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曲鉱  作者: 香水
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01

ドフォルレシアに登場する小説【曲鉱】


 夏の雨だというのに、その日の雨脚は夕暮れから変わらず、霧のような水滴はまるで何か隠すために降っているようだと馨野は思った。

 地上に醜い物があるのか、天にやましい事があるのか――なんにせよ、雨は嫌いじゃない。

 出かけようと思ったのはただ単純に、雨が降っていたからだった。今頃、璃宮では消えた馨野の姿を探す声があちこちで鳴り響いている頃だろうなと想像できるのに、帰ろうという気にはなれない。

 働いている職員には階級があるらしく、だから馨野を探せる人間というのは限られていると知っている。それでも、あれだけの人数が大声で触れて回れば璃宮中が知るところになるだろう。一人で出てきたといえ、馨野に悪気はない。このところ平和で、若干運動不足のようだったから良い機会だと思ってくれればいいのだが――母のような年齢の人に縋りつかれて泣かれてしまうとどうにも弱くて参ってしまう。

 帰った時に考えよう、と開き直って、馨野は早足に小道を通り抜ける。――「首都」を含める「都市」から遠ざかるごと、国家の治安維持は難しくなり目が行き届かなくなる。

 金銭としての所得が少ない者は都市を羨み、都市に住む者は喧騒に耳を潰してしまったり、中間にある者は圧倒的な治安の悪さに胃を押さえる。けれど、いくら政府の監視の目が厳しい世であっても、闇は簡単に人の隙間を縫って浮き上がってくるもので、それが、ただでさえ不穏な噂で守られているような「璃宮都市」なら当り前でもあった。

 恐怖と支配、の璃宮都市は反面、国立の一貫学校のある数少ない学園都市でもあるのだが、なにしろ璃宮の稼業が目立ち過ぎる。大通りを逸れると、すぐにこの視界の悪さが迎えるのが璃宮都市の特徴でもあった。

 悪い事に馨野は身なりが良い。背が低くまだあどけなさがある年齢に見えるので、更に餌食になりやすいだろう。小道を通れるほどの大きさの傘をさしているので上は見れない。けれども足元はよく見える。人がたくさん、それも、靴からして男が微動だにせず並んでいた。話声も聞こえない。見られているのは、明らかだった。――不意に、看板が目に入る。鋼色の板に紫の猫目が書かれただけの、看板。

 早く通り抜けなくては。そう思うのに、足は自然とそちらに向いた。空気が凍りつく。進み出てきた靴が、ちょっと待ちな、と馨野を呼びとめた。傘を上に向けると意外にも好印象な外見の男が表情を硬くして扉の前に立っている。仕立てのいいスーツが濡れて、使い物にならなくなるのは気にならないらしい。

「入んのか?」

 頷く。すこしの間、男は思案するようにじっと馨野を見下ろしていたが、やがてにやりと笑い、いいぜ、と半分だけ後ろを向き扉を開ける。

「入んな、お嬢様」


 床から漏れる様な光だけが足元を照らした。前を見ても、何があるのか分からないほど暗い。馨野は閉じた傘を両手で持ったまま、男の黒い靴を目で追った。全体に絨毯が敷いてあるので足音は目立たないが、耳でたどれない事は無い。

 急に視界が開けたと思えば、馨野は軽く目を見張る。ぽかりと空いた広間は正しく、違法な店と言えた。ちらりと男の顔を仰ぐ。楽しそうに馨野を見た彼が、低い声で笑いをかみ殺しているのが分かって眉を寄せた。

「なんだ、あんま驚かねぇのな、つまんねー」

 男が心からそう思っているのが分かった。この雨だ、客の入りでも悪かったから暇だったのだろうかと心中で首をひねりながら、馨野はショーケースの前を、ゆっくり歩く。当たり障りなく違法な武器から始まって、希少な鉱物、いわく有る小物、手に入りにくい食材のリストまであった。けれど、それより目を引くのはリスト内の異様な項目。――Eyes、Voice、Skin、Hair。

