第11章
放課後の昇降口。
夕陽が差し込むガラス越しに、靴箱の影が長く伸びていた。彩葉は、ひとりで靴を履き替えていた。
そこへ、澄華が静かに歩み寄ってくる。その足音は、いつもより少しだけ速かった。
「……あなたは、自分の物語の中にいるんでしょう?」
彩葉は、手を止めた。
澄華の声は、静かだったけれど、確かに怒っていた。
「だったらもう、私の物語に入ってこないで。あの幼なじみの先輩と一緒に楽しくしてたらいいじゃない!私と煌希くんの邪魔しないで!!」
その言葉は、澄華らしくないほど感情的だった。でも、彩葉は驚かなかった。ただ、小さく笑った。
「……私だって、できればそうしたいよ」
でも、煌希の声が、心に残っていた。
あのとき、名前を呼ばれた瞬間。目を見つめられた瞬間。
その記憶が、澄華の言葉よりも先に胸を締めつけた。
その声は、静かで、少しだけ寂しげだった。
「でも……」
言葉が、そこで止まった。靴の音も、夕陽の光も、すべてが静止したようだった。
彩葉は、気づいてしまった。自分の中にある、どうしようもない感情に。
《ああ、気づいてしまった。
私はあの子を――煌希のことを、どうしても拒絶することができないんだって》
澄華は、その沈黙の意味を理解していた。だからこそ、何も言えなかった。
昇降口の外では、陽向が待っていた。
その背中は、夕陽に照らされていたけれど、彩葉の揺れにはまだ気づいていなかった。でも――煌希は、気づいていた。澄華も、気づいていた。
彩葉の“透明”が、もう完全には透明ではなくなっていることに。
放課後。校舎の裏手、夕陽が壁に淡く滲んでいた。
彩葉は、ひとりでベンチに座っていた。 風が髪を揺らし、制服の袖が静かに揺れていた。そこへ、陽向がやってきた。
足音は軽く、でもどこか迷いを含んでいた。
「……彩葉」
彩葉は顔を上げた。陽向の目は、いつもより真剣だった。
「お前、変わったな。小さい頃はもっと、静かで、遠くにいたのに。今は……色がある」
彩葉は、少しだけ笑った。でも、その笑顔はどこか苦しげだった。陽向は、ベンチの端に腰を下ろした。距離は、ほんの少しだけ近かった。
「無色の人間が、あんな色鮮やかな人間と一緒にいるのは――無理なんだよ。それが、この世界の理だって、俺は知ってる。《だからお前を諦めたんだ》」
彩葉は、煌希の色を思い出していた。赤と金が混ざった、まっすぐで鮮やかな色。その色に、触れてしまった日のこと。
触れてしまったのは、色だけじゃなかった。心だった。
それが、今も静かに残っていた。
彩葉は、言葉を返さなかった。 ただ、指先をぎゅっと握った。
「……おまえはさ、妹みたいだったから」
唐突な言葉に、彩葉はふっと笑った。その笑いは、風に溶けるように静かだった。
「私たち、同い年なのに。……変なの」
陽向は、少しだけ目を伏せた。彩葉は、空を見たまま、言葉を続ける。
「私だって、わかってるよ。無色透明は、鮮やかな色とはいられないことくらい」
――――だから、あんたの隣にもいられない。
彩葉は、そう思った。でも、その言葉は口には出さなかった。
夕暮れの空に、そっと沈めた。
陽向は、少しだけ安堵したように息を吐いた。そして、彩葉の頭に手を伸ばす。
「……わかってるなら、いいんだ」
手のひらが、彩葉の髪にそっと触れる。兄のような、優しい仕草だった。
彩葉は、何も言わなかった。ただ、目を閉じてその手の温度を受け止めていた。
手のひらの温度が、髪を通して心に届いた。でも、その温度とは違う震えが、胸の奥で静かに広がっていた。それは、煌希の声を思い出したときに感じる震えだった。
彩葉は、自分の色が、もう完全には隠せないことに気づいていた。
《陽向は、彩葉の“透明”を守りたかった。
彩葉は、その“透明”を手放す覚悟をしていた。
でも今だけは――夕暮れの中で、ふたりの距離は静かに重なっていた》
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