第20章
校舎裏の静かな場所。夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばしていた。
彩葉は、手すりにもたれて空を見上げていた。煌希は、その隣に立っていたが、言葉を探しているようだった。
「……彩葉」
彼の声は、少し震えていた。
「俺、どうしても君の隣にいたい。許してほしい。君の隣にいることを――」
彩葉は、ゆっくりと彼の方を向いた。その瞳は、静かで、でもどこか遠くを見ているようだった。
「……なんでそんなに必死になるの?あなたと私は、まだ知り合って間もないし、お互いのことをあんまり知らないのに」
煌希は、言葉に詰まりながらも、前を向いた。
「……そうだよね。でも、君を見たとき、心が動いたんだ。理由なんて、うまく言えない。でも、君の隣にいることが、ぼくにとって――“生きてる”って感じられる瞬間なんだ」
彩葉は、少しだけ目を細めた。
「……それは、私に“色”がないから?」
煌希は、首を振った。
「違う。君の色がないかどうかじゃない。君の色が、俺にとって“必要”なんだ。それがどんな色でも、どんなに淡くても――俺は、君の隣にいたいって思った。それだけは、嘘じゃない」
彩葉は、しばらく黙っていた。
風が吹いて、彼女の髪が揺れた。
「……わたしは、まだよくわからない。でも、あなたが“嘘じゃない”って言うなら――それを、見てみたいとは思う」
煌希は、少しだけ目を見開いた。そして、静かに頷いた。
その瞬間、二人の間にあった距離が、ほんの少しだけ縮まった。
彩葉の“色”はまだ揺れていたけれど――煌希の“願い”が、その揺れに触れたことだけは、確かだった。
透哉は、庭の縁側に座っていた。
夕暮れの光が、彼の横顔を淡く照らしていた。その背中に、煌希は静かに声をかけた。
「……透哉さん」
透哉は、振り返らずに答えた。
「彩葉のことかい?」
煌希は、少しだけうなずいた。
「はい。……ぼくは、彩葉の隣にいたい。それを、許してほしいんです」
透哉は、ゆっくりと湯呑みを置いた。そして、静かに煌希を見つめた。
「君は、彩葉の“色”を見たかい?」
煌希は、少しだけ言葉に詰まった。
「……見えた気がします。でも、まだはっきりとは言えない。それでも、ぼくは――彼女の隣にいたいと思った。彼女がどんな色でも、どんなに揺れていても、それを見続けたいと思ったんです」
透哉は、目を細めた。
「彩葉の色は、簡単には見えない。それは、ぼくでも何年もかかった。君は、彼女の“揺れ”に耐えられるかい?彼女が自分を見失いそうになっても、君は隣に立ち続けられるか?」
煌希は、拳を握った。
「……はい。ぼくは、彼女に“色”を与えたいんじゃない。彼女の“色”を見つけたい。それが、どんなに時間がかかっても――彼女がぼくを拒んでも、ぼくは諦めません」
透哉は、しばらく黙っていた。
風が庭の木々を揺らし、葉の音が静かに響いた。
「……なら、教えてあげよう。彩葉の隣にいる方法を。それは、誰にも教えたことがない。櫻花にも、彩葉にも――まだ話していない方法だ」
煌希は、目を見開いた。
「……ありがとうございます」
透哉は、微笑んだ。
「でも、覚えておいて。それは“方法”であって、“答え”じゃない。彩葉の隣にいるには、君自身が“揺れ”を抱える覚悟がいる。それができるなら――君は、彩葉の色に触れられるかもしれない」
その瞬間、煌希の胸の奥に、静かな炎が灯った。
彩葉の“色”に触れるために、彼は自分の“揺れ”を受け入れる覚悟を決めた。
それは、透哉が見守る“父のまなざし”の中で、確かに始まった。
縁側に、透哉と煌希が並んで座っていた。
夜風が涼しく、虫の声が遠くで響いている。
透哉は、湯呑みを手にしながら、ぽつりと語り始めた。
