、誰にも気づかれないように、静かに校舎を出ようとしていた。その背中を、煌希が追いかけていた。
「彩葉!」
呼び止める声に、彩葉は立ち止まった。振り返ると、息を切らした煌希がそこにいた。
「……澄華と帰るんじゃなかったの?」
彩葉の声は、少しだけ揺れていた。煌希は、目を逸らさずに言った。
「ごめん。気づいたんだ。澄華との約束より、彩葉のことが気になってるって」
彩葉は、立ち止まる。煌希と澄華の物語が変わろうとしている。今――その物語は、静かにすり替わろうとしている。
「……ダメだよ。澄華のことが好きじゃないといけないんだよ」
彩葉の声は、優しくて、でも苦しかった。煌希は、ゆっくりと首を振った。
「それは、彩葉の“願い”でしょ?俺の“気持ち”は、違うみたいなんだ」
夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。昇降口の前で待つ澄華の影は、誰にも届かないまま。
彩葉が、歩き出した。煌希は、その隣に並んだ。予定されていた“帰り道”は、静かにすり替わった。それは、誰にも気づかれない物語の分岐点だった。
昇降口の前。
澄華は、煌希を待っていた。手には、二人分のアイス。今日は一緒に帰るはずだった。でも、時間が過ぎても煌希は現れなかった。
校舎の外に出ると、遠くに二人の姿が見えた。
煌希と――彩葉。澄華は、立ち尽くした。
その距離は遠くて、声も届かない。でも、彩葉の横顔を見た瞬間、澄華はすべてを理解した。煌希の視線が、彩葉に向いていた。その目は、澄華に向けられるものとは違っていた。
澄華は、アイスをそっと鞄にしまった。溶けてしまう前に、心の中で何かが溶けていった。
澄華は、完璧なヒロインでいることに慣れていた。誰かの隣に立つことも、笑顔を向けることも。でも、煌希の目が彩葉に向いた瞬間――その“完璧さ”が、誰かの心には届かないことを知った。
それが、静かに痛かった。
「……そういうことなんだね」
誰にも聞こえない声で、澄華はつぶやいた。
その夜――自室のベッドで、彩葉は考えた。
澄華と煌希の“物語”。
変わってしまった物語。今日の出来事を境に、彩葉は物語を整理した。
《すり替わった帰り道。
澄華の影が、夕陽に溶けていく。
煌希の視線は、私に向いていた。
それは、望んではいけないこと。
でも、心にもう、嘘をつけなかった》
彩葉は、目を閉じた。
“正しい物語”を守ることが、優しさだと思っていた。でも今は――自分の心に正直でいることも、誰かを大切にする方法かもしれない。
そう思えたのは、煌希が自分を見てくれたからだった。物語の変化を受け入れなければいけないのかもしれない。自分のためにも。
それは、誰にも見せない“本当の物語”だった。
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