表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メリトクラシア  作者: Lancer
第6章:紅茶と影の牢獄
88/88

【第52話】★血と独占欲★(本編)




鎖の軋む音が、まだ耳の奥にこびりついていた。

 オルフェス=ヴァルドの軍靴が遠ざかり、扉が閉ざされた後も、広間の空気は張り詰めたまま。石床の冷気が肌を刺し、焦げた匂いと鉄の臭いが、戦いの余韻を嫌でも思い出させた。砕けた瓦礫の影が散らばり、静まり返った空間に色を落としている。


 ジェイドは拳を開いたり閉じたりしながら、乱れた呼吸を整えようとした。

 ――終わった、はずだ。

 そう自分に言い聞かせても、胸のざわめきは静まらない。敵国の影を見た直後だからこそ、安堵など訪れるはずがない。まだ見えない何かが、背中を撫でている気がした。


「ジェイド様……っ、もう……怖かった……!」


 か細い声とともに、アイリスが胸に飛び込んできた。

 全身の力が抜け、嗚咽混じりに服を握りしめる。涙が頬を伝い、彼女自身の指先を濡らす。震えは肩から背中へと小刻みに広がり、必死に隠そうとしても止まらなかった。


 ジェイドは言葉を探す間もなく、自然と腕を伸ばしていた。

 白銀の髪を抱き寄せ、乱れた呼吸を自分の胸で受け止める。


「もう大丈夫だ。……絶対に、守る」


 それは慰めではなく、誓いだった。

 心臓の鼓動が彼女の震えを少しずつ溶かしていく。だが同時に、自分自身の鼓動も速まっていた。彼女を守りたいという想いと、失えばすべてが崩れるという恐怖が、ひとつに絡み合っている。


「っ……そんなふうに言われたら……わたし……また泣いちゃう……」


 アイリスは声を詰まらせながら、さらにぎゅっと服を握った。

 その涙は“二度と会えなくなる恐怖”が形になったものだった。


 ジェイドは拳を握り直し、心の奥で決める。

 ――誰に狙われようと、この手を離しはしない。


 だが、その安堵を覆す気配が、すぐそこに滲んでいた。



安堵の余韻を破るように、赤い視線が横から差し込んだ。

 デイジアだ。小さな体を壁にもたせかけ、にやにやと笑っている。


「へぇ……泣いて縋るヒロインって、こういう感じなんだね」


 牙を舌でなぞり、軽い口調を装う。だが、その裏には抑えきれない渇きが潜んでいた。

 ジェイドの背筋に冷たい震えが走る。


「デイジア……?」


 少女は指先で瞼に触れると、ひらりと魔法を解いた。

 幻影の膜がひび割れるように揺らぎ、色が剥がれ落ちていく。

 現れたのは――紅と金、相反する光を宿した瞳。


「……あんまり隠してても、意味ないしね」


 赤は熱を帯び、金は氷の粒を宿していた。

 笑みは軽いのに、その瞳だけは化け物のもの。

 ジェイドは喉が鳴り、思わず後ずさる。


「……っ!」


 アイリスの肩がびくりと跳ねた。紫の瞳が恐怖と怒りに揺れ、言葉を失ったままジェイドに縋りつく。


 デイジアは軽やかに間合いを詰め、細い体を押し付けてきた。


「じゃあ……ちょっとだけ、借りるわね?」


「――なっ!? お、おい――!」


 鋭い牙が首筋に触れ、熱が散った。

 血が吸い上げられる感覚に、全身の毛穴が総立ちになる。肩が痙攣し、視界が暗転しかけた。


「っ……痛っ……デイジア! なにしてんだ!」


 必死に押し離そうとするが、細腕とは思えぬ力で絡みつく。


「ふふ……ごめんねぇ。わたし、吸血鬼なの。血は、定期的に吸わないと生きていけないの♥」


 

紅と金の瞳が妖しく光り、ジェイドの血を舐め取るデイジア。

 甘美な吐息が首筋をくすぐるたび、全身が痺れるように震えた。


「ふふ……美味しい……。ねぇ、もっと……ちょうだい?」


 挑発的な囁きに、アイリスの胸が凍りつく。

 恐怖――ジェイドを奪われる。

 その想像だけで息が詰まり、背筋が冷たくなった。


(……いや……違う。失うくらいなら……わたしが、奪う!)