「……ぼくは、昔“無色”だった。誰かの隣にいると、すぐに自分が消えてしまうような気がしてた。強い色の人の隣にいると、ぼくの輪郭がぼやけていくようで――怖かったんだ」
煌希は、黙って聞いていた。
「そんなときに、櫻花に出会った。彼女は、まぶしいくらいに強い色を持っていた。でも、不思議だった。彼女の隣にいると、ぼくの色が少しずつ浮かび上がってくる気がした。それで、ぼくは考えた。どうすれば、強い色の隣にいても、自分を失わずにいられるのか――」
透哉は、湯呑みを置いて、煌希の方を見た。
「それが、“隣にいる方法”だ。教えるよ。君が彩葉の隣にいたいと願うなら」
煌希は、静かに頷いた。
透哉は、指を一本立てた。
「一つ目。“見ようとすること”をやめないこと。彩葉の色は、すぐには見えない。彩葉自身も自分は無色だと思うほどに薄い。でも、見ようとする姿勢が、彼女の色を少しずつ浮かび上がらせる」
そして、二本目。
「二つ目。“自分の色で相手を塗りつぶさないこと”。煌希くん、君の色は鮮やかで強い。それが君の魅力でもある。でも、彩葉のようにまだ色を探している人にとっては、その強さが“圧力”になることもある。君の気持ちが強いほど、相手の輪郭が曖昧になることがあるんだ。だから、君の課題は――“押しつけないこと”。君の色を見せながらも、相手の色を尊重すること。それができるなら、彩葉は君の隣で自分の色を探し続けられる」
煌希は、静かに息を飲んだ。その言葉は、彼の胸に深く刺さった。
そして、三本目。
「三つ目。“揺れを受け入れること”。彩葉は、揺れる。その揺れを否定せず、ただ隣で受け止めること。色の薄い人間は鮮やかな色を持つ人間の隣に立つとどうしても自分の色を見失ってしまう。だから揺れる。色を見失った人間が取るのは――自死だ。それを阻止するためにはその揺れを認識して、手を差し伸べ続けること。それができるなら――君は、彼女の隣にいられる」
煌希は、拳を握った。
彩葉の言葉を思い出した。『色の薄い人は短命なんだって。自分で命を落とす』その言葉が妙にリアルに感じた。
自分が隣にいることでもし、彩葉が自死を選んだら――そんなの耐えられないし、この両親は一生自分を恨むことになるだろう。自分が選んだばっかりに。
煌希はそれでも彩葉を諦めることができなかった。絶対に捕まえておく。それができないなら諦めるしかない。
「……それ、全部やります。ぼくは、彩葉の色を見たい。彼女の隣にいたい。だから、揺れも、迷いも、全部受け止めます」
握った拳が、少しだけ震えていた。でも、その震えは、恐れではなかった。呼吸が重く、胸の奥が熱を持っていた。それは、誰かの“色”に触れたいと願う者の、静かな覚悟だった。
透哉は、静かに微笑んだ。
「なら、君はもう“隣にいる方法”の入り口に立ってる。あとは、彩葉が君を見ようとするかどうか――それだけだよ」
その言葉は、静かに夜風に溶けていった。彩葉の色は、まだ揺れている。でも、煌希の願いが、その揺れに触れたことだけは、確かだった。
見ようとするかどうか――それは、彩葉自身の物語だった。
透哉の指が、静かに湯呑みに触れた。その仕草は、まるで語りを締めくくる儀式のようだった。風が、縁側の隙間を通り抜けていく。その音が、語りの余韻を運んでいた。
夜風が、二人の間を通り抜けた。
透哉の語りは、煌希の胸に深く染み込んでいた。
縁側の影が、ゆっくりと伸びていた。その先に、淡い水色が滲んでいた気がした。それは、一瞬見えた彩葉の色に似ている色。この限りなく薄い色を持っている彩葉の親の色。
この色が消えない理由。こんなに薄い色が消えていない理由が透哉と話してわかった気がした。
彩葉の“色”に触れるために、彼は自分の“色”を持ち、揺れを抱える覚悟を決めた。それは、透哉がかつて見つけた“方法”の、確かな継承だった。
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