「それは、人身売買の項目。ま、お嬢さんには改造するとこなさそうに見えるけど?五年後が楽しみですらある」

 売るものが何もないから、最後に残った体を資本にしないと生きていけない人がいる。馨野は肩をすくめて、分厚い表紙を閉じた。

「こっち来てみな」

「何があるの?」

 手招きする男の手が止まり、ほんの少し目を細める。首を傾けながら男の方へ歩いていくと、しげしげ見下ろされる位置になってようやく彼が口を開いた。

「喋れるのか。・・・綺麗な声だ」

「当り前でしょう、特別製だもの」

 ふうん、と男は呟く。

「改造済みか」

「違う」

「じゃあ、なんだよ?」

「・・・さあ、なんでしょう。貴方は?その外見は、改良?」

 男は笑い、奥の部屋の電気をつける。

「まさか。素だ、素」

 そうなの、と言おうとして顔を上げた馨野はそのまま表情を凍らせて立ちつくす。

「おっ、やっと驚いたな」

 男の声に、足元が崩れたのは錯覚だと知る。馨野は、肩が震えたのを自覚した。水槽、檻、ガラスケース、鎖の擦れる音と、獣のそれよりもっとずっと禍々しい、唸り声。目は深い闇色で、それらが生まれたばかりの子供である証だった。親の姿が見えないことよりも、まず。

「妖魔が・・・?どうして」

 人ならざる者、そして、人に相いれない者。人外の姿で恐怖を焼き付け、人の持たない力で殺す、混沌か闇か天かを生まれにもつ者の総称を便宜上で使い分ける事はできるのだが、一般的に、それらは妖魔と呼ばれる。神だろうが天使だろうが、人には見分ける事ができないし、分かったところでどうでもいいからだ。

「そういうルートもあるってこと。それに、ここは皇の直轄地。そうそう、妖魔が人を襲うなんて事は無い。実際、使役してペットや愛玩にしている有力家だっている」

 初めて聞く事だった。殺せと、ただ、殺してくれと懇願され続けてきた馨野にとって、それは酷く現実味のない、嘘と同じ言葉だった。男は、面白そうに馨野を見ている。

「お勧めがある。見て行ってくれ」

 水族館の水槽と同じに見えるものもここにはあったが、男が足を止めたのは別の形の水槽の前だった。上下に機械のついた、円柱の水槽。その中心で、ぷかぷかと浮かんでいる毛玉が、三色。――クローンの育成に使う装置によく似ている、馨野は四つ並んだ水槽の、埋まっている三機の中に入った毛玉を眺めた。

「お貴族主義の方が注文して行ったんだが、その家が取り潰しにあってな、買い手がつかずに困っている。元種が激がつくほどのレアアイテムだったんで、処分するのも惜しい」

「・・・何なの?」

「さあな、それを決めるのは主だ。・・・飼い主の望む通りに生長する、愛玩としては一級品の掘り出し物だぜ?」

 嬉しそうに説明できる男に、馨野は尊敬にも似た気持ちを味わった。そんな風に、自分がこの状況について語れる日は、来ない。ふう、と息を一つ吐いて、馨野はぺたりと水槽に手をつける。

「買うわ。三匹」

「・・・オイオイ、ちょっとまて。そいつぁ嬉しい申し出だが、いくらになると思ってんだ?お嬢さん」

「こういう場合はカード?小切手?・・・キャッシュ一括なら、一時間ほど貰うけど」

 振り向くと、男の目が座っていた。低い声で、何者だ?と訊く。

「ただの、お嬢様ってわけじゃねぇんだろ?」

 今度こそため息をついて、馨野は懐から身分証明書を取り出す。――「璃宮都市」国立一貫学校の生徒証。覗き込んだ男は目を見張って顔色を失くす。慌てたように、馨野を見た。

「私が至らないせいだけでは無いんでしょうけど、でも、責任は持たなくては」

 そこにあるのは京璃尹の文字。世界でただ一人、璃宮の主として招かれた異なる世界からの来訪者に与えられた、名。知らない者はいない。だから、男は呟いた。茫然と、夢を見るより、夢がかなうより確率の低いその出会いに。

「――・・・皇」


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