 涙で滲む視界の中、手が震えながら伸びる。

 アイリスは迷いなくジェイドの顔を両手で掴んだ。


「ジェイド様の血は……わたしのもの……!」


 衝動の叫びと同時に、唇を重ねる。

 涙の味が混ざり、苦くて甘い、必死のキス。


「……!? ア、アイリス!? な、なんで急に――っ」


 ジェイドの視界が熱で揺れ、心臓が暴れた。

 混乱と動揺で頭が真っ白になる。

 だが胸の奥で、彼女を抱き留めたい衝動も同時に膨れ上がっていく。


「っ……絶対に、渡さない……!」


 嗚咽混じりの言葉が刃のように鋭い。

 紫の瞳が怒りと愛で潤み、炎のように燃えていた。


「あはは……! なにこれ、最高すぎるんだけど♡」


 デイジアが堪えきれずに笑う。牙を覗かせ、首を傾げる。


「泣きながらキス? 独占欲まるだし? 本当に必死ね、アイリス。

……人間って、意外と獰猛なのね」


 煽りながらも、観察者のような冷たさを漂わせる声。

 紅と金の瞳が、二人の関係を愉快そうに見つめていた。


「ジェイド様……っ」


 アイリスの声は涙に濡れていた。

 それでもはっきりとした決意が滲んでいた。

 ――奪わせない。わたしがこの人を守る。


 広間の空気が急速に熱を帯びていく。

 恐怖と嫉妬と独占欲が混じり合い、炎となって燃え上がっていた。




アイリスの必死なキスを見届けたデイジアは、唇を艶やかに吊り上げた。

 紅と金の瞳が細められ、愉快そうに揺れる。


「ふふふ……アイリスちゃんって可愛いね♡

 ……アイリスばっかりズルいなぁ。


 じゃあ……次はわたしの番だよね♪」


 挑発めいた声音のまま、ジェイドの腕を強く掴む。

 小柄な体なのに、その力は鉄鎖のように重く、簡単には振り解けない。


「――っ、デイジア……!」


 抗う声を無視し、デイジアは顔を近づけた。

 次の瞬間、ジェイドの唇を奪い、深く吸い込む。

 血ではなく、生命の芯そのものを啜られるような感覚。


「……っ!? な、なに……これ……力が……抜け……!」


 膝が震え、視界が霞み、耳鳴りが広がる。

 体温が急速に遠のき、立っているのがやっとだった。

 ジェイドは歯を食いしばり、意識をつなぎとめる。


「ん……ふふっ……血も精気も……甘くて、美味しい……♥

 ねぇジェイド、もっと……わたしにちょうだい?」


 舌が這い、耳元で甘やかに囁く。

 支配と快楽を同時に押し付けるような声。

 彼女にとって精気を啜るのは、血以上に人間を“所有する”行為だった。


「や、やめてっ!! ジェイド様を苦しめないで!」


 アイリスが悲鳴を上げ、必死にジェイドの体を抱きとめる。

 腕は震え、指先がかすかに痙攣している。

 それでも彼を支えようと必死にしがみついた。


「返して……ジェイド様は、わたしの大切な人なの!」


 祈りと叫びが混じった声が広間に響く。

 紫の瞳は涙に濡れ、それでも揺るぎない光を帯びていた。


「……ふふっ」


 デイジアは舌なめずりをし、余裕の笑みを崩さない。

 紅と金の瞳が楽しげに輝き、二人を試すように見下ろしていた。



ジェイドの体がふらつき、アイリスが必死に抱きとめる。

 腕は震え続けているのに、決して離そうとしなかった。


「返してって言ってるの! ジェイド様は、わたしの……大切な人なの!」


 涙と嗚咽が混ざり、声はかすれてもなお真っ直ぐだった。

 その姿を見て、デイジアは小首を傾げ、紅と金の瞳を細める。


「ふふ……熱烈な告白だねぇ。

 でもズルいなぁ、アイリスばっかり。

 わたしだって――欲しいのに」


 唇をぺろりと舐め、挑発的に笑う。


「ジェイドの血も、精気も、心も……ぜーんぶ」


 挑発的な声が、広間にじわりと熱を広げる。

 アイリスは涙に潤んだ瞳でジェイドを見上げ、必死に言葉を紡ぐ。


「ジェイド様……っ、わたしは……」


 その隙を狙うように、デイジアが顔を近づけた。

 再び奪い去ろうとする唇。


「やめろ――!」


 ジェイドが声を張った。

 体はまだ震えているのに、不思議と力がこもる。

 彼はデイジアの肩を押しとどめ、アイリスを庇うように立ちふさがった。


「おい、待てデイジア。

 いつからだよ? オレはお前に好かれるような行動、取った覚えはない」


 その言葉に、デイジアの瞳がわずかに揺れる。


「……なにそれ、ちょっとショックなんだけど」


 口を尖らせ、わざとらしく肩をすくめる。

 だが紅と金の瞳は、次の瞬間きらりと光を増した。


「じゃあ――今からたっぷり、教えてあげる♡」


 挑発でも告白でもない、支配の予告。

 その声音に、アイリスの胸が再びざわめいた。

 ジェイドにすがりつく手に、さらなる力がこもる。


「ジェイド様を渡さない……絶対に!」


 涙で濡れた声が広間に響き、三者の感情が衝突する。

 紅と金、紫と茶――視線が交錯し、空気は灼けるように熱を帯びていった。



紅と金の瞳が艶めき、デイジアが舌なめずりをする。

 アイリスは必死にジェイドへ縋りつき、涙で濡れた声を上げた。

 三者の感情が衝突し、広間は灼熱の舞台のように煮えたぎっていた。


 ――その光景を、廊下の影から眺める影があった。


 ユミナ。

 翡翠色の瞳を細め、微笑を浮かべる。


「……ご馳走」


 艶やかな声音が、誰に届くでもなく空気に溶けた。

 観客のようなその表情は、楽しげでありながら冷ややかでもある。

 足音ひとつ立てず、気配すら残さず、彼女は影へと消えていった。


 広間には再び、三人だけが取り残される。


「……ジェイド様……」


 アイリスは涙で濡れた頬を拭いながら、なお彼を抱きしめて離さない。

 濡れた髪が彼の胸元に張り付き、指先は小刻みに震えていた。


「ふふ……ほんと、手強いなぁ。

 ……だから、余計に欲しくなるんだよね」


 デイジアは勝ち誇った笑みを浮かべ、牙をちらりと覗かせた。

 楽しげな声の奥に、飢えを隠さない。


「お、お前たち……ほんと、どうしてこうなるんだ……」


 ジェイドは赤面しながら頭を抱え、呻く。

 安堵も恐怖も嫉妬も、すべてが入り混じった舞台。

 その夜は、涙と独占欲と困惑に塗れて――まだ、幕を閉じようとはしなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