第1章
ここからは物語がスタートします。
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
彩葉は、目を閉じたままその光を感じていた。まぶしさではなく、温度だけを。
鏡の前に立つ。制服の襟を整え、髪を結びながら、彩葉は“ふり”の準備を始める。頬に淡いピンクをのせ、瞳の縁に光を足す。色のない自分を、色のある誰かに見せかけるための儀式。
「大丈夫。彩葉はここにいるよ」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。鏡の前の自分は偽りだ。これは本当の色を持っている自分ではない。私は透明だ。でも、こうすれば私にも色がつくと彩葉は教えられていた。
今日は、入学式。煌希と澄華が、この学園にやってくる。“いろどき”の物語が、ついに動き出す。
朝霧彩葉は、今年で高校2年生。2人と同じ学校に通いたくて必死に勉強して今の学校に入学した。彼らとは一つ違いの学年。それでも、同じ校舎にいるだけで、物語の空気がわかる気がした。
校門をくぐった瞬間、彩葉は足を止めた。目の前に、煌めく光が立っていた。
その瞬間、胸の奥が、少しだけ熱を帯びた。まるで、色のない自分の中に、誰かの光が差し込んだような感覚。
彩葉は、それが何なのか分からなかった。でも、目の前の彼に、目を奪われた。それは、憧れとも違う。もっと、近くて、もっと痛みに似た感情だった。
「……あ、ごめん」
神崎煌希。アイドルグループに所属している、『いろどき』の主人公。制服姿の彼は、まるでステージの上にいるように輝いていた。
その瞳が、彩葉を見た。
彩葉は、息を呑んだ。心臓が跳ねる。目が合った――それだけで、世界が揺れた気がした。
彩葉は、怖くなって逃げた。
これは“物語”の始まりであって、自分の始まりではない。そう思い込もうとした。
しばらくして、校庭の方から声が聞こえた。彩葉はそっと覗き込む。
澄華が煌希に声をかけていた。
煌希は、少し驚いたように笑っていた。その笑顔は、彩葉が知っている“いろどき”のヒロインそのものだった。
でも――何かが違った。
煌希の声のトーン。 澄華の目線の揺れ。
ふたりの間に流れる空気が、ほんの少しだけ、違っていた。
彩葉は、息を止めた。 物語が、ズレている気がした。それは、ほんのわずかな違和感。でも、彩葉にはわかった。この世界は、小説とまったく同じではない。そしてそのズレは、もしかしたら自分の存在が、原因なのかもしれない。
「すみません、先輩ですか?」
澄華の声が、春の風に乗って届いた。 彩葉は、校舎の陰からそっと覗く。澄華は、原作通り迷子になっていた。新入生の流れから外れて、中庭で立ち止まっている。
その制服姿は、まるで春の花。髪には光が差し、瞳は澄んでいて、頬には桃色が宿っていた。ヒロインであることを説得するように鮮やかな色を纏っている。
煌希が振り返る。その瞬間、彩葉は息を止めた。
「……え? あ、いや、俺も一年だよ」
澄華は、目を丸くした。
「えっ!? そうなんですか!? なんか、落ち着いてて……」
煌希は、少し照れたように笑った。
「よく言われるけど、同じ新入生」
彩葉は、物陰で胸を高鳴らせた。このやりとり——まさに“いろどき”の始まり。澄華は、天然で素直で、誰にでも優しい。そして、煌希がアイドルだということにも、まったく気づいていない。
「……あの、有名な人ですか?」
「いや……芸能活動してるんだ。アイドルっていうか」
「えっ……!? そうなんですか!? すごい……!だからそんなに色がきれいなんですね」
澄華の瞳は、純粋な驚きで満ちていた。憧れでもなく、興味本位でもなく、ただ“知らなかった”という事実だけ。
彩葉は、物陰で笑みをこぼした。これだ。これが、“いろどき”のヒロイン。
澄華は、誰かの目に自然と映る色を持っている。彩葉は、誰かの目に映るために、色を“演じる”しかない。それでも、こうして見届けられるなら――それでいい。
そう思っていた。……ほんの少し前までは。
物語は、正しく始まっている。自分は、2年生の脇役。名前もないモブ。誰にも気づかれない存在。それでいい。それが、彩葉の“役割”。
でも――――煌希の目が、ほんの一瞬だけ、遠くを探していた。その視線の先に、彩葉がいたかどうかは分からない。でも、彩葉は確かに、見られた気がした。それが、心の奥に、小さな波紋を残した。
彩葉は、気づかないふりをした。だって、これは“物語”なんだから。
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