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第18章

夕暮れの校舎。誰もいない廊下に、柔らかな光が差し込んでいた。

煌希は、彩葉の教室の前で立ち止まっていた。

扉の向こうに、彼女がいる。それだけで、胸の奥が静かに騒いだ。彼は、ゆっくりと扉を開けた。

彩葉は、窓辺に座っていた。ノートを閉じ、空を見ていた。

その横顔は、やはり透明だった。でも、煌希には――その輪郭が、少しだけ濃く見えた。


「彩葉」


彼女は、振り向いた。その瞳は、静かだった。


「……朝霧透哉って、知ってる?」


彩葉は、少しだけ目を見開いた。そして、ゆっくりと頷いた。


「……父の名前だよ」


煌希は、息を呑んだ。

やはり――そうだった。


「君の“色”が、彼に似てるって思った。色が薄くて、でも確かにそこにいる。誰にも見つけられないようでいて、誰かの隣には立てる。それって、君の父が持っていた色なんだよね」


彩葉は、何も言わなかった。でも、その沈黙は、拒絶ではなかった。


「俺は、ずっと方法を探してた。君の隣にいるための方法。色を消さずに、一緒にいる方法。奇跡じゃなくても、君の隣に立てる道を」


彼は、一歩近づいた。その距離は、今まででいちばん近かった。


「君の父と母は――色が違っても、隣にいた。それは、奇跡かもしれない。でも、君が今ここにいるってことは、その奇跡は、続いてるってことだと思うんだ」


彩葉は、静かに目を伏せた。そして、ぽつりと呟いた。


「……わからない。でも、怖い。色が違いすぎると、薄い方が消えるって聞いてた。色の薄い人が短命だって知ってからはだから、誰にも触れないようにしてた。だって、みんなが自分で命を諦めるって言ってたから。でも……煌希くんは、違った。君の色は、まぶしいのに、私を消さなかった」


煌希は、微笑んだ。それは、確信ではなく、願いの笑みだった。


「一緒に歩いていける未来があるなら――俺は、その道を切り開きたい。君の隣に、ちゃんと立ちたい。君の色が、消えないように。君に色が、灯るように」


彩葉は、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳に、ほんの少しだけ――青が差していた。

それは、奇跡の始まりではなかった。でも、奇跡の続きを描こうとする、ふたりの第一歩だった。

午後の光が、静かに傾いていた。

煌希は、古びた一軒家の前に立っていた。彩葉の両親――透哉と櫻花が暮らす家。

彼は、彩葉の隣にいるための“方法”を知りたかった。ただ好きなだけでは、彼女を守れない。それを、痛いほど感じていた。

扉を開けたのは、櫻花だった。柔らかな笑みと、少し驚いた瞳。

彼女の“色”は、淡い桃色。でも、その奥に、確かな芯が見えた。


「……彩葉の、お友達?」


煌希は、深く頭を下げた。


「神崎煌希といいます。俺…いや、ぼくは彩葉さんの隣にいたいんです。でも、どうすればいいのか、わからなくて――だから、お二人に会いに来ました。どうやって一緒にいることを選んだのか、教えてください」


櫻花は、少し目を細めた。

その視線は、優しさと警戒が混ざっていた。


「透哉は庭にいるわ。案内するね」


庭には、静かに佇む男性がいた。

透哉――彩葉の父。

彼の“色”は、限りなく透明に近かった。見えないのに、確かにそこにある。その存在感は、静かで、しかし圧倒的だった。

煌希は、彼の前で立ち止まり、言葉を探した。でも、透哉は先に口を開いた。


「教えられないよ」


その声は、低く、冷静だった。でも、その奥には、揺るぎない感情が潜んでいた。


「君のような鮮やかな人間は、彩葉を消してしまうかもしれない。あの子は、強い色に触れると、簡単に揺らぐ。それは、壊れることと紙一重なんだ」


煌希は、言葉を失った。でも、櫻花がそっと言葉を継いだ。


「あなたも色が薄かった。それでも私たちは今も二人でいるし、彩葉という宝も授かったじゃない」


透哉は、静かに首を振った。


「君と彼は違う。もちろん、ぼくと彩葉も違う。ぼくは限りなく透明に近いけど、色があった。でも、あの子は……彩葉は“無色”だ。どうなるかわからない。あの子を見つけてくれたことには感謝する。でも、それだけで君を認めるわけにはいかない。あの子のことは――諦めてほしい」


それは、冷たい言葉だった。でも、その瞳は、揺れていた。彩葉を守るために、あえて突き放す。それが、父としての“痛み”だった。

透哉は、誰よりも彩葉の“無色”を知っていた。だからこそ、誰かに預けることが、怖かった。

その言葉は、煌希には重く、鋭かった。

煌希は、何も言えなかった。言葉が、喉の奥で凍った。でも、心の奥では、叫んでいた。

沈黙の中で、彼はようやく声を絞り出した。


「……俺は……諦められません。また、来ます。彩葉さんの隣に立てる方法を、見つけるまで」


煌希がきびすを返す。透哉は煌希の方を見ることもなく、ただ黙っていた。

煌希を見送った櫻花が、ぽつりと呟いた。


「あなたって、意地悪だったのね」


透哉は、目を伏せたまま答えた。


「それでもかまわない。彩葉が幸せになるためには、この程度で諦める人間には任せられない」


櫻花は、ふっと笑った。


「なんだか昔のあなたみたいな子だったわね」


あの頃の透哉も、誰にも見えない色を抱えていた。それでも、櫻花は見つけた。見つけて、隣に立つことを選んだ。

今、煌希がその続きを歩こうとしている。

櫻花は、静かにその背中を見守っていた。透哉は、静かに言った。


「それだけ、ぼくは君の隣にいたかったんだよ」


煌希は、静かに歩き始める。その背中には、まだ迷いがあった。でも、その足は、確かに前を向いていた。

透哉に会って、喉の奥が詰まって、言葉が出るまでに時間がかかった。手のひらは、少しだけ汗ばんでいた。でも、足は止まらなかった。

それが、煌希の“覚悟”だった。彩葉の隣に立つために、痛みも拒絶も、受け止めると決めた。彩葉の“無色”を守るために。

彼は、もう一度この場所に戻ってくる。

それは、恋ではなく――覚悟の始まりだった。

夕暮れの光が、煌希の足元に差し込んでいた。その光は、淡い青だった。彩葉の色に似ていた。それは、まだ触れられないけれど、確かに“隣にある”色だった。



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