第10章
煌希と澄華の物語は、まるでステージの上で展開されていた。
煌希はアイドルグループ「LUMINOUS」のセンター。澄華は物語の中で、彼の隣に立つヒロイン。ふたりの関係は、物語に沿って進んでいるようだった。
彩葉は、その物語の外側にいた。
図書室の隅で、体育祭で、ほんの一瞬だけ煌希と交差した。でも、それは物語の“背景”にすぎなかった。
テレビの中で煌希が笑っている。澄華と並んでいるときは、完璧な構図の中で輝いている。彩葉は、画面越しにその姿を見つめる。
《交差点。
物語の中で交わったふたり。
私は、そこに立ち止まっただけ。
でも、もう進まない。
ここは、もう私の知っている物語ではない。
私は、ここで生きている》
彩葉はそっとため息を吐いた。
彩葉は、ふたたび無色透明に戻った。誰にも気づかれない。誰にも触れられない。それが、心地よかった。
翌朝、校門の前で、彼は現れた。
「よっ、彩葉!」
懐かしい声。懐かしい笑顔。
物語の外側から、現実が動き出す。
その声は、太陽みたいにまっすぐだった。校門の前で、制服姿の陽向が笑っていた。
「……ひなた?」
成瀬陽向。彩葉の幼なじみで、小学校を卒業してから引っ越していったはずの彼が、制服姿で立っていた。
「戻ってきた。昨日から同じ学校。……っていうか、なんでそんな顔してんの?」
彩葉は、言葉が出なかった。
陽向は、物語の外側にいるはずだった。でも今、彼は彩葉の隣に立っている。そして――煌希が、その距離を見ていた。
澄華が隣にいるのに、視線は彩葉に向いていた。
彩葉の“透明”に、陽向の光が差し込む。それは、ステージの光とは違う。もっと、まっすぐで、あたたかい光だった。
昇降口の光の中、彩葉は陽向と並んで靴を履き替えていた。陽向は、昨日の転校初日の話を軽く笑いながらしていたが、ふと前方に目を向けた。
扉が開く。
煌希と澄華が並んで入ってくる。制服の襟元を整えながら、煌希は周囲の視線を自然に集めていた。澄華は、静かにその隣に立っていた。
陽向は、ちらりと煌希を見て、首をかしげた。
「……誰?」
彩葉は、少しだけためらってから答えた。
「この人は、神崎煌希。後輩で、アイドルグループに所属してる。……こっちは藤宮澄華、同じく後輩」
彩葉の声は、少しだけ硬かった。陽向は、ふっと笑った。
「へぇ、後輩か。よろしくな。……っていうか、彩葉の部屋にいた人か」
煌希の表情が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……部屋?」
「ポスターとか、アクスタとか。昨日、久しぶりに彩葉んち行ったら、なんかキラキラしたのいっぱい飾ってあってさ。あれ、全部この人だったんだな〜って」
彩葉は、少しだけ顔を赤らめた。煌希の視線が、彩葉に向けられていることに、陽向はすぐに気づいた。
「なに赤くなってんの?そんなにアイドル好きだったっけ?」
陽向は、わざとらしく彩葉の肩に手を置いて、顔を近づけた。
「ねえ、先輩?その人誰?」
その“先輩”という言葉が、煌希の胸の奥をざらつかせた。わざと先輩と呼んだのに。少しだけ後悔した。
「……誰でもいいでしょ?」
その声は、少しだけ低かった。澄華は、その温度に気づいて、静かに横目で彼を見た。澄華は、何も言わなかった。でも、彩葉の瞳の揺れに気づいていた。その色が、誰かの心に触れてしまったことも。だからこそ、澄華は黙っていた。
物語の均衡が、静かに崩れていく音を、澄華は聞いていた。
昼休み。中庭の隅、彩葉は一人でベンチに座っていた。
風が静かに吹いて、ページをめくる音だけが響いていた。
そこへ、煌希が現れた。制服の襟を少し乱したまま、焦ったように立っていた。
「……朝の、あれ…誰?」
彩葉は顔を上げる。煌希の目は、まっすぐ彩葉を見ていた。彩葉は、黙っているわけにはいかないかとため息を吐きながら答える。
「成瀬陽向。幼なじみ」
「……なんで、あいつはいいの?俺は、彩葉の中に入れてくれないのに。どうして、あいつは簡単に隣に立てるの?なんで俺じゃ、だめなの?」
声は静かだった。でも、言葉の端に、確かに熱があった。
彩葉の隣に立ちたい。それだけなのに、どうして陽向は、何も言わずにそこに立てるんだろう。
その答えが見つからなくて、胸の奥がざらついた。自分の心は確かに揺れていた。
彩葉は、少しだけ目を伏せた。陽向の言葉に、少しだけ頬が熱くなった。でも、それ以上に――煌希の視線が、心に触れていた。その視線が、痛いほどにまっすぐだった。
彩葉は、目を伏せることで、揺れを隠した。
そのとき――――陽向がやってきた。
「男の嫉妬は見苦しいぞ?」
陽向の声は軽かった。でも、その目は、煌希の感情を正確に捉えていた。彩葉の隣に立つことが、誰かの心を揺らしていることを、陽向は知っていた。
「俺と彩葉は、小さい頃からずっと一緒なんだよ。今さら、割り込まれても困るっていうか」
彩葉は、陽向の方を見て、少しだけ眉を寄せた。
「……馬鹿なこと言わないで」
その言葉は、陽向に向けたものだった。軽くたしなめるように、でもどこか優しさも含んでいた。そして、彩葉は煌希に視線を戻した。 その瞳は、静かに揺れていた。
「あなたも、私にかまってる場合じゃないんじゃない?」
その言葉は、煌希に向けたものだった。
冷たくはない。でも、確かに距離を置こうとする響きだった。
煌希は、言葉を失った。陽向も、少しだけ目を伏せた。彩葉の声は、静かだった。でも、その瞳の奥に、ほんの少しだけ色が揺れた。
それを見逃さなかったのは――煌希だけじゃなかった。陽向も、澄華も、遠くからその揺れを感じ取っていた。
《彩葉の“透明”が、ほんの少しだけ色づいた。
それは、誰にも触れられないはずの色だった。
でも今、三人の視線が、その色に触れていた》
